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マーガレットに秘めた想い 5

 =====



 お兄様に連れられて黒い仮面の彼の元に戻ると、彼は唐突にギュッと私の手を握り締めた。

 驚いて彼を見上げたものの大きな仮面の所為で何を考えているのかさっぱり判らない。


 彼の隣にいたお姉様が苦笑混じりに、

「一緒にダンスを踊りたかったそうですよ」

 と、彼の気持ちを代弁した。


「うーん。でも貴方踊れないのよね?初めてでワルツは無理だと思うわ。皆簡単に三拍子を踏んでるように見えるけど、規則正しい三拍子に見えて実はそうじゃないし、人にぶつからないようにああやって大きく左回りに周回しないといけないの。途中でもたついてたら他の人の迷惑になってしまうし…困ったわね」

「レティ…多分彼はワルツを踊りたいんじゃなくて、レティと並んで踊りたいんだと思うよ」

 私が眉間にシワを寄せて悩んでいると、後ろからお兄様が少々呆れたように私に言った。


「んん?言っている意味が良く解らないわ。それは結局ワルツを踊りたいのよね?」

 首を傾げてお兄様に聞くと、今度は彼がガックリと肩を落として項垂れてしまった。


 そんなに踊りたかったのかしら?

 うーん…もしかして貴族の社交界みたいなものに憧れてレイに頼んでここに来たのかしら?

 そうなると、ワルツも踊ってみたいって思うのも当然よね。


 どうしたものかと思案していると、お兄様が私の肩をポンと叩いて彼に言った。

「こんな妹ですが、よろしく頼みます」

 チラリと私を見てお兄様は「ふぅ…」と溜息を吐き出した。

 黒い仮面の彼は今度はお兄様の手をギュッと両手で握ると、ぶんぶんと大きく握手をしてみせた。


 お兄様も苦笑混じりにそれに応えると「あまり遅くならないようにね」と私に言ってお姉様を連れてホールの奥へと消えて行った。


 なんだか子供扱いされてしまったみたいだわ。と2人の背中を見つめながら苦笑する。

 ちゃんとお兄様と話し合えた所為か、今は不思議と2人の姿を見ても穏やかでいられる自分が居た。


 しかしどうしたものだろうと振り返って彼を見上げる。

 私も男性のステップを教えられる程上手いと胸を張れる自信は流石にない。

 なんせ2年のブランクがある上に、公式な場所で踊ったのは今回を入れても数える程だ。

 リードなどどだい無理……


「あ、そうだわ!」

 と、私は彼の手を引いてホールから廊下へと進んでいく。

 ホールのふたつ隣の空き部屋に入ると、そこから更にバルコニーへと進み出る。

 少々暗がりだけどここなら演奏も聞こえるし割と広いバルコニーなので多少なら踊れる…と思う。


「ステップを教える事は出来ないけど、ここなら誰も来ないと思うし適当に踊っても笑ったりする人は居ないわ」

 にっこり笑って彼に言うと、彼は少し困惑気味にコクリと頷いて応えた。


 私は彼の手を私の背中と手に誘導すると、

「曲に合わせて…は難しいかしら?ゆっくり私の足に合わせてみて?本当は下を見たらいけないんだけど…」

 と言いながら私は彼の腕に手を添えて、一歩踏み出して彼を誘導してみる。

 すると彼もぎこちない動きで一歩一歩確認しながら私の動きに合わせて歩みを進める。


「そう、そうだわ。貴方凄く飲み込みが早いのね?慣れてきたら足は見ないで顔はまっすぐ前を向けて踊って見て?」

 流石にふらふらとしているけれど、勘がいいのか彼はくるくると上手に私をリードし始める。

 見上げれば大きな仮面でやっぱり顔は見えないけれど、必死ながらもどこか楽しそうに踊っている気がした。

 ステップはでたらめなのに何だか今までで一番楽しいダンスのような気がする。

 きっと純粋にダンスを楽しんでいる相手だからなんだわ。


 必死に踊る彼を見ながら思わず「ふふふ」と笑みがこぼれる。

 すると彼は勘違いしてしまったのか、心なしかしょんぼりとして肩を落としてしまった。

「ああ、違うの!別に変なところがあったとかそう言うんじゃなくって、貴方なんだかとても楽しそうだったから。それともやっぱりちゃんとしたダンスの方が…良かったわよね。ごめんなさい。ちゃんと教えられなくて…」


 申し訳なく思って項垂れると、彼は慌ててブンブンと首を振って私の両手を掴むと少々大袈裟に握手をしてきた。

 どうやら十分楽しかったみたいだ。

「そうだわ!次に会う時までに私も少し教えて上げられるように男性のステップも勉強しておくわ。あ…でも……」

 私、彼がどこの誰だか知らないわ。レイに頼めばまた会えるのかしら?


