同日午後、歓迎
【シンイチ】
なんだ、これは…?
紙を持つ手が無意識に揺れる。
この二枚を見るだけで、僕たちがどんなに大変なものに巻き込まれてしまったかが分かった。
他には、『教育評価審査拠点校について』『教育評価審査拠点校横浜基幹支部について』『執行部としての業務、その地位について』『死者の身体、その研究結果について(3/20改訂)』といった表題でそれぞれ左二箇所にホチキス留めしてある。
これらは業務に当たる前、事前に頭に入れておくべきマニュアルのようだ。
「印鑑はいいわ。サインで構わないから」
夜ノ森がはっきりとこちらを見据えている。逃さない、そういった意思が痛いほど感じ取れた。
これが彼女らの目的だったのか。大した話ではないとタカをくくっていた自分を今更ながら恥じる。
これが普通の勧誘だったなら、これほどこの紙束に、夜ノ森に、恐怖を感じる事はなかっただろう。
ただ、気づいてしまった。そして、もう逃れようのない事を悟ってしまった。
死者の身体を所持していることが確認されたら、死者の身体について知ってしまえばこの紙にある処分の対象となる。
コウジが隠していれば、僕が聞かなければ免れたのに。それを夜ノ森は許さなかった。
完全に、ハメられた。
彼女は言外にこう言っているのだ。
『君たちはもう処分の対象者。君たちは最悪殺害されるか、よくて監視対象になる。コウジ君は研究材料になるかもしれない。どうあってもひどい目にあう。
だから、その前にこちら側になりなさい。生命は保証する。』と。
僕が知ってしまった以上、コウジが知られてしまった以上僕たちに選択の余地はないのだ。
それにーー。
バサ、と紙が床に落ちる音がする。横だ。コウジが立ち上がり、紙束を叩きつけていた。
まずいーー!
「なんだこれは! ふざけてんのか! おとなしくついてくれば勝手に話を進めやがって! 執行部に入れ? 知ったことか! 俺のやる事は俺が決める!」
夜ノ森が怪しく口角を引き上げるのが見えた。
「それは、断るということかしら?」
いいのかしらね、それで、とでも続けそうな表情でコウジと対峙する。
「その通りだ! 俺たちを仲間に引き入れたかったらその態度とこの文面をなんとかしてから出直してこい! 頭のわりい俺にだって、これがおかしい事くらいわかる!」
コウジが僕に向き、帰ろうぜ兄貴、バカバカしいと告げると踵を返し、扉に向かった。
だめだーー!
引きとめようと立ち上がり手を伸ばしたところで、僕とコウジの間に一陣の風が吹いた。
ぐら、とコウジ体が傾く。すんでのところでコウジを床に倒れる前に抱きかかえるが、上から声が聞こえた。悪魔のような声色だった。
「書類は、目を通していただたわよね?」
コウジはピクリとも動かない。
呼吸は、ある。…気を失っているだけのようだ。
コウジを抱えたまま、顔だけ夜ノ森を睨みつける。
彼女は薄い笑みを浮かべたまま続けた。
「君ならわかるわよね。この勧誘を断ればどうなるか」
受け入れれば僕たちも執行部。
拒否すれば処分対象者と執行部ということだろう? 言われなくたってわかってるッ!
奥歯に力が入る。僕なりの、わずかな抵抗だった。
僕の思考を読んだのか、満足そうに夜ノ森が頷く。
同時に、この場に不釣り合いな、クラッカーの音が部屋に響きわたった。
クラッカーから出た煙が、夜ノ森の煌めくような銀髪に吸い込まれていく。
窓からは夕陽が射し込み、彼女の存在の輪郭をぼやけさせている。
このまま煙と共に消えてしまうのではないかと思うほど儚げな彼女が、だが携えた瞳の奥を光らせ、言った。
「ようこそ、こちら側へ。歓迎するわ」
目眩がする。
奥歯を軋ませ意識を保とうとした。
なぜここまでされて、いま、僕は夜ノ森を儚げだと……寂しげだと感じたのだろうか……。
ーー嘲笑うかのように、景色が消えた。




