帆柱の屋烏 3
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テディの衝撃的な告白から一夜が明ける。
あの後私は本当に動けなくなってしまい、テディに催眠の魔法を掛けられるまで茫然と立ち尽くしたままだった。
テディに起こされて目を覚ますと、テディは苦笑しながら「おはよう」と私に声を掛けた。
目覚めたばかりで少しぼーっとしていた私は、すぐに昨日の出来事を思い出してみるみるうちに真っ赤になってしまった。
「お…はよう…えっと、フィオディール、様?」
消え入りそうな声で慣れない彼の名前を呼ぶ。
流石に私も隣の国の王族の名前くらいは知っている。
フィオディール・バルフ・ラスキンと言えば、リン・プ・リエンの第三王子だ。
噂では"王妃殺しの王子"と、何とも物騒な肩書きがあるけれども……
私の挨拶を聞いて、テディは「むっ」と顔を歪めた。
「本名で呼ぶならせめて愛称で呼んで下さい。他人行儀で凄く嫌です」
私もダニエルに同じような事を言ったので凄く気持ちはよく判るのだけど、今になって初めてダニエルの気持ちもよく解ったわ。
「だって、まさか、王子だなんて…レムナフさんや他の兵士達の態度とか、たまにレイの事をレイって普通に呼んでたりしたからそれなりに偉い人なんだろうなとは思ったけど……」
ウイニーを他国の王子が我が物顔で歩いてたなんて誰が想像出来るっていうの?!
…私、昨日その王子様に告白された……のよね。
再び思い出して私はまたまた顔を紅潮させる。
両頬を押さえて俯く私の頭上に、朝一番のテディの溜息が落とされ僅かに私の髪に掛かった。
「僕そんなにボロが出てたんですね。お願いですから普通にして貰えませんか?好きな人に余所余所しくされるのはかなり堪えます…」
す、好きな人!?
好きな人って言った!?
目を見開いて思わずテディを凝視する。
テディも釣られたように赤くなって、コホンと小さく咳払いをすると、私の腕を引っ張って立ち上がった。
「もう、いいです。ほらレティ。今見ておかないとあっという間に日は昇ってしまいますよ?」
そう言いながらテディは船の前方へ顔を向ける。
同じようにそちらを向くと、水平線から僅かに顔を出し始めていた太陽がゆっくりと顔を出す。
まるでこちらに迫って来るような錯覚すら覚える太陽は、水平線に赤い光の帯とその下に真っ黒な影を作り出す。そしてやがて水面には太く真っ直ぐなオレンジ色の光の道が船に向かって力強く伸び、船はまるでその道を辿るかの様に真っ直ぐ進んで行く。
「綺麗…まるで神様の国へ向かってるみたい」
溜息と一緒にそんな言葉が自然と漏れた。
漆黒から青へ青から赤へそしてまた青へと空は表情を変えていく。
朝日が水平線から完全に顔を出すと、夜の間マストで休んでいた海鳥は羽を広げ、風を掴んで早速腹ごなしへと出掛けて行った。
波音だけが響き渡っていた甲板が俄かに活気出す。
「そろそろ戻りましょうか。お腹も空いたでしょうし、今日はいよいよ忙しいですからね」
と、テディは腰に結びつけていたロープを解き始めた。
「あの、ありがとう。一生忘れないと思うわ」
感動の余韻に浸りながら私はテディにお礼を言う。
テディは私のロープを解き終えると、
「またいつか、今度は夕日も見せてあげますよ」
と、いつものようににっこり微笑んだ。
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見張り台から甲板へ戻って来た時は、嫌でもテディを意識せざるを得なかった。
抱き抱えられてるという事実だけでも緊張するのに、昨日の今日でこの状況なのだから意識するなという方が無理だと思うの。
それなのに、甲板に着地して真っ赤になりながらテディから離れてふと周りを見渡すと、いつ気が付いていたのか兵士達が遠巻きにはやし立てるようにこちらに注目しているんだもの!
