侍女さんの話では
「そろそろ出発なされませんと、本当に間に合わなくなります」
あくまでも淡々と、ロータスは動こうとしない旦那様をさらに催促します。
「しかしこのまま放っておくわけにはいかないだろう。顔色も悪し、もう少し落ち着いてからでも」
なおも粘る旦那様。
「ですが、今日は大事な会議ではありませんでしたか?」
さすがはロータス。旦那様のスケジュールもしっかり把握しています。
「……」
ベッドサイドに跪き私の手を握ったまま固まる旦那様。大事な会議を持ち出されては旦那様もぐうの音も出ないようです。つか、大事な会議に遅刻は厳禁ですよ! 社会人として!
「……わかった。でも容体の報告はしろ」
ちょっと不貞腐れたようにじと目になっている旦那様。
いや、スミマセン。容体ってほど大層なものでもないんですけど。居心地悪くてお布団の中でちょっと小さくなる私。
「かしこまりました」
恭しく了承するロータスに旦那様はひとつ肯いてから、また私の方に向きなおりまだ握ったままだった私の手をもう一度ギュッと握りなおして、
「行ってまいりますが、なるべく早く帰ってきましょう。それまでは安静になさっていてくださいね。ダリア、容体が変わる様だったらお医者を呼ぶように」
心配そうながらもにこっと笑いかけてきました