ワガママに癖あり 8
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アルダの家は、店から見て向かい側の、表通りの脇道にあった。
あちら側が娼婦街なのに対して、
こちら側は娼婦街で働く人達の住居街となっているらしく、
皆働きに出ているのか、どこも閑散としていた。
家もアパートから小屋敷まで、様々な家が建ち並んでいて道幅も広く、
王都のようにじめっと暗い雰囲気は全くなかった。
ここだよと言って、
アルダは表通りにほど近い、小綺麗なアパートの鉄門を開ける。
「3階の右側の部屋に寝床用意しといたから、そこを使うといい。中のものは好きに使っていいよ」
とアルダは鍵をクロエに渡した。
「もしかしてこのアパート、アルダのアパートなの?」
アパートは茶色い煉瓦造りで五階建てとなっていて、
エントランスには小さな噴水と植物のアーチがある。
「ああ、従業員の宿舎も兼ねててね。中まで案内してやりたいとこだけど、ちょっと店が忙しくなってきてて、すぐ戻らないとならないんだ。詩人様々だよまったく。悪いけど後は自分らで勝手にくつろいどくれ」
「アルダ!ありがとう!」
とバタバタと走り去るアルダに向かって叫ぶと、
アルダは片手を上げて応えてくれた。
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アルダに言われた部屋は思っていたより広く、
人1人が暮らして行くには十分過ぎるくらいはあった。
寝室のベッドは二段ベッドになっていたので、相部屋となっているようだ。
本を鞄から取り出し荷物を寝室に置くと、リビングへ移動しソファーに座る。
クロエは各部屋の様子を確認して戻ってきた。
「湯殿も整っていましたよ。お手伝い致しますか?」
あの短時間でお湯まで沸かしていたなんて、
なんだかアルダ申し訳ない。
「大丈夫よ。じゃあ、先に頂くわね。クロエはゆっくりしてて」
本をテーブルに置き、荷物から着替えを取り出し浴室へ向う。
湯船には香水が入っているのか、バラの香りがほんのり漂っていた。
お風呂から上がると、クロエがお茶を入れてくれていた。
「では、私も頂いてきます」
と今度はクロエが浴室へ向かった。
私はクロエが戻るまで、持ってきた本に目を通す事にした。
持ってきたのはウイニー全土の旅行記。
公爵家といえど、流石に地図は所有していないので、
図書室にあった旅行記を頼りに、旅をするつもりだったのだ。
クロエが地図を持っていたのは鴨ネギだったと言える。
パラパラと本をめくり、明日宿泊予定のイオドランの項を探す。
イオドランはやはり海軍の本拠地となっているらしく、
フェンスのような商業発展した街というよりは、重厚感のある港街のようだ。
そしてその領主は…
私は「っげ」と思わず声をあげた。
…デメリンド侯爵領と書かれている。
ーーそれは3年前
デメリンド侯爵主催の晩餐会に、父に連れられ参加した事があった。
その時に私は、
デメリンド侯爵夫人とちょっとしたトラブルを起こしていたのだった。
そのトラブル以降、私はどうも…というかどういう訳か、
あの一家に勘違いをさせてしまったようで、
ちょっとばかり…いやかなり…たちの悪い息子の嫁に私を…
と思っている節があったりする。
16の誕生日を迎えるまでは、その息子が割とアプローチしてきていたんだけど、
レイとの噂が立つようになってから、
あることがきっかけでピタリとそれは収まっていた。
………今回のレイと破局したという噂が、まだ耳に届いてない事を祈るしかない。
パタリと本を閉じ、ふーっと息を吐き出した。
イオドランの領主が話のわかる人だったら、
立ち寄ろうと思っていたけど、これは避けた方が良さそうね。
