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楽しい一時と

約束の時間前に店に着いた。

直ぐに来ると思い中で待つことにした。


中に入ると前と変わらぬ佇まいに安堵した。

「お一人様ですか?」

ウエーターが声を掛けてきた。

「後から、連れが来るので四人ですね」

条件反射で俺は、そう答えていた 。

四人だよな。

「では、こちらにどうぞ」

席に案内されて、座る。

改めて見渡すが、あの頃と何ら変わっていない。

ボーと外の景色を見ていた。

チリンチリン……。

店の入り口についている金属製の棒が、来客を告げてる。

そちらを伺うと雅斗達だった。

雅斗は、俺を見つけると直ぐに近付いてきた。

亜耶は、ジャージ姿のまま俺の前の席に座った。


「亜耶。今日は、よく頑張ったな」

俺は、誉め言葉を亜耶に送る。

「本当。亜耶ちゃん、何人抜いたの?」

沢口が興奮して聞いてる。

「わかりません。走るのに夢中で、数えてないので…」

亜耶が、真顔で答える。

「四人抜きだったか?」

雅斗が口を挟む。惜しいな。

「違う、五人抜いてた」

俺は、さっきのレースを思い出しながら、淡々と告げた。

「凄い…」

沢口が、感嘆の声をあげる。

亜耶にとっては、普通なことなんだがな。

「そうだ、先にオーダーしてしまおう」

雅斗が突然思い出したように言う。

確かに、話は食べながらでもできるか…。

雅斗がメニューを沢口に渡してるが。

「あたしは、何時ものでいいよ。はい、亜耶ちゃん」

メニューを見ずに亜耶に回してる。

何時ものって…あれか。

亜耶が、メニューを見て悩みまくってる。

ここのメニュー何でも旨いもんな、しかも低価格。

メニューが決まらないのは、相変わらずだな。

「何、悩んでるんだ?選べないんだったら、俺のお薦めにしとくか?」

俺は、亜耶にそう告げると。

「お願いします」

って、目を輝かせて言う。

珍しく、素直だなと思い、クスリと笑みが溢れた。

そんな俺を見て、頬を赤くする亜耶。可愛い奴。

「了解」

「じゃあ、呼ぶぞ」

雅斗がウエーターを呼ぶ。

「ご注文、賜ります」

「キノコのリゾット、オニオンスープ。トマトとモッツアレラチーズのピザ、ラザニア、カレードリア、デザートピザ。後、何かいるか?」

俺は、三人を見て聞く。

すると。

「烏龍茶…」

亜耶が、小声で言う。

あっ、ドリンク頼んでないや。

「由華もいるか?」

雅斗が沢口に聞くと頷き返してた。

「烏龍茶、4つで」

俺がそう告げると、確認を取って去った。

「結構頼んだね」

亜耶が、驚いた顔をして言う。

「そうでもないよ。これぐらいが普通だ」

少し少ないと思ったんだが…。

そういや、亜耶は少食だったか…。まぁ、色々シェア出来るからいいか…。

「しかし、この店も変わってないよなぁ」

雅斗が言う。

「そうだな。あの頃と同じ。変わったのはメニューぐらいか…」

俺も同意してた。

亜耶が、寂しそうな顔をしてる。

どうしたんだ?

