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海の見えない船旅 2

「そう、そのまま舟に運ぶんだよ。お前達は見張りだ。他の奴らは残りの積荷を運んできな」

 私と居た時とはまるで別人の様に冷たい口調で男達に指示を出す。

 瞳の中には潮騒の様に揺らめく不思議な光がゆらゆらと浮き上がっている。

 一つ一つの言葉は波紋のように拡がって、軽い不快感を覚える。


 その声に呼応するかの様に、私の口を塞いだテディの手が微かに震えた。

 ジワリとその手に熱を感じる。


 セイレーンの幻術は効かないと言っていたけど、きっと全く影響が無いわけではないんだわ。

 閃光弾の時も少し痺れると言っていたし、熱も暖かいと思う程度には感じていたもの。

 少し、テディにも気をつけておいた方がいいのかもしれない。


 そっとテディの腕に手を添える。

 ぽんぽんと叩いて見せると、ハッとした顔でテディは私を見下ろした。

 声を出すわけにはいかないけど、きっと心意は伝わった筈だ。


 舟の上には別の半獣族が女性達に混じって待機している。

 隙を見て乗り込もうにも音に敏感な彼らはすぐに気が付いてしまうだろう。

 ピアが姿を消した後、男達は入り口に立って見張りを始めた。


 これではまるで隙が無いと、焦り始めた私の耳に唇が触れる距離で、テディがとてもか細い声を吐き出す。

 ゾクリと粟立つ感覚に悲鳴を上げそうになる。テディが口を押さえているからそれは叶わないのだけど。


「私が囮になるから、ハニエルは隙をついて逃げなさい?」

 ニコリと微笑んでテディは言う。


 逃げる?今更どうして…

 と、困惑する私を余所にテディは私から手を放すとスカートを翻して物陰から飛び出し、男達に飛び掛かった。

「!!」

「なに!?いつの間に逃げ出した!お前達、早く捕まえな!」

「ハニエル逃げてっ!」


 ナヨナヨと男に抵抗するテディは私に向かって声を上げる。

 そうか、これは演技だわ!舟に乗り込む隙が無いから、捕まる様にし向けているのね!


 だったら私は困惑しながら逃げればいい!

 私はすくっと立ち上がっておどおどしながら()を見つめる。

 舟の上にいた半獣族は私に気がついてさらに声を上げる。

「そこにももう1人いる!早く捕まえろ!」

「ハニエル逃げて!逃げるのよ!」

「お姉様…私…」


 困惑しつつ何とか足を一歩前へ出す。

 近づいてくる男の太い腕にギュっと目を閉じて見せると、

「ハニエル!」

 と言う鬼気迫るテディの声が響き渡る。

 ハッとして私は目を開けると、決心したかのように男の腕をすり抜けて入り口へ向かって走り出す。


 テディはと言うと、既に別の男に抱えられてジタバタと抵抗して見せていた。

「あっ…」

 と、豪快に転んで捕まり易くなるように時間を稼ぐ。

 するとタイミング良くピア達が戻ってきたらしく、気づかない振りをしてそちらへ走って行く。


「姉さん!そっちに1人逃げやがった!捕まえてくれ!」

「ッチ、メル。捕まえな!」


 曲がり角を飛び出した瞬間、目の前に立ちはだかったメルを見て思わず息を飲む。

 メルは虚ろな目のままぬるりと私の方へ手を伸ばすと、

「緊迫の鎖…」

 と呪文を紡いだ。


(しまった!)


 と、気づいた時には私の体は硬直して指先一つ動かなくなってしまう。

 私はそのまま小脇に抱えられて舟に少々乱雑に乗せられてしまう。

 慌ててテディが私を抱き起こすと、ギュっと唇を噛み締めて涙目になりながら抱きしめてきた。


「まったく、手間かけさせんじゃないよ!お前たちもこうなりたくなかったら大人しくしておくんだね!アグラオ、あんたのわけ前減らしておくからね」

「ね、姉さん…ごめんなさい」

「わかったらとっとと舟出すんだよ。まだ積荷は残ってんだ。早くしな」


 しかし、こいつは使えるねぇ…と、ピアが不敵な笑みを浮かべて呟いたのを最後に、舟はゆっくりとその場から離れていく。

 徐々に遠ざかって行くピアとメルの後ろ姿に不安を覚えながら夕闇の中、波に揺られて彼らの本船へと運ばれて行った。


 本船は町の北西方向へ進んだ小さな島の裏手に船舶していた。

 そこにあった本船は思っていた以上に大きく、豪華客船までは行かずとも、ちゃんとした商船位の大きさは裕にあった。


 驚いた事に、船の上にはピアと同じような少女姿の半獣族の他に、完全な魚人のような男性が動き回っていた。

 もしかして彼らの種族の男性はああいった魚人で、女性はあの少女姿に成長する様に身体が出来ているのかもしれない。

 町に男性の姿がなかったのは目立ちすぎるからだろうか?