そうなると…と作戦を練り直していると、
クロエがお風呂から帰ってきた。
鎧姿だった昼間と一転して、淡い水色のネグリジェ姿だった。
濡れた髪がキラキラとランプに照らされ、
幻想的で思わずほぅ…っと見惚れてしまった。
「私もクロエみたいに、もっと大人っぽかったらよかったなぁ」
とポツリと呟く。体のラインも出るとこでて、引っ込むところ引っ込んでて、
背も高くてこの容姿。
一方私は引っ込むところは引っ込んでても、
出るとこ出てないし普通の人より背が低い。
ジッと自分の胸に手をやり、はあぁ…と嘆息をもらした。
クロエは困ったように苦笑して、
「私は姫みたいに可愛い女の子になりたかったですよ」
と言った。
「かわ…いいかなぁ?確かに金髪で青い目でそれなりに目立つかもしれないけど、それなりの格好しないと女の子に見えないよ?」
「私には充分の可愛らしい女の子に見えますが…それに、姫はまだまだこれからですからもっと成長すればきっとお美しくなりますよ」
うっ…夜なのに微笑みが眩しい。
「そ…うかな?ありがとう」
と照れながらお礼をいい、それはそうと…と明日の話をする。
「イオドランに着いてからの話なんだけど、私、あそこの侯爵家と昔トラブル起こしてて…詳しく話すと長くなっちゃうから省くけど、あそこの息子に言い寄られてるのよね」
クロエは私が話を始めると、
浴室の扉付近から向かいのソファーに移動し、腰を落ち着け相づちを打つ。
「その、ちょっと、かなり、勘違いが激しい一家で…街中で会うことは無いとは思うんだけど…」
口を濁しながら話すとそれでも察してくれたようで、
「判りました。私も警戒を怠らないように気をつけましょう」
と言ってくれた。
「ありがとうごめんなさい。…あ、あと今日の事も!クロエをいっぱい振り回しちゃった。ごめんなさい」
深々と頭を下げると、ギョッとした顔でクロエは慌てた。
「姫、よしてください。私は仕事ですから気になさらないで下さい。それに、長く会ってなかった恩人の店を見つけたら誰だって嬉しくなります。…今日はアルダ殿にお会い出来て良かったですね」
父やレイならすごく怒るだろうに、クロエは微笑みながらそう言ってくれた。
立場や地位は気にしても、優劣は付けない人なのだと感心する。
レイはとてもいい人を護衛につけてくれた。帰ったら何かお礼をしよう。
ありがとう。とまたお礼を言い、それでね…と話を続ける。
「私はほら、あんな格好してるし帽子も被ってるからぱっと見、男の子に見えなくもないじゃない?だからいっそ男の子のフリでもしようかなって思うの。その方が野党とか狙われにくいだろうし」
どうかな?とクロエに問うと、
どうですかねぇ…と、曖昧な返事を返す。
「それにほら、宿帳とかに私の名前を書くわけにはいかないじゃない?だからその、姫っていうのは…なしの方向で」
だめ?と首を傾げ両手を合わせクロエをじっと見る。
すると
「判りました」
とクロエは頷いた。
「では、何とお呼びすれば宜しいでしょうか?」
んー…と周りを見渡すと本に目が行った。
著者名にはダニエル・ペペスと書かれていた。
「ダニエルで」
「承知致しました。ダニエル様」
とクロエが言うので、
えっへんと胸を張り腕組みをし、威張って返事をした。
「おうっ!頼んだぞ!」
するとクロエは「っぶ」と吹き出し、
笑いを堪えながら私に聞いてきた。
「それ、もしかして殿下の真似ですか?似てないですし、似合いません」
くっくっくと笑うクロエを見て、私も思わず笑い出す。
「失敬だな!減給だ。…まだ笑うか!懲罰房行きだ!」
後半部分は笑いが堪えきれず、ちゃんと言えなくなっていた。
「申し訳ございません。ご容赦を」
と言いながらクロエもとうとう堪えきれず、
暫くの間、私たちの笑い声が周囲に響いていた。




