Coffee Break : 護衛
Coffee Breakは本編ではありませんが、
その時々の物語の背景となる為、若干ネタバレ要素が含まれます。
気になる方は飛ばして読んで下さい。
王都を出て4日目、クロエは焚き火の前で頭を抱えていた。
今まで、貴族の護衛を引き受けた事は何度もある。
予定外の宿泊や、行き先変更なんてしょっちゅうだったし、
ワガママに振り回される事も然程でもない。
しかし、今回の護衛の任は、今までのそれと全く当てはまらなかった。
高い地位についている人間ほど、騎士への要求が増えるのは当たり前なのだが、
ここまで想定外の動きをする姫君は、見たこともなければ聞いたことすらない。
勿論、破天荒な姫という事は自分も噂で知ってはいたが、
ここまでとは思っていなかった。
いや、むしろ想像していたワガママとは質が違う気がする。
臣下にパンを勧めたり、突然走り出したかと思えば、娼館に平気で入り込み、
助けられたとはいえ、見知らぬ男と共に平気で旅をする。
……いや、この男が何者なのか、自分は知っているのだが。
姫は既にテントに入り、今は火の番をしている自分と、その男の2人だけだった。
向かいに座っている男は、前日のようにリュートを奏で暇を潰している。
「フィオディール・バルフ・ラスキン」
クロエはボソッと呟いた。男の手がビクッと反応し一瞬だけ演奏が途切れる。
「…という名に心当たりはありませんか?」
クロエはじっと相手の顔を見据えるが、
男は何事もなかったかのようにリュートを奏でている。
「はて?何処かで聞いた覚えがありますね。……ああ、リン・プ・リエンの、確か、3人目の王子の名前でしたか?その方がどうかしましたか?」
焚き火の奥で、男の微笑が妖しく揺らめいている。
その表情からは相手の思考が全く読み取れない。
「以前、リン・プ・リエンの王都にある第13分隊に所属していたことがありまして、何度かお見かけしました」
第13分隊は、
第二王子のリオネス・バルフ・ラスキンが率いる『雪狐騎士団』の分隊だ。
リン・プ・リエンには、王直轄の『鯨波騎士団』、
第二王子の管理する『雪狐騎士団』、
第三王子が管理する『夢想騎士団』の三つの騎士団があり、
雪狐騎士団はその中でも、白兵戦に特出していた騎士団だった。
ほぉー。と男は感心したように感嘆する。
演奏を終えたのかリュートを傍らに置き、鍋に水を入れ湯を沸かし始めた。
「リン・プ・リエンの騎士団と言えば、ウイニーに比べて陸戦に長けていると聞きますね。…クロエさんから見て、第三王子はどんな方でしたか?」
ポコポコと湯から泡が立ち始めると、
男は鞄から茶葉を取り出し、豪快に鍋に投げ込む。
グツグツと湯の色が赤褐色に変化すると、カップに茶を注ぎ込んだ。
「どうぞ」とクロエにカップを渡し、自分のカップにもお茶を注ぐ。
「…そうですね。狡猾で静かに獲物を狙うキツネ……ですが、何処か生き急いでいる弱さが見えました。のでアレはタヌキですね」
しれっとそう言った後、男から受け取った茶を口に含む。
紅茶ともまた違う茶の味に少しだけ驚いた。
どうやら焙煎してある茶葉らしい。
「タヌキ…」と男は驚いた顔をして、何故か嬉しそうに目を輝かせている。
「いいですね、タヌキ!髪の毛も茶色いですしね」
くっくっと、楽しそうにカップを抱えて笑い始めた。
そういえば…と、男はふと宙を仰ぐ。
「ウイニーの皇太子もキツネみたいな方ですよね。髪の毛の色とか」
キツネとタヌキ…と呟きながら、また可笑しそうに腹を抱えて笑うのを堪えている。
クロエはその様子に呆れて溜息をついた。
隠す気があるのか無いのかさっぱり読めない。
そもそも何故この男が、ウイニーで、
しかも1人でブラブラと歩き回っているのか、意図が全くわからない。
「目的は何ですか?」
単刀直入に聞いてみることにした。
遠回しなやり取りは、そもそもクロエの性に合わないのだ。
