第34話【バハムート戦】続
津波の引き潮は荒々しく、冷たく、そして無慈悲だった。
フェアリーの体は力強く引き寄せられ、海へと引きずり込まれる。
まずい! 水中は!
必死に手足で水を掻くが、まとわりつく海水を操れず、海は無情にフェアリーを包み込む。
濡れた銀髪が顔に張り付き、海水が目に染みて視界を奪い、息をするたびに塩水が喉を焼く。
心臓は恐怖とパニックで激しく鼓動し、全身が震えている。
彼女の目は恐怖に見開かれ、大きな青い瞳が助けを求めて空を彷徨う。
しかし、唯一の味方であるリズは港でドラゴンと対峙している最中だった。
フェアリーを助ける余裕などない。
だがリズはフェアリーの事態に気づいたらしく、こちらを見て叫んだ。
「フェアリー!? まさかあんた泳げないの!?」
リズの言葉に返事しようすると、また海水を飲んでしまい咳き込む。
「待ってて! 今行くわ! うわっ!」
リズの救援を阻止するようにドラゴンのブレスが降り注いだ。
それらを大剣で捌いて走り出すリズの前に、ドラゴンが地上へ飛び出してきた。
ドラゴンの下半身が魚ではなく、人型へと変化したのだ。
地上戦形態に切り替わったようだ。
「こいつ! どきなさいよ!」
リズが怒鳴り、ドラゴンも咆哮を返事にした。
大剣と爪の剣撃戦が勃発し、尋常でない速度の斬り合いが起こる。
リズは足留めされている。
フェアリーは自力で泳ごうとするが、身体は重く、動きは鈍い。波に翻弄され、何度も水中に引き込まれ、必死に浮かび上がろうとするが、またしても冷たい海水がフェアリーを包み込む。
息が苦しくなり、意識が遠のいていく中、彼女は最後の力を振り絞り、手を伸ばす。しかし、その手は何も掴むことができない。
ダメだ……泳げない。
宇宙とは違う浮遊感で、呼吸を必要とするこの身体には、あまりに海は残酷だった。
海には【妖精の黒衣】に付与されている【世界樹の加護】は反応しない。
故にフェアリーの天敵と言ってもいいだろう。
数億年生きてきたが、これが私の最後か……
リズ……私の事はどうでもいい、ドラゴンを倒せ……
周囲の海水は暗く冷たく、底知れない深さに彼女を引きずり込む。
フェアリーの瞳には光が消えかけており、視界がぼやけ始める。
最後の力を振り絞って手を伸ばすが、水面は遠く、すでに届かない場所にあった……
………………
…………
……そのフェアリーの手を、何者かが掴んだ。
その手は逞しく、力強くフェアリーを引き上げていく。
誰だ?
薄れゆく意識の中フェアリーが見たのは、あの時の漁師!
「ぶはっ! おい姉ちゃん! 大丈夫か!」
「ぶっっっはっ! げほっ! げほっ! げっっほっ! はぁ! はあ! はあああーっ!」
水面から顔を出して、やっとの思いで呼吸が出来たフェアリーは涙目になりながら呼吸を繰り返した。
「待ってろ! いま地上に戻してやっからな! おい!」
漁師が港にいる仲間に指示を出すと「へい!」とロープが投げ込まれた。
それに掴まった漁師はフェアリーを引き連れて地上へ引っ張られていく。
「はぁ、はぁ、はぁ……お前たちは……なぜ?」
「姉ちゃんが溺れてるのを見かけてよ。居ても立ってもいられなくなったんだ。あの騎士の嬢ちゃんがドラゴンを引き付けてる今しかねぇと思ってな」
「……っ」
まさかまた人間に助けられるとは思わなかった。
リズの次はこの人間たちか。
情けない自分が嫌になりそうだ。
「姉ちゃん。あの時は悪かったな笑って。姉ちゃんの言ってたことは本当だった。あれがドラゴンなんだろ?」
「ぁ、ああ……」
港に引き上げられたフェアリーは濡れた黒衣で重くなる身体をなんとか立たせる。
未だに空気を欲しがる身体に呼吸を繰り返して落ち着かせていった。
「姉ちゃん。笑ってすまなかったよ……」
「本当にごめん」
「俺たちに何か出来ることはあるか?」
面と向かって謝ってくる漁師たちに居心地の悪さを感じた。
だが危険を冒してまでフェアリーを助けてくれたのは事実。
「ありがとう……」
フェアリーは弱々しくも感謝の気持ちを込めた声で言った。
「だが、もう十分だ……ここは危険だから、早く離れて……」
「きゃあああああああああああ!」
リズの悲鳴が港に弾けた。
見ればドラゴンに吹き飛ばされ建物に激突している。
倒れたリズはすぐに立とうとしたが、瞬時に肉薄してきたドラゴンに爪を繰り出され慌てて大剣で防御する。
「嬢ちゃんが押されてるぞ!」
「あの巨体でなんて速さだ!」
「なんも見えねぇ……」
「ヤバいんじゃねぇかこれ!」
漁師たちの言う通りヤバい。
あのドラゴンは前の小型とは違う中型の個体だ。
小型よりも遥かに戦闘能力が高い。
ドラゴンを倒せる火力があっても、リズの技量では厳しいようだ。
ならば!
ずぶ濡れの黒衣が重くのしかかる身体に力を込めて、フェアリーは地面を踏み砕き加速した。
漁師たちの驚く声が一瞬で遠くなり、代わりにリズとドラゴンの戦場が近づく。
不意打ちにフェアリーの蹴りがドラゴンの顔面に直撃し吹き飛ばした。
約4メートル以上もある巨大なドラゴンは港を何度も転がり、しかしすぐに態勢を整えて向かってきた。
「フェアリー!? 無事だったのね!」
「そいつを寄越せ!」
ナイトルージュの大剣を奪うように取り、フェアリーは駆け出した。
対するドラゴンは口からまた水玉を複数吐き出してフェアリーを迎撃しようとする。
水玉は空から撃ってくるものより小型になっており、まさしく弾幕を張るといった感じだった。
後ろのリズに当たりそうなものは全て斬り伏せ、フェアリーは突撃する!
大剣の間合いに入った時には、ドラゴンの爪の間合いでもあった。
振り下ろされる音速の爪!
それは音速を超える大剣の斬撃によって斬り伏せられ、ドラゴンの右腕が空へ吹き飛んだ!
それでも怯まないドラゴンは左腕で攻撃――させて貰えず、振り上げたその瞬間に左腕が吹き飛んだ。
あまりに速いフェアリーの斬撃に、ドラゴンは首をもすでに持っていかれ、瞬く間に絶命した。
濡れた黒衣が全身に張り付いて動きにくかったが、敵の頭の悪さが救いとなった。
「水中に居れば良かったものを。わざわざ地上に出るからこうなる」
水中にいれば、少なくとも泳げないフェアリーは手も足も出なかったのだから。




