契約更改
後ろ手バイバイしながらミモザの開けて待つ扉の向こうへ、いっそ清々しい一陣の風のように去っていかれたカレンデュラ様。
かたや私の目の前で大理石の彫刻もかくやとばかりに硬直したままの旦那様。
私はカレンデュラ様になんとお声をかけたらいいのかわからず黙ってその背中を見送っていましたが、ロータスとダリアも沈黙のままでした。二人とも顔に何の表情も乗せていませんでしたので、どう感じているのかは知る由もないですが。
さて。
この固まったままの彫像をどうしましょう。エントランスのお飾り石像は間に合っています。
じゃなくて。
綺麗な濃茶の瞳は開いてはいるものの視点が定まらず、瞳孔も開いているようです。しかしこのままエントランスでいつまでもつっ立ったままで凝固しているのもなんですし、ましてやこの長身で素晴らしくスタイルのいい旦那様を人力で運ぶのは重労働なのでご自分の足で移動してもらうべく、私は旦那様の目の前で手をひらひらさせました。
「旦那様、旦那様? 彼女さん出て行っちゃいましたよ? 追っかけなくていいんですか~?」
おーい、意識はあるかーい? と、手をブンブン振ってみます。するとそれまでどこを見ているのか判然としなかった瞳に急に輝きが戻り、私のそれとかち合いました。
いきなりプチトリップから戻ってきた旦那様に驚いて一歩下がった瞬間。
むぎゅう!!
「ぐえっ……」
おもむろに旦那様の両腕が私の体に巻きついてきました。力任せというか、切羽詰り感ハンパないというか。危なく私は魂的な何かを飛ばしそうになりましたよ! 背骨も何本かもってかれたと思いました。
「だ、旦那様!! ぐるじいぐるじい!!」
辛うじて自由の効く手でバンバン旦那様の背を叩きますが、騎士として日頃から鍛錬されているだろう旦那様には猫パンチ以下のダメージしか与えられていない気がします。悔しいです!
緩むどころかしっかりと抱きしめられた状態のままフガフガもがいていると、
「ヴィオラっ!! 貴女まで出て行くなんて言いませんよねっ?!」
旦那様の声が頭上から降ってきました。いつもの落ち着いた耳触りのいい声ではなく、焦りのにじみ出た少し荒げた声です。
「へ?」
なんだなんだと目を丸くしていると、私を抱く腕の力がさらに強まり。ぐえ。背骨! 背骨がたわんでますから!!
「ヴィオラ、もう一度話し合いをしましょう! 今までのような契約で縛られた結婚ではなく、ちゃんとした夫婦になるために!!」
話し合いはしますから、力緩めてください頭に頬ずりしないでください!!
「ここではゆっくりと話をすることもできませんから、サロンへと移動しましょう」
そう言うや否や、旦那様は抱きしめていた私を一度開放すると、今度はひょいっと抱き上げてしまいました。そしてそのまま何事もないようにサロンへと踵を返していますが、なぜに私はお姫様抱っこっちゅーやつで運ばれているのでしょうか? 今日はお腹もどこも悪くありませんよ?
「あの~、何故に抱き上げられての移動なのでしょうか?」
上目遣いに旦那様の美しいご尊顔を拝し、ささやかながらこの状況に疑問を感じているということを伝えますが、
「ヴィオラが逃げてしまわないようにです」
少し下にある私の顔を見ながらいつになく真面目な表情で言い切る旦那様です。怜悧な目元がキリリと素敵ですが、無駄にこんな場所で素敵っぷりを浪費しないでもいいと思います。
つか、逃走しませんから切実に降ろしてください! ロータスやダリアミモザの生暖かい視線がいたたまれません!
「逃げませんし、サロンすぐそこですしっ!」
降ろしてもらおうとワタワタ暴れる私。
「じゃあもう少しでしょう。暴れると危ないですよ。ほら、ついた」
そんな会話を交わしているうちに旦那様の長いコンパスであっという間にサロンへ到着してしまいました。
何の羞恥プレイだまったく、と思いながらもソファにソフトランディングさせられると、すかさずその横に旦那様が座られました。って、対面とかななめ前とかいっぱい座る場所あるのに、横ですか! 距離近っ! 三人はゆうに座れるソファなのですが、なぜか密着してきます。もはやツッコみどころが多すぎて面倒くさくなりました。
「まず大前提なのですが、婚姻は解消しません」
旦那様は開口一番きっぱりと言い切りました。確かにそこからですね。そもそも彼女さんありきの契約結婚ですから。
「でも彼女さんもういませんよ? それに旦那様と私は好きあって結婚したわけでもありませんし、むしろ全く見ず知らずに近い他人でしたし」
「そんなもの、この世の中にはごまんとありますよ! 政略結婚なんてどこにでも転がっていることです」
「まあそうですが」
貴族社会ですから家同士の思惑で結婚なんて当たり前ですし常識です。むしろ恋愛結婚の方が珍しいかもしれません。まだこの国は身分差とかには寛容な方ですが。
「結婚してから仲良くなる夫婦もごまんといるのですよ」
「そうですね」
「だから、貴女と僕は『単なる政略結婚』だと思っていただければいいのですよ」
いつになく雄弁な旦那様。でもいつものようにアルカイックスマイルではありません。ちょっとちりちりするくらいに真剣に見つめられて、何だか私のすぐ後ろは崖っぷちのような気がするのは単なる幻視でしょうか。
これで『お飾りの妻』項目は削除されました。
そして次に大事な項目。それは実家の借金問題です。もはや旦那様というか公爵家のお力で完済されておりますが。
「それでは旦那様に肩代わりしていただいた借金はどういたしましょう? 私がお飾りの妻になる代わりにお支払いいただいたものですし」
ひょっとしたら『生涯かけて払ってください』とか言われる覚悟をしながら旦那様に問うと、
「それなら僕が伯爵家にお渡しした結納金だと思っていただいたらいいじゃないですか。もともとそういう名目でお渡ししていますし、貴女を得るためならあれくらいの金額惜しくもありません。ご笑納ください」
何ともあっさりとした返答。いえ『ご笑納ください』とかいうレベルの金額ではないのですが……。
そこまで不平等条約でも更改しようと粘る旦那様に根負けしました。
「では一つ目ですが。僕はこれから毎日こちらで暮らすことにします」
うん、普通なら至極当たり前のことなのですが、コノヒトにとっては普通ではありません。こんな初歩の初歩のところから更改していかないといけないって、そもそもおかしな契約を結んだもんですね!
「はい」
「部屋はこれまでの自室を使います」
それはよかったです。
「はい」
「別棟が片付き次第、こちらに荷物を運びこんできます。貴女は今まで通り寝室を使っていてください」
「ありがとうございます」
しかし、旦那様がこちらに全面的に引っ越してくるとなるといろいろ、特に食事関係で問題が発生してくるのですが……。
「当初のお約束どおり、自由にしていただいて結構なのですが、」
「が?」
言葉を途中で切って、私の顔をひたと見る旦那様に小首を傾げる私。なんでしょう、この微妙な間は。
「僕以外に恋人は一切禁止です」
契約に旦那様以外との恋愛禁止が盛り込まれました。
今日もありがとうございました(*^-^*)
旦那様、粘り勝ち(笑)
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