約束の深意 1
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足元に広がる真っ青な水面に辺りを見渡せば真っ白な空間が広がっていた。
水面は何処までも続いていて、水位は足首ほどの高さしかない。
私は靴も履かずに気がつけばそこに立ち尽くしていた。
(靴?クツってなんだったかしら?)
まぁいいか。と思って取りあえず歩き出す。
風もなく穏やかな水面をバシャバシャと白いワンピースを翻しながら進んでいく。
水面はキラキラと輝いていて太陽もないのに眩しいくらいだった。
(うーん?太陽?嫌だわ。思ったそばからそれが何だったか忘れていくみたい)
ちょっと怖いなと思いながらも、一歩二歩と進んで行けばやっぱりまあいいか。と結論づける。
暫く進んで行くと、何もなかった水面に首が痛くなるほど見上げなければいけないような大きな大きな白い扉が目の前に立ち塞がった。
「大きいわねぇ…」
と、思わず感嘆の声が漏れる。
扉はしまっておらず、奥の方から暖かな光が差し込んでいた。
(あっちは何だかとても暖かそうね…)
なんとなくその光に導かれるように扉の中へと足を一歩踏み出す。
二歩目を踏み出そうとした瞬間、「びゃーー!」という喉を潰したような何かの鳴き声が背後から聞こえてきた。
驚いて振り返ればスカートの裾に噛み付いてじゃれてくる小さな猫のような動物が私の足元に居た。
「まぁ、かわいい!!貴方、どうしたの?」
私が屈んでその子を見れば、キラキラと可愛らしく丸い瞳が私を見上げていた。
「びゃーびゃー!びゃー!」
何かを訴える様にその子は鳴き声を上げる。頭を撫でてあげると嬉しそうに擦り寄ってきた。
(可愛い!!)
ぐるぐると喉を鳴らすその子に夢中になっていると、不意に後ろから声をかけられた。
「ちょっと、行かないんですか?行かないなら私が先に行きますが」
振り返れば何処かで会ったことがあるような男性が怪訝そうにこちらを見ていた。
「あ…ごめんなさい。どうぞお先に」
足元にいた子を抱きかかえて扉の端に避けると、男性は「割と痛かったな…」と呟き、お腹をさすりながら扉の奥へと入って言った。
(私もそろそろ行かないと)
そんな気がして抱きかかえていた子を下ろすと、
「じゃあね。バイバイ」
と、手を振って中へと入ろうとする。
すると今度はむぎゅっと後ろから小さな子供の手がスカートを掴んで私を引き止めた。
振り返れば4〜5歳程度の猫のような耳の生えた小さな男の子が泣きそうな顔でこちらを見上げていた。
『ダメだよレティ、行っちゃダメだ』
突然現れた男の子は小さな眉を顰めて私をグイグイと引っ張って扉から引き剥がそうとする。
驚きつつも男の子にされるがままついて行くと、扉の端で屈み込んで男の子に話し掛けた。
「貴方はだあれ?どうして私を引き止めるの?」
私がそう言うと男の子は私に抱きついて訴える。
『ぼくはみんこだよ。レティ、あっちに行かないで。あっちに行ったらレティはレティじゃなくなっちゃう』
「みんこ?何故かしら。何処かで聞いた事があるような気がするわ…」
何だか懐かしい響きに胸に手を当てる。すると更にみんこは涙を浮かべてギュッと私の腕に抱きついてきた。
『忘れちゃったの?ライリの隣にぼく居たのに。お願いレティ、あっちに行かないで。帰ろう。フィオも待ってるよ』
困ったわ。どうしたらいいのかしら?私はあっちに行かないといけない気がするのに。
「帰るってどこへ帰るの?それにフィオって……誰だったかしら」
聞いた事がある筈なのにぼんやりとしていて思い出せない。
するとみんこは更に困った表情で必死になって私に訴えてきた。
『フィオディール!テディの事だよ!もしかして、テディも忘れちゃったの?』
……テディ?
何故かしら。胸が締め付けられるみたいに苦しい響きだわ。
どうして?テディって一体なんなのかしら……
(ここに来る前にその事について考えていたような気がする。でも…)
「…ごめんなさい。思い出せないわ。何か、大事な事だったような気はするんだけど……」
『そんな!ダメだよレティ思い出して!とても大事な人だよ。ねぇ、アベルは覚えてる?レイは?クロエやダニエルは?お父さんも覚えてない?』
みんこの問いにやはり答えられずに私は首を横に振る。
大事な人って何かしら?思い出さないといけない事なの?どうして?
だって私は彼処に行くのにーー
扉を見れば、いつの間にか沢山の人が集まって中へと吸い込まれるように入っていく。
それを見て私は何故か酷く焦りを感じて立ち上がる。
「行かないと…置いていかれてしまうわ」
『ダメだって!レティ!行っちゃダメだ!!』
「でも…」
ポロポロと泣き出してしまった男の子にどうしていいかわからずしゃがみこんでギュッと抱きしめる。
「大丈夫、泣かないで。そばにいるわ。……貴方、なんて名前だったかしら?」
『…ぼくは、みんこ、だよレティ』
「そう…どうして泣いてるの?何か悲しい事があったの?」
『レティ…』
尋ねると、またかなしそうに男の子は泣き出した。
暫く男の子を抱きしめていると、今度は鳶色の髪をした男性がふらふらと扉の中へと入って行った。
「誰かしら…何処かで……」
会ったことがある様な無い様な…どこか懐かしい面影に心を惹かれて後をついて行こうと立ち上がる。
『レティ…行かないで…』
しゃっくりをしながら言う男の子に申し訳なく思いながら、力無く笑って見せる。
「ごめんなさい。でも、本当にもう行かないと」
元気でね。と男の子の頭を撫でて扉へと進む。
『レティアーナ!ダメだ!!行くなっ!!』
もう少しで扉の奥が見えそうだと思った所で、今度は強く腕を引き寄せられた。




