海の見えない船旅 3
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懐かしい感覚に瞬きをする。
足元は白くふわふわで冷んやりした雲の上。
更にそのしたにはいつか見たハイニア大陸の風景が広がっている。
2年前、歪んだ運命を見たあの時と同じ状況だ。
(嫌だわ…またあんな夢を見ないといけないのかしら…)
と、胃のあたりに不快感を感じる。
しかし、どうやらそうではないと思えたのは、奥の方に難しい顔で眼下を覗き込む人物を見つけた時だ。
「ッチ、予想はしてたがエルネストに勘付かれたか。あっちにも戦艦をもう少し残しておくべきだった」
何やら苛立たしげにその人物は眼下を観察してブツブツと文句を言っている様だった。
その台詞の意味は解らないけど、目の前の人物が私のよく知っている顔にも関わらず、見たこともない様な剣呑とした表情と荒々しい口調をしている事に、別人では無いかと目を瞬かせて声を掛けることもできず立ち尽くしてしまう。
「ユニコーン!居るんだろ?アスベルグに行って少し加勢して来い!クジラはいないみたいだし海の防衛はお前だけで何とかしろ!陸はゲイリーに任せればいい」
下を覗き込見ながら彼は強い口調で姿の見えない神獣に呼びかける。
刹那、何処か面倒くさそうに首を振る角の生えた白い馬が雲の中から現れた。
(あ、あの時のユニコーンだ)
彼らに個体があるのかは判らないけど、確かにあの時に出会ったユニコーンだと感じた。
ユニコーンは一瞬だけ私を見ると、何処か意地悪そうに瞳を輝かせて大きく雲を蹴り上げる。
力強く雲の上を旋回すると、私の方へ駆け寄って、微かに鼻先を寄せてくる。
擽ったさに身をよじらせていると、雲の下を観察していた人物が振り返り、唖然としたような呟きを漏らした。
「レティ…?何でここに!?」
驚きのあまり声を失う彼を満足そうに見つめユニコーンは1度だけ嘶くと再び雲を蹴り出して、呆然とした彼の横から眼下に広がるハイニアの地へと駆け出して行った。
雲の上には私と唖然としたまま動けなくなっている彼……テディだけが残された。
えっと…本当にテディでいいのよね?
おそるおそる彼に近づいて、彼の顔を覗き込む。
どこをどう見てもテディの顔をしているけど、なんだか心ここに在らずだわ。
「テディ?大丈夫?」
試しに顔の前で手を振ってみる。
すると漸く意識を取り戻したのか、パチパチと瞬きをして私の肩を掴むとガクガクと揺らして青い顔で何やら必死に訴えてくる。
「なんで、なんでレティがここにいるんですか?!ここは契約者じゃないと入れない筈なのに!いやっ、そんな事より、もしかして今の話聞いてましたか?!あれ、本当の僕じゃないですから!!」
「う、うん?うん?お、落ち着いてテディ、私もよくわからないから」
夢だというのに強く揺さぶられる体に妙に生々しく痛いという感覚が伝わってくる。やっぱりここは普通の夢とは何かが違うのかしら?
「すみません」と慌ててテディが離れると、私はホッと息をついてテディを見上げる。
「ええと、契約者しか入れないって、神獣との契約のお話?ここはやっぱり普通の夢ではないのよね?あ、でもずっと前に歪んだ運命を見て、ユニコーンとお話しした時に私かテディにしか出来ないって言ってたことがあったから何か関係があるのかしら?」
何とか話を整理しようと首を傾げる私をテディは凝視する。
契約者しか入れないって事は、テディしか入れない訳で、私がここに居るのはやっぱり不自然なのよね?