飛び降りて海に沈みたいと心の底から思ったわ。不幸中の幸いは早朝でその人数が少なかった事だわ。
「見てなくていいんで仕事して下さい」
と、テディは例の怖い笑顔で兵士達を睨みつけると、部屋へ送りますと言って私を部屋まで連れて行ってくれた。
メルに私を任せると、テディは名残惜しそうにその場から立ち去った。
メルはと言うと昨日夜部屋に戻らなかった私を見て、青くなったり赤くなったりしながら物言いたげに食堂へ朝食を貰いに行った。
朝食を取っている間中メルの視線がそわそわと落ち着きなく突き刺さり、最終的に私が耐えられず、
「メルが思ってるような事は全然なかったからそういう目で見るのやめてくれないかしら?」
と、私から言うハメになったのだった。
昼前には甲板の慌ただしさも増し、町から少し離れた場所に船は着岸した。
暫くするとレムナフさんが私達を迎えに来て、
「どうぞこちらへ」
と言って、岸の方へ誘導した。
「あの、テディは?」
「先に降りてお待ちですよ。被害者の方の処遇について話し合わなければなりませんから暫くは忙しいかと思いますが、ハニエル様を差し置いて勝手にいなくなるような事は御座いませんから安心なさって下さい」
私の不安を察したレムナフさんは私に向かってパチリとウインクしてみせる。
もしかしてレムナフさん、テディが私の事をどう思っているのか知っているのかしら…
そう思ってまた顔が熱くなる。
あの告白を聞いてから、私全然落ち着かないわ。
というか、テディに会ったら何を話せばいいのかしら。
うー…ダニエル相手だったらどうにでもなるのに、なんでこう上手くいかないのかしら。
頬を抑えながらレムナフさんについて行くと、岸にはテディの他にリオやダニエル、そして見覚えのある金髪と黒髪がチラリと見えた。
「げっ…」
と、思わず私は甲板の影に屈んで隠れる。
が、時すでに遅しで、ちゃっかり私の姿は確認されていた。
「隠れても無駄だぞ。とっととそこから降りて来い!じゃじゃ馬娘」
おそるおそる甲板から顔を覗かせると、驚いた顔のお兄様と、腕を組んで睨みつけるレイの姿が目に飛び込んできた。
あれは絶対殴られる…
と、頭を抱えて溜息をついた後、スクっと立ち上がりこれでもかとばかりに居直って、威風堂々たる歩みで船を降り、レイとお兄様の前に立ち粛々と丁寧に淑女の挨拶をしてみせた。
「お久しぶりですわ殿下、それにお兄様も。ワタクシの所為でこのような場所までご足労頂くことになるとは思ってもいませんでした。本当に心苦しい限りでございますわ。申し訳御座いません」
先手必勝とばかりに深々と頭を下げてみせる。
顔を上げるとレイはかなり驚いた顔をして私を凝視していた。
「お前…何か変なものでも食べたのか?」
「さぁ?殿下が普段お召しになっている物に比べればワタクシの食す食事など変なものに当たるのかもしれませんが、至って普通のものを頂いておりますわ」
ニッコリ微笑んで余裕綽々とばかりに嫌味を返すと、
「あぁ、そうだった、お前はそういう奴だったな…様するに更にヘソが曲がった方向へ成長したわけだ」
と、辟易しながらレイは言った。
「まぁ!ワタクシなど殿下の足元にも及びませんわ。そう言う殿下は少し見ない間に随分とシワが増えたんじゃ御座いません?眉間の辺りなんてくっきりと跡まで残って…まだお若いのにお可哀想に」
「何処かの従兄妹が俺の心労を減らすどころか増やす事しか頭に無い所為で常に苦労が絶えなくてな。ああ、牢屋にぶち込んでおけばそのシワも減るのかもしれないな?」
「殿下がそう言うご趣味をお持ちだとはワタクシ存じ上げませんでしたわ」
ふふふ。ははは。と不穏な空気を醸し出して笑い合う私達に、お兄様が大きな溜息をついて、
「お前達、いい加減にしなさい。客人が驚いているぞ…」
と、頭を抱えて呟いたのだった。