 言い淀んでいると彼はまた首をブンブンと横に振って私に答えると、ギュッと手を握り締めた。

「もしかして、もう会えないのかしら?」

 と、彼に問うと、彼は躊躇いがちに小さくコクリと頷いた。

「そう…凄く残念だわ…」


 シュンとして握られた手に視線を落とす。

 せっかく仲良くなれると思ったのに…と思ったところで、ポロリと涙が零れ落ちた。

「あれ…やだ、何で!?」

 まったく泣くつもりなんて無かったのに。なんだか最近涙腺が緩い気がする。


 黒い仮面の彼は泣き出してしまった私に驚いた様子で、オロオロと手をこまねいていた。

「ごめんなさい、違うの。泣くつもりなんて無かったんだけど…」

 ちょっとごめんなさい。と言って私は彼に背を向けると、仮面を外して涙を拭い取った。


 すると後ろからフワリと大きな腕が私を包み込んできた。

 背中に彼の鼓動がドキドキと伝わってくる。

 私は驚いて彼に振り向こうとすると、彼はそのまま「よしよし」とでもする様に私の頭を優しく撫でた。

「あの、慰めてくれてるのかしら?」

 そう問いかける私に答えることもなく、彼はそのまま私の頭を撫で続ける。

 彼は決して私と話そうとはしないけれど、とても優しい人なのだと、胸がじんわり暖かくなった。


「あのね、仲のいい友…私にとって、凄く大事な人がいてね」

 ポツリポツリと私が話し始めると、彼はピクリと撫でていた手を止めて私の話をじっと聞き始めた。

「毎日手紙をくれてたんだけど、最近その手紙が来なくなってしまったの。その人は今、リン・プ・リエンの戦争で…兵士として戦ってるらしくって……何かあったんじゃないかなって…凄く不安で…」


 ふと、あの時の夢をまた思い出す。

 生気のない手から零れ落ちるキャスケット。今はテディの手元にあの帽子は無いけれど、戦争であれと同じ事が起こってもおかしくないのだ。


 瞳の奥からまた熱い物がじんわりと浮かび上がってくる。

「彼は、凄く強いし…忙しい立場の人だから…ただ忙しくて、手紙を書けないだけなんだって、思うんだけど…確かめようって思って、ペンを取ろうとすると、どうしても、返事が無かったらどうしようって…そればっかり考えてしまって……今日も、仲良くしていた人が、何も言わずにリン・プ・リエンに帰ってしまったの…お別れも、お礼も言えなかったわ」


 彼の腕に縋るように私は彼の腕を抱き締める。

 怖くなって震える私の身体を押さえ込むように彼の腕に力がこもった。

「もし、もしこのまま2人に会えなくなってしまったらって、思っただけで凄く怖くなってしまうの。大丈夫だって言い聞かせても、どうしても悪い方に考えてしまって…」


 ふっ…と喉の奥から空気が漏れる。

 堪えていた涙が一気に頬を伝う。

 彼は1度私から腕を離すと、私の前に歩み寄って指で涙を拭き取ると、ギュッと私の頭を胸に押さえつけるように抱きかかえてきた。

 私はそのまま彼にしがみ付いて、声も抑えずに暫く彼の胸の中で泣き続けた。


 バルコニーの前に広がる中庭からは夏の虫が静かにチリチリと鳴いている。

 すぐそこではくぐもった音のワルツがいつの間にか軽快なブランルへと移っていた。


 私はそれに気がついて、慌てて彼から身を離す。

「ごめんなさい、ブランル始まってしまってるわね。ああ、服も汚してしまったわ…本当にごめんなさい」

 私はポケットの中にあるハンカチを手探りで探していると、彼は首を振って再びギュッと私を抱き締めた。


(本当に優しい人…)


 私はもう大丈夫だと、ぽんぽんと彼の背中を叩いて答えた。

「ありがとう優しい人。貴方には関係ないのに、楽しい筈の舞踏会を台無しにしてしまって本当にごめんなさい。もう会えなくなっても、貴方はどうか幸せに」

 切に願いを込めて彼に語りかける。

 もう2度と会えなくても、この優しい彼が幸せに生きて行けますようにと。

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