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「……どうしたらいいのかしら?」


 アマリアは悩んでいた。


 サラの攻略対象が自分だったと気づいてから早くも3ヶ月以上が経っていた。喜んでそれを受け入れたアマリアであるが、以来、彼女には一つの悩みが生まれていた。


 ゲーム的にはハッピーエンドだが、現実には“その続き”が存在する。かのゲームでもエンディング後に結ばれた二人の未来がエピローグとして語られる。例えばレオルートなら『皇妃兼聖女として生涯彼を支えた』とか、アルヴィルートだと『二人を乗せた船が旅立った』など。だが、本来ありえない「アマリアルート」の“その後”など、彼女が知るはずもない。故に、彼女は悩んでいた。


「……サラを幸せにするって、どうしたらいいのかしらね?」


 自室のベッドに横たわり、天井を見上げながらアマリアはぼんやりと考える。薄暗い部屋の中を、カーテン越しの月明かりが照らしていた。


 今やサラは『聖女の再来』と名高く、多くの人々がその一挙手一投足に注目している。以前の自信に乏しく気弱な彼女であればすぐさま押しつぶされそうなほどの重圧であったが、サラは見事にその期待に応えていた。苦手だった魔術の才能は見事に花開き、休みになるとアカデミアを出て、病や怪我で悩める人々のためにその魔術を惜しげも無く行使した。


 宮廷や軍、そして教会からも誘いの声がかかっていたが、サラはアカデミアに残って魔術の研鑽を積むことを宣言している。ほんの数ヶ月前、初級魔術すら使えずに落ち込んでいた少女は、すでに各属性の中級魔術を使えるほどに成長していた。上級魔術師資格取得は間違いないと噂されるほどになっていた。


 慈愛の笑みを浮かべて人々を救う『聖女サラ』の姿は、アマリアにとっても誇らしかった。胸を張り、人々の期待の眼差しを堂々と受け止める彼女の姿は眩しかった。


 そこにはもう、守るべき妹の姿はなかった。


 それ故に、アマリアは葛藤していた。


「……一体私に、何ができるっていうの?」


 暗いつぶやきは、闇の中に溶けていった。



「おはようございます。お姉さま」

「おはよう。今日も元気そうね」

「はい! お姉さまは……少し寝不足でいらっしゃいますか?」


 サラはこういうことに目ざとい。アマリアは少しクマの浮いた目元に苦笑いを浮かべる。


「本を読んでいてうっかり夜更かししてしまったの」

「そうでしたか」


 ニコニコと笑うサラに、アマリアも思わず笑みをこぼした。二人はいつものように連れ立って講義棟へと向かう。秋も終わり、冷たい風が吹き抜ける季節になっていた。


「そういえばそろそろ、聖ヒルダ教会から魔術師のユリア・ヴィレン様がいらっしゃるのよね。講義、楽しみだわ」

「そうですね……」


 ユリアは国内に数人しかいない癒しの魔術の使い手——つまりサラと同じ光のルーンの所持者だった。毎年、聖女ヒルダの記念日である冬至になると、アカデミアには聖ヒルダ教会から司祭が訪れて教会で祈祷を執り行う習わしだった。司祭の中でも特に重要な立場にいるユリアが派遣されてくるのは、間違いなくサラのためだろう。


 だがサラはどこか浮かない顔をしていた。勉強熱心で、このような機会を喜ぶ彼女にしては珍しい反応といえた。


「どうかして?」

「いえ……実は、聖ヒルダ教会からもお誘いをいただいていて」

「そうだったの」


 元祖聖女を祀る聖ヒルダ教会が、聖女の再来たるサラに声をかけるのは必然と言えた。あの教会には光のルーンにまつわるたくさんの資料、そして秘術の類が眠っているはずだ。サラにとっては癒しの魔術を学ぶのにうってつけの場である。


「一度見学に来ないかとも言われているのですが……」

「……行きたくないの?」


 アマリアの問いに、サラは答えない。聖ヒルダ教会は例の異端派たちの生まれ故郷でもある。基本的に警戒心が薄く誰が相手でも誠実なサラであるが、異端派の陰謀に巻き込まれ、あやうく姉妹揃って命を落としかけたばかりである。聖ヒルダ教会を警戒するのは当然だし、アマリアも実のところ同じ心境であった。


