水と油とワガママと 1
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朝目が覚め、テントを出ると、
辺りは一面真っ白で目の前が見えなくなっていた。
試しに手を伸ばせば、手の甲は見えなくなってしまう程だった。
「なにこれ!」
面白い!と私は浮き足立ってしまう。
握ってみようとしても何も掴めず、押してみようとしても手応えがまるで無い。
ただ、何処と無くじめっとした感覚がそこにある。
その白い空気を叩こうとブンブンと手を振っていると、
ぺちっと何かが右手に当たる感触がした。
そこから「あいたっ」と言う、男の人の声が聞こえた。
不意に、その手をぎゅっと握られて私はビックリする。
「ああ、なんだレティか。びっくりしたー。おはよう」
近づいてよく見ると、テディの顔がそこにあった。
どうやら彼の頬っぺたを叩いてしまったようだ。
「テディ!ごめんなさい。痛かった?…あ、おはよう!」
そう言って私は背伸びをして、テディの肩に左手をかけて、頬にキスをした。
テディはちょっとだけビックリした顔をした後、
「大丈夫」と、にこにこ返事が返ってきた。
「凄い霧ですね。日が登れば収まるとは思いますが」
私の手を握ったまま、くすくすと笑ってテディは言う。
「霧!これが霧なのね…」
本でこういう現象があるというのは読んだ事があるけど、
実際に見るのは初めてだった。
ほぉー…っと感心しながら周りを見渡す。
視線を折り返したところで、
はたとテディが私の手を掴んだままだったことに気がついた。
「あの、テディ、手…」
おずおずとテディに指摘する。
すると彼は「ん?」という顔をしてから「ああ」とゆっくり頷いた。
「レティの手、小さいですねー。あんなにご飯を美味しそうに食べるのにね?」
くすくす笑いながらテディは言う。
私はそれを聞いて昨日の事を思い出し、むっと頬を膨らませた。
「また子供扱いして!もうっ!いいから離して!」
ぶんっと手を思い切り振りほどいたところで、
「まぁまぁ」と言いながら、テディがまた手を繋ぎ直した。
「レティがそろそろ起きてないかなと思って、呼びに来たところだったんですよ。ちょっとこっち、ついて来てください」
そう言ってテディは、真っ白な霧の中をぐんぐん私の手を引いて進んでいく。
見えるのはテディのうっすらした影と、私の手を取る腕だけだった。
「足元、気をつけて下さい。もうすぐです、音、立てないで」
と何故か小声で話し始める。歩みもソロソロと何か警戒しているようだった。
言われた通り音を立てないように慎重に歩くと、
手前の方からカラカラと水の流れる音がした。
どうやら川のすぐそばまで来たようだ。
「ここです。ここの岩陰に隠れて、対岸を見ててください。音、絶対立てちゃダメですよ?」
と、大きな岩の前でしゃがみ込んで、テディは霧の向こうを指差した。
対岸と言われても、真っ白で何処が対岸なんだか判らないんだけど…
とりあえず、テディの横にしゃがみ込み、
指をさされた方向をジッと目を凝らして眺める。
どれくらいの時間が経ったか、あまりに何も見えないので、
ついウトウト居眠りをし始めた頃、
霧もだいぶ薄くなり始め、対岸が少し見えてきた。
テディは身をいよいよ乗り出し、嬉しそうに私に話しかけた。
「レティ!みて!アレです!」
小声ながらも、興奮した様子で私の両肩をガシッと掴んで、
対岸をじっと見つめている。
「んー?」
と眠い目をこすりながら目を細くして、私もそちらをじーっと見つめる。
すると何か、チカチカと小さな光が舞っているのがうっすらと見えた。
「何か、光ってる?」
「それです!もっと!もっとよく見てください!」
テディの肩を掴む力が強くなったのがわかった。
必然的に私はグッと縮こまってしまう。
ちょっと痛いんだけど、とりあえず我慢して、更に光を注視する。
「んん〜〜?………………!!」
私はその光景に目を瞠った。
思わず息をするのを忘れてしまうくらい驚いた。
チカチカと舞う光の先に、とてもとても小さな人のような姿がいくつか確認できた。
ヒラヒラとそれは舞い、よく見ると光っている部分は、
乱反射した透き通る羽だという事に気がついた。
私は目をキラキラ輝かせ、テディを思わず見上げた。
テディもそれに気がついて、うんうんと嬉しそうに頷く。
「妖精?!」
「です」
妖精は森でごく稀に見られる精霊の一種で、
この国に住む人なら、おとぎ話にも出てくるくらい有名な種族だ。
ただ、妖精が現れる条件はとても厳しい物で、
絶対の第一条件は、
フェアリーリングと呼ばれるキノコがある場所じゃないと出現しないのだ。
妖精達の舞う足元を見れば、確かにそこにフェアリーリングが存在した。
「すごい…なんて幸運なの!」
視線は妖精に釘付けになったまま、うっとりと呟いた。
「昨日沐浴をした際にあのキノコを見つけたんで、もしやとは思ったんですよ!僕も本でしか知らない存在でしたが、早朝か夜中が一番出現するって聞いてたので」
妖精達はこちらに気がつく様子もなく、ヒラヒラと楽しそうに踊っている。
小さな花を撒き散らしている子、
キノコの上で楽器を弾いてる子、布を手に持ちクルクル回っている子。
様々な妖精がキノコの輪の中から飛び出してくる。
輪の向こうには妖精の世界があるらしい。
暫くすると、輪の中から他の妖精とは何処か違う格好をした、
妖精が2匹飛び出してきた。
2匹はそれぞれ、ピンクや水色の花で作られた衣装を身にまとっている。
その妖精を中心に他の妖精が、祝福するかのように歌や踊りを披露している。
2匹はお互いに向き合い、クルクルとダンスをすると、
互いの衣装から花の蜜を取り出し、お互いに交換をすると口に含んだ。
その瞬間周りの妖精たちから、小さいながらも歓喜の声が上がり、
小さな小さな虹がキノコの上に掛かったかと思うと、
踊りながら、キノコの輪の中へ全ての妖精が吸い込まれて行った。
それと殆ど同時に、森を包んでいた霧はすっかり晴れてしまった。
テディと私は妖精が消えた後も、しばらくその場から動くことは出来なかった。
「妖精の……結婚式?」
自分でも不思議なくらい、ごく自然にそんな言葉が私の口から漏れて出ていた。