 私は男に抱えられながら、船底にある倉庫の一室へ連れて行かれた。

 窓もない、じめっとした船底は意外にも清潔ではあったが、それでも小さな生き物があちこちを走り回っている。

 扉が閉まってしまえば、中は完全に闇に包まれてしまうだろう。


 何度か女性や子供が連れて来られ、最後にランプを持った半獣族の男が室内の何箇所かにある備え付けの蝋燭に火を付けると、ドサリと食料と水の入った袋を床に投げ捨てた。

「グァックポフフォフブ!」

 と、聞いた事もない泡を吐き出したような奇怪な言葉を吐いて男は船室から出て行った。

 もしかして、姿が目立つからという理由以外に、言葉を話せないから町に居なかったのかもしれない。


 辺りが静寂に包まれると、子供のしゃくり上げる泣き声と嗚咽が何処からともなく聞こえて来る。

 暫くすると船体の揺れが激しさを増し、出航したと判断できた。


 私は不意にメルに掛けられた金縛りの呪文が解けないまま、テディに支えられた状態で顔を歪めた。


 テディ達には効かない魔法も私には勿論効いてしまうのだ。

 しかもよりによって金縛りの呪文。これでは解呪しようにも口を上手く動かすことが出来ない。

 メルに捕まる前に後ろにいた男に捕まるべきだったと今更ながら後悔していると、テディが何やらモゴモゴと口の中で聴きなれない言葉を呟いてパンッと両手を一回叩いた。


「ふぅ…これで普通に話しても外に声は聞こえませんよ。一時的ですが」

 と、ニコリと笑ってテディは言った。

 チラリと周囲を見渡すと、薄っすらと部屋の壁に透明な膜のような物が張り付いて居るように見えた。

 消音結界の一種かしら?


「さて、レティの呪文を解かないといけないですね。んー………ああ、コレならすぐです。兄上を閉じ込めた時の呪文と同じものだったらどうしようかと思いましたが、感知系であれば問題なく解けます。レティ、僕の目見れますか?」

 目を細くして上から下まで私を観察すると、テディは両手で私の頭を押さえて顔を覗き込んだ。

 テディがゆっくりと瞬きをすると、鳶色の瞳が金色に輝きだす。


(この瞳…何処かで……あ、ラハテスナのライリ女王陛下と一緒なんだわ)


 なんて事をボンヤリと考えながら、その不思議な輝きに魅入られていると、パキンッと私の背中の辺りから音が響く。

 まるでそこからひび割れが出来たかのようにパリパリと全身隈なく音がすると、ピクリと私の体が痙攣を起こした。

 蝋が全身に張り付いていたような感覚が抜け落ち、私は何度か瞬きをする。

 気づけばいつの間にかテディの瞳の色も元の鳶色に戻っていた。


「解けたはずですが、動けます?」

 言われておそるおそる腕を動かす。問題なく動いた腕に私はホッと緊張を緩めた。

「大丈夫、みたい。ごめんなさい。ありがとう」

「いえ、良かったです」

 と、テディはにっこり微笑んだ。

「無事乗り込めましたし、当分僕達がやらなきゃいけない事は無いので今のうちに休んでおきましょう。体力は出来るだけ温存しておいた方がいいですから」


 そう言ってテディはゴロンとその場に寝転ぶと、ふぁ〜っと大きな欠伸をして目を閉じる。

 私もそれに続いておずおずと横になり、「おやすみなさい」と小さく声を掛ける。

 既に意識を手放し始めていたのか、テディは微睡みながらも「おやすみ…」とウトウトと返してくれた。


 よほど疲れていたのか、間も置かないうちにテディの規則正しい寝息が聞こえて来る。

 気持ち良さそうに寝るテディの吐息につられるように、私もいつの間にか同じように眠りについていた。


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