「亜耶ちゃん。このまま選手として活動したら?」

沢口が、とんでもない事を口にする。隣に座ってる雅斗も焦ってる。

それに対して。

「うーん。それだけは、やめておきます」

亜耶は少しだけ考えた後にそう告げていた。

自分の立場を理解してるのだろう。

俺は、その言葉を聞いて安堵するが…、今日の競技会での事、一般紙に取り上げられたら、どうなるか…。俺は、雅斗を見る。雅斗は、俺に目配せで“大丈夫だ”と告げていた。

「そっか…。勿体ないと思うけど、仕方ないか」

沢口が、残念そうな顔をする。

「お前、それわざと言ってる?」

俺は、そう口にした。

「何で、わざと言う必要があるの?本気でそう思ったのに…」

沢口が、言い返してきた。

「由華。鞠山って苗字だけで、誘拐されそうになるんだ。おおぴろに宣伝してどうするんだよ」

雅斗が沢口に釘を差す。

「だけど…勿体ないよ」

沢口の肩が落ちた。

「ありがとう。そう言ってもらえるだけで充分です」

亜耶が、嬉しそうに言う。

「亜耶ちゃん…」

沢口が、申し訳なさそうに何か言いたそうな顔をする。

そこに。

「失礼します」

注文したものが、テーブルに並べられていく。が、取り皿がなかった。

「取り皿もらえますか?」

俺は、ウエーターに告げた。

「はい、ただいまお持ちします」

そう言うとその場を離れ、取り皿を持って戻ってきた。

「こちらをお使いください」

テーブルのすみに置く。

「注文の品は以上です。どうぞごゆっくりお過ごしください」

それだけ告げて去っていった。

俺は、取り皿を手にして、ラザニア、ドリアを載せる。

「亜耶。これ手で取ってもいいか?」

ピザを指で指しながら亜耶に聞くと縦に頷いた。

俺は、お絞りで手を念入りに拭いてから、ピザを一切れ皿に載せ。

「ほら…」

亜耶に差し出す。

「ありがとうございます」

亜耶が、受け取りながらお礼を言う。

食べ物を目の前にした亜耶は、満面の笑みだ。うん、可愛いぜ。

「先輩。亜耶ちゃんには、尽くすんですね」

沢口が、口許をニタつかせる。

「うるさいよ、沢口」

俺は、沢口を睨み付けた。

亜耶の顔には、疑問符が浮かんでる。

そりゃあ、そうだろう。亜耶と食べに行く時は、俺が世話やいてるから何時もの事なのにって顔をしてるしな。だから、沢口の言葉に疑問が湧くのは当たり前か。

何て、思ってたら。

「先輩。あたし、もう沢口じゃないですよ」

って、口許は笑みを浮かべてるが、目が笑ってないぞ。

「癖だから、仕方ないだろうが …」

高校の時からだから、こいつとの付き合いは。

「この際だから、呼び方を変えたらどうだ?」

雅斗が言い出した。

雅斗と結婚したんだから、旧姓で呼ぶのもなぁ、とは思ってはいたが、何て呼べばいいんだ?“由華”なんて、下の名前で呼ぶわけにはいかないし、かといってさん付けは、もっと変だ。

んー?本人に聞くのがいいか。

「なんて呼ばれたいんだ?」

「由華でいいですよ」

悪戯顔で言う。

それは、無理だ。雅斗に悪いし…。

「それは、無理だな。やっぱ沢口だな。亜耶と一緒になったら“義姉さん”って呼ぶけどな」

沢口が、驚いた顔で俺を見る。

俺は、横目で亜耶を見たが、黙々とお皿に載っているものを消化していってる。さっきから、一言も喋らないと思ったら…。

「いいんじゃないか、それで」

横で雅斗が言う。

はっ、呼び方変えろって言ったの雅斗じゃなかったか?言い出しっぺが、何落ち着いてやがる。

それにさっき、何気に爆弾落としたんだが、スルーされたっぽいし…。

俺、やっぱ気にされてない?