「行きたくないなら行かなくてもいいと思うわ」

「……失礼にならないでしょうか」

「あれだけの目に遭ったのだから仕方ないわ。向こうもわかっているはず。実際、捕まって死罪になった修道士の中には、聖ヒルダ教会の関係者もいたんですから」

「そうですよね……」


 そうは言ったものの、サラの表情は沈んだままだった。それ以上なんと声をかけたらいいのかわからず、二人は黙ったまま道を進んでいった。



「初めまして、ユリア・ヴィレンです。あなたがサラさんね。お会いできて嬉しいわ」


 いつも通り姉妹がハンヌの部屋を訪れると、そこには予期せぬ先客がいた。修道服に身を包んだ金髪碧眼の女はにっこりと微笑むと、戸惑う姉妹に親しげに話しかけた。


「初めましてユリア様。サラ・トゥーリです。……私の方こそ、お会いできて光栄です」


 緊張した面持ちのサラが頭を下げると、ユリアは「そんなに固くならないで」と美しい顔に優しげな笑みを浮かべた。その表情に、一瞬、サラは目を見開いた。


「では、あなたがアマリアさんね。クラウスからお噂はかねがね伺っております」

「身に余る光栄です、ユリア様」


 アマリアは一礼し、貴族令嬢らしい笑みを浮かべてユリアに対峙した。話によると年齢は30代後半ということだが、整った顔立ちと艶やかな肌は20代といっても差し支えない。知性を感じさせる深緑色の瞳に、やや丸く整った顔立ち。明るい金髪を編み上げ、修道服に身を包んだ姿からは、聖職者にふさわしい威厳と慈愛を感じさせる。


「失礼ですが、ハンヌ先生のお知り合いなのですか?」


 先ほどユリアはハンヌを「クラウス」と呼んだ。彼のファーストネームである。


「ええ、アカデミア時代の友人なんです」

「ユリアは私の先輩に当たるんだ。……君たちに会いたいと急にいらしてね」


 ハンヌは眉間にしわを寄せ、困ったやつだと言いたげにユリアを見やる。ユリアはそれを意に介する様子もなく、困惑の表情を浮かべたサラににこやかに笑いかける。


「サラさんには教会からお誘いのお手紙を差し上げたのだけど、読んでいただけたかしら?」

「ええ……はい」

「それは良かった。ねえ、ぜひ一度聖ヒルダ教会にいらっしゃらない?」

「その……私はアカデミアに残るつもりで」

「聞いておりますわ。私、それを聞いて勉強熱心で素晴らしいととっても感心したんです」

「ありがとうございます」

「勉強の一環としてでも構いませんから、ぜひ一度、見学にいらして。きっと良い経験になりますよ」

「ええと……」


 ぐいぐいと迫るユリアに、サラはすっかり圧倒されている。見兼ねてアマリアが口を挟んだ。


「ユリア様は魔術師でありながら、優れた医師でもあるとお聞きしています。失礼ですが、癒しの魔術の使い手であるあなたが、なぜ医学を学ばれたのですか?」


 アマリアの質問は想定内なのだろう。ユリアは勢いついたまま滔々と話す。


「それはもちろん、より多くの人々を救うためです。魔術を使って癒すことは簡単ですが、1日に行使できる魔術には限りがございますし、効率よく治療するためには、人体の構造と病についての深い知識が必須なのです。それに魔術を使わずに治療することが最善ということもございます」

「そんなことがあるのですか?」


 サラが驚いたように言うと、ユリアはその通りですとうなずいた。


「ええ。例えば子供の怪我は癒しの魔術で完治させるより、魔術の行使は最小限に留めて正しくケアする方が予後が良いとされています。小さな子供に備わった自己治癒能力は、時に魔術を超えるのです」

「そんなことが……」

「感染症の治療にも注意が必要ですね。魔術で症状を治すことは容易いですが、元を絶たなければ同じ症状を繰り返すだけということもあり得ます。また、体の痛みも同じで、例えば腕が痛いという場合でも、腕の痛みを取るだけではいけません。体の別の場所にその痛みの原因となる病が潜んでいることもありますから、そちらを対処しなければ完治とはいえないのですよ」


 サラはユリアの話に目を輝かせ、いつの間にやら真剣な眼差しになっていた。


「そうなのですね。実は先日、背中が痛いとおっしゃるご婦人がいらしたのですが……」

「そのような場合はですね……」


 気がつけばアマリアはすっかり蚊帳の外で、二人は医学トークに花を咲かせていた。ふと横を見れば、ハンヌもぐったりした表情を浮かべていた。


「……ハンヌ先生」

「なんでしょうか」

「ユリア様は昔からこのようなお方で?」

「……その通りです」


 遠い目をした恩師に、アマリアはその苦労を思った。そして、すっかりユリアと打ち解けた様子で生き生きと話し込むサラに目を移す。二人は共に金髪碧眼で顔立ちも似ており、仲良く話し込む様子はまるで親子か姉妹のようにも思われた。そのことに、なぜかアマリアは胸が締め付けられるような思いがした。


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