なんだか悪い事をしてしまったみたいだわ。
何も言わずに黙り込んでしまったテディに申し訳ない気持ちが込み上げてくる。
とりあえず出て行った方がいい事に違いはないだろうと結論づけて、テディに謝罪する事にした。
「えっと、ごめんなさい。私気づいたらここにいて…ここに居たら駄目よね?うーんと、確か前の時はそこから落ちて目が覚めたから…うん、私出て行くね。邪魔しちゃって本当にごめんなさい」
穴の空いた場所から飛び降りようと足をかけると、慌てたようにテディが私の腕を掴んで止めた。
「待って!駄目でも邪魔でも無いですから!その、前にもここに来た事があるんですか?ユニコーンと話した事があるって、詳しく聞かせてもらってもいいですか?」
まだ少し困惑した様子のテディに言われて、私は2年前のベルンで起きた不思議な夢の出来事を語った。
あの時はとにかく恐ろしくて、手紙でテディに話すことは出来なかったのだ。
包み隠さず全てを話すと、テディは何とも不快そうに顔を歪めていた。
自分の死体を見られたなんて気分のいいものじゃ無いものね…
「こんな話聞きたくなかったわよね…ごめんなさい。でも、ライリ女王陛下に手助けをしてもらえたから、歪んだ運命とかいうのは回避出来たらしいしもう大丈夫な筈よ?」
「あ、いえ、そうじゃないです」と、テディは慌てて首を振る。
「どうも僕の頼んだ事以外にユニコーンが勝手に動いてたみたいで…レティに不快な思いをさせてしまったみたいで、謝るのは僕の方です。すみません」
「不快だなんて…確かに怖かったけど、テディを助けることが出来たなら良かったことだわ。んっと、ユニコーンに頼んでいた事って?」
「ええと…それは……」
と、何故か顔を真っ赤にしてテディは私から視線を逸らす。
そわそわと落ち着きがない様子を訝しんでいると、テディに頼まれていた用事が済んだのかユニコーンがスッと雲間から姿を現した。
『主は狭量故、運命の乙女が寝ている間に他の者に祝福を与える事、由と思うていない』
「わーーーーー!!なんて事言うんだお前は!!」
テディは今まで見たことがない位慌てふためいてユニコーンに掴みかかろうとしたものの、ユニコーンは素早く避けて私の後ろに隠れてしまう。
ゆでダコの様に真っ赤なテディに対して、ユニコーンは何処か面白そうに目を輝かせている。
うん?テディが狭量で、運命の乙女って私の事よね?寝てる間に祝福を与えるってどういう意味かしら。
ユニコーンの言葉はいつも何処か謎めいていて解釈するのが大変だわ。
「テディが狭量だと思った事はないけど、私が寝てる間に祝福を与えるって何かの例えなのよね?そう言えば、なんで貴方は私を運命の乙女って呼ぶのかしら?」
クルリと振り返ってユニコーンに聞くと、彼は首を傾げて不思議そうに答えようとした。
『自明、主にとって貴嬢は運ーー』
「あーーー!あーーー!そう言えば君は僕の言いつけをちゃんと守りませんでしたね?!何勝手な事してレティを困らせているんですか!僕は彼女に妙な夢を見せろと言った覚えはありませんよ!」
何か必死に隠そうとしているのか、テディは怒った顔でユニコーンの言葉を遮って怒鳴りつける。
釈然としないとでも言いたそうにユニコーンはブルブルと首を振ると不服そうにテディに訴えた。
『否。我は命令に従った。乙女は常に安眠。然し故に我と繋がり深くなりし。我関せず』
その言葉にテディも私もキョトンとする。
「えっと、もしかして私がよく眠れるようになったのはやっぱり貴方のお蔭で、それを命令したのはテディって事かしら?で、一緒に居るうちに私も貴方と仲良くなったからこういう夢を見るの?」
私が必死に解釈すると、それが答えだと嬉しそうにユニコーンは私に擦り寄る。
なんだ、そっか。私が懐中時計を持ってたことでやっぱり影響があったのね。
まだ赤い顔をしたまま惚けていたテディに向き直ると、私はテディの手を両手で掴んで握手をした。
「私が朝に弱いから気を使ってくれたのね。ありがとうテディ。でも、大事な物なんでしょう?起きたらやっぱり返した方が良いわよね。ごめんなさい長い間借りたままで。多分もう大丈夫だと思うわ」
心を込めて笑顔で感謝を表すと、テディは何故か「う…」と息を飲んで顔を背けてしまった。
「違うんです、あ、いえ、全く違う訳では無いんですけど…僕は、その……あ、あんな事レティが他の人にしたらと思ったら嫌だったんです!」
「あんな事?」
ってどんな事かしら?私もしかして知らない間にテディに何か失礼な事をしてしまったのかしら?
私が考えあぐねていると「意を決した!」とでも言うようにテディは握手をしていた私の両手を更に覆って力強く握り返して口を開いた。
「レティ、僕は君の事ーー」
「えっ?」
テディが何かを言おうとしたと同時に、視界が白く霞んでその姿も言葉もボヤけていく。
「何を言おうとしたの?」と問いかける事も出来ずに私の意識も霞にとらわれ、やがて現へと引き戻されていったのだった。