「目的ですか?武器屋ですから武器の販売と仕入れですかね?…そんな顔しないで下さい。少なくともウイニーに危害を加えようとかそんな事はないですから」
クロエがギッと睨みつけると、苦笑しながら男は肩を竦めた。
「ああ、それとお嫁さん探しですかね?」
そう言うと、照れたように頭をポリポリ掻いた。
焚き火の明かりの所為で、それが真意か冗談なのか判らない。
しかし…
「……姫はダメですよ」
この男がレティアーナに好意を持っている事は、その態度から容易に判断できた。
どこまで本気かは計り知れないが、
少なくとも、今はレティアーナの護衛を殿下から任されている以上、
安易に認める訳にはいかない。
「何故ですか?恐らく僕の家柄に問題はないですよ?彼女、"ウイニー王国のワガママ姫"ですよね?」
姫のその破天荒な振る舞いは、国内ではかなり有名で、
噂が絶えた事が無いと言われる程なので流石にというか、
やはり正体はバレていたようだ。
「家柄の問題ではありません。あの方は…純粋すぎます。貴方の様な腹黒い方に嫁げば、不幸になるでしょう」
本人を目の前にここまで言えるのは、
この男があくまで武器商人としてこの場にいるからだ。
そもそもこう言ったところで気にしない気質なのは、
今までの会話でも十分判断ができた。
すると案の定と言うべきか、フフフと笑みをこぼしてこちらを見やる。
「酷い言われようですね。ですが、結婚してみなければ解らないですよ?」
チラッと目を合わせると、男の目の奥に小さな焔が見えた気がした。
その目を静かに睨みつけていると、
後ろにあるテントからガサっと布がこすれる音がした。
後ろを振り向くと、そこに虚ろな目をしたレティアーナが立っていた。
手にはクマのぬいぐるみが握られている。
「姫?眠れないのですか?」
と彼女に声をかけたが、
寝ぼけているのか反応はなく、フラフラとこちらに向かって歩いてきた。
よく見ると足には何も履いてない状態で、足取りも少し危なっかしい。
「姫?」ともう一度声をかけてみる。
すると今度は男がスッと立ち上がり、クロエの肩に手を置くと、
「しー」っと人差し指を口の前に立てた。
「寝てます。起こさない様に。僕が初めて彼女にあった時もこんな状態でしたね。…知らなかったんですか?」
驚いた顔でクロエは男を見上げ首を振る。
職業柄、人が動く気配がすれば自然と目が覚めるが、
フェンスで泊まった時も、イオドランで泊まった時も全く気がつかなかった。
夜中に閑処で起きたような気配はしていたが、
すぐに戻ってきたので、気にも止めなかったのだ。
3日目の夜は火の番で、この男と交代するまでは起きていたが、
このようにレティアーナが起きてくる所は見なかった。
…そう言えば、フェンスの女将が「今も寝てるのか?」と、冗談を言っていた事を思い出した。
あれはこの事を指していたのか?
「お兄様…」と呟いて、フラフラと焚き火の方に歩いていく。
このまま歩いて行けば、服の裾に火が燃え移りそうだ。
姫!と声を上げそうになったところで、男に制止される。
男はスッと前へ出て、レティアーナの前に立つ。
「レティ、取り敢えず、靴履きませんか?そのままだと足怪我しますよ」
男はレティアーナを起こさない様に、そっと優しく声をかける。
しかし、その呼びかけには応じず、レティアーナはピタッとその場に止まり、
くるっと方向転換をすると、またフラフラと何処かへ歩きだした。
「ダメですね。聞こえてないのかもしれません。無理に起こして連れ戻すと、レティがパニックを起こすかも知れないですし…暫く彼女に付き合って来ます。火の番、頼みますね」
男はランタンと剣を手にすると、レティアーナを追いかけて森の闇へ消えて行った。
クロエは2人の後ろ姿を険しい表情で見つめ、
爪が手のひらに食い込む程、拳を強く握りしめた。
自分はこの護衛の任で、既に多くの失態を晒している。
これ以上の失態は許されないと、心に強く刻み付ける様に。




