ワガママ同盟 7
パンッと肌が弾かれる音が周囲に響き渡る。
左の頬に熱が走った。
お兄様が、叩いた……?
「お前は!家を勝手に飛び出したと聞いて、どれだけ心配したと思っているんだ!殿下にも迷惑を掛けて、こんなところでこんな事をやって!どれだけの人に迷惑をかければ気が済むんだ!この事は父上にキチンとーー」
カンッと軽い音がする。
お兄様に向かって投げつけた仮面が、鎧に当たって地面に落ちた。
「なによっ!お兄様ばっかり!私だってっ!!」
あの温厚なお兄様に、初めて手を挙げられたという衝撃と、
今までの気持ちがグチャグチャになって、自分の感情を上手く表すことができない。
ボロボロと頬を伝う涙が、叩かれた頬に染みる。
「おに、さまだって…私に、なんの相談も……いつも、レイと、ばっかり…っ………っく…家にも、帰って来ない……………うっ……」
私にとってはこれが最後の抵抗だった。
こっそり剣技を身につけても、騎士であるお兄様に敵わないのは解ってた。
ーーいつか誰かにお兄様を取られることも。
「レティ…」
そっとお兄様が私の頬を撫でようと手を上げる。
私はそれを思いっきり、手の甲で叩いて返した。
「お兄様なん…て………コリンなんて大っ嫌い!!」
それだけ言うと、私は走って、侯爵に飛びついた。
一目も憚らず、ただひたすら、大きな声を上げて泣く事しか出来なかった。
ぽんぽんと侯爵が、私の背中を優しく撫でてくれた。
周りはしんと、困惑する事しか出来なかった。
「レティは兄上を取られるのが、寂しかったんですよ」
ね?と荷馬車に座っていたテディが、キャスケットのつばを少しだけ上げると、
私に近寄り、そっと私の頭を撫でてくれた。
「貴方はっ」
お兄様が驚いたように声を上げると、テディは「しぃー」と人差し指を立てた。
もっとも、その時のやりとりは侯爵様にすがっていた私には見えなかったのだけど。
「私ですら唐突なことで、気持ちの整理を付けるのはなかなか難しい。レティアーナ嬢は尚更だろう。アベル殿、どうかあまり叱らないでやってくれ」
「レティアーナ様…」
声をかけられ、涙でグシャグシャになった顔をそちらに向ける。
視界はぼやけていたけど、
なんとなくコルネリアが困ったように微笑みかけているのが判った。
「大事なお兄様を取ってしまう事、お許し下さいませ。その代わりになるかは分りませんが、私を姉にしてもらえませんか?」
「レティアーナ嬢。私の娘では役不足かもしれないが、それで許して貰えないだろうか?」
侯爵を見上げると、侯爵はそっと涙を拭ってくれた。
再びぎゅっと侯爵に抱きつくと、私は声も出さずに、こくんと小さく頷いた。
「レティ…」
後ろからお兄様の声がする。
そっと、後ろから大きく暖かい手が私を包んだ。
「黙ってて悪かった」
はぁ…と大きな溜息が聞こえてきた。
私は振り向かずに、お兄様の話に耳を傾ける。
「駄目だな。母上が亡くなった時に、お前に寂しい思いはさせないと父上と一緒に誓ったのに…結局、父上も僕もレティを1人にしてばっかりだ」
ぱっと振り返ると、少し悲しそうなお兄様の顔が目に入る。
「お前の兄はこれからもきっと駄目な兄だと思うけど、何があっても兄であることに変わりないから。それだけは忘れないで欲しい」
「お兄様…」
ぎゅっとお兄様の首に抱きつく。
もうこれで充分だと思った。
一緒に過ごした時間は少ないけれど、
一緒にいる時は、ずっと片時も離れずにそばに居てくれた優しい兄なのだから。
「お兄様…ごめんなさい。大好きです。どうか幸せになって下さい」
「レティ…ありがとう。僕もレティが大好きだよ」
西に傾く日差しが、昼に別れを告げるようにゆっくりと沈んでいく。
それは長い長い夜の始まりであり、新しい日の出を待つ儀式の様でもあった。