ハァー、先が思いやられる。

真正面を向くとラザニアを平らげて、満足してるのかと思いきや物足りなさそうな顔をしてる亜耶。何で、こんなにも顔に出るんだか…。

「…ん。亜耶、ラザニアもう少し食うか?」

俺の言葉に驚きながら、ニッコリ笑って頷く。

「皿貸して」

亜耶から皿を受け取り、ラザニアを載せる。

「ほら」

亜耶に皿を返すと。

「ありがとう」

はにかむ笑顔を向けてきた。

ちょっ、それは不味いだろ。俺の動揺もよそに何もなかったように食べ出す亜耶。

ハァー。俺だけが振り回されてる感がする。

「亜耶ちゃん。あーん」

唐突に沢口が言う。

その亜耶も素直に沢口の方を向いて口を開ける。

それ、俺がやりたかったことなのに、先を越されるとは…。

「お前、沢口。何、餌付けしてるんだよ!」

沢口を睨み付けながら言うが、沢口は悪戯が成功したみたいな笑顔を俺に向け。

「だって、亜耶ちゃん。本当に美味しそうに食べるから、ついあげたくなっちゃった」

舌をペロッて出した。

こいつ、俺をからかって遊んでやがる。

「確かにな。亜耶は、好き嫌いなくなんでも美味しそうに食うもんな」

雅斗が場を和ますように言う。

「だからって、俺もまだしたこと無いのに…」

心で思ってたことが口に出た。

聞こえてたはずだが、誰も何も言わず雅斗と沢口がジト目で俺を見てきた。

なんだよ。本当の事だから、仕方ないじゃん。

亜耶は、デザートピザに夢中になってるし…。

「亜耶。さっきから、食べてばっかりだな」

俺は苦笑を漏らす。

「だって、美味しいんだもん」

口を尖らせて言う亜耶が、可愛いと思ってしまう。

「そうだな。あの頃と変わってない」

味もあの時と変わらずに美味しい。ただ、一緒に居る人物が違うが…。

亜耶に目を向けると口許にクリームが…。

「亜耶、クリームついてる」

俺は、そっと手を伸ばして、それを指で掬いとるとそれを舐めた。

「甘っ…」

やっぱ、デザートピザは甘い。

「そういう事は、他所でやってください」

突如沢口が騒ぎ出した。

ん?

「これぐらい別に構わないだろ。新婚の二人にとっては、日常茶飯事なんだろうし…」

俺は、からかうつもりで言ったのだが。

「違います。亜耶ちゃんの顔が物凄い勢いで真っ赤になってるから、人目の無いところでやってくださいって意味ですよ」

俺を睨み付けながら言う。

その言葉に亜耶を見れば、真っ赤な顔をしてる。

これって…。

「えっ、あ、ごめん。亜耶、つい何時もの癖で…」

亜耶と食べに行くと口許に何やらつけてたから、自然と手が伸びてたんだよ。

「あ、うん。大丈夫…」

俯きながら、言う。

何時もと違う亜耶の反応。

「先輩。亜耶ちゃんに嫌われても知りませからね」

沢口が口許を緩めて言う。

「今まで散々嫌われてた俺が、これ以上嫌われるわけないっしょ」

沢口が、驚いた顔をする。

俺、変なこと言ったか?

亜耶を見るが、まだ赤みが残る頬を残し、最後の一口を頬張っていた。

「ほら、そろそろお開きにするぞ」

雅斗の言葉に俺も納得して、席を立つ。

前に座ってた亜耶も鞄を手にして立つが、ふらついてないか?

「支払いは?」

亜耶が気にしてるが、そんなの気にする必要ないのに…。

「お前が気にすること無いよ。大人が払うのが当たり前だろ」

雅斗が苦笑して言う。

「ご馳走様です」

亜耶が笑顔で言う。

兄妹なのに礼儀正しい亜耶に苦笑する。

亜耶が一歩足を踏み出したときだった。不意に傾いたのだ。

俺は、慌てて亜耶を支えた。

「あっぶねぇ。亜耶、もしかして、眠いのか?」

亜耶は、ただ頷くだけだった。

「ハァー。幼児体質、まだ治ってなかったのか…」

って言うか、緊張の糸が切れたって感じがするが…。

「遥。悪いけど、亜耶を送ってってくれるか?」

雅斗が申し訳なさそうに言う。

そもそも、そのつもりだったし…。

「いいよ。亜耶、俺が支えるから、車まで歩けるか?」

亜耶が頷くのを見て。

「それじゃあ、明日な雅斗」

雅斗に声をかけた。

「あぁ、お休み」

雅斗の返事を背に聞きながら、亜耶を支えて車に向かった。


助手席のドアを開け、亜耶を座らせシートベルトを閉めると、ドアを閉めた。

運転席に回り乗り込む。

「家に着くまで寝てろ」

亜耶にそう告げる。

「…うん」

眠そうに頷く亜耶が寝付くのを見てから、静かに車を走らせた。

安心した顔で眠る亜耶。

この寝顔、覚えておこう。当分見れないのだから…。



亜耶の家に着くとエンジンを切って、車を降りる。

助手席に回り込みドアを開けた。

一度寝たら、なかなか起きない亜耶。

俺は、起こさないようにシートベルトを外し、傍らに置いてあった鞄を肩にかけ、亜耶を抱き上げてドアを閉めた。

玄関まで、本の数歩。

「今晩は」

俺は、玄関の戸を開けて、中に入る。

「えっ、遥さん。どうして…」

戸惑う叔母さんを他所に。

「亜耶を届けに来ました」

腕のなかで眠る亜耶を見る。

「あら、まぁ。安心しきった顔で寝ちゃってる。ここ最近、緊張してたみたいだし…」

亜耶を見ながらクスクス笑ってる叔母さん。

「亜耶をベットに寝かしてきますね」

「うん。お願いね」

俺は、亜耶が履いている靴を脱がし、自分も靴を脱いでそのまま二階の亜耶の部屋に向かう。

部屋のドアを開けて、ベッドに寝かせる。

「無防備な寝顔。俺は、お前が大切だ。何があっても守ってやるからな」

亜耶の額にかかる髪を退かし、口付を施した。


「夜分遅くにすみませんでした」

俺は、下に降りてリビングに居る二人に声をかけた。

「いや。こちらこそ迷惑を掛けたな」

叔父さんに言われて、萎縮する。

「いいえ」

「コーヒー飲む?」

叔母さんが透かさずそう聞いてきた。

「お構い無く。すぐ帰ります」

そう返すと残念そうな顔をして。

「そう…」

って。

「準備は?」

研修の事だろう。

「出来てます」

「亜耶には?」

「言ってません」

「そっか…。気を付けて行ってこいよ」

「はい。それでは、御暇します」

そう告げて、玄関に向かう。

「遥さん。ありがとう、気を付けて」

叔母さんが玄関まで、見送りに来てくれた。

「はい。お休みなさい」

俺はそれだけ言うと、車に乗り込み走り出した。



出発の前日の夕方。

俺は、亜耶の学校に来ていた。

アイツに会いに…。



周りに生徒が群がってるが、そんなの気にしない。

してたら、きりがない。

そんな中、アイツが一人でこちらに来る。

これは、好都合。


「よっ!」

俺は、アイツに声をかけた。

奴は、驚いた顔をする。

俺が声をかけたことに戸惑っているに違いない。

「亜耶なら居ませんよ」

奴は、冷たい声で言う。

そんなの見たらわかる。

「今日は、亜耶じゃなくて君に用事」

俺は、真面目な話がしたかった。

…が、奴は困った顔をする。

「悪いけど、三ヶ月の間、亜耶の事頼むな」

ライバルにこんなこと言うのは可笑しいかもしれないが…。

「何で、オレ何ですか?」

最もな疑問だな。

「ん?今は、お前が亜耶の彼だから?」

オレの言葉に怪訝そうな顔をする。

「まぁ、帰ってきたら正式に俺の婚約者になるけどな」

牽制も忘れない。

目を白黒させてる奴に。

「研修から帰ってきたら亜耶は俺の婚約者なんだ。だから、お前に三ヶ月の間、虫除けになって欲しいんだよ」

俺の言葉に更に驚いた顔をする。

「その様子じゃあ、まだ亜耶は伝えていないんだな。まぁ、その内にわかるさ。俺の居ない間だけでもナイト役を任せた」

俺はそれだけ言って、歩き出した。

「ちょっと、待ってください。何で、そんなにオレを信頼できるんですか?」

信頼とは違うんだが…。

「亜耶を好きな気持ちは同じだろう?だったら、君は亜耶を傷付ける筈はない。そう思うから、君に預けるんだろ」

亜耶を好きな気持ちには、偽りはないと思うから…。

「ちゃんと迎えに来ないとオレがもらいますよ」

奴が、何か吹っ切れた声が届く。

「わかってる」

俺はそう言って、片手をあげた。



これで、少しは安心できるか…。


俺は、その足で今日泊まる空港近くのホテルに向かった。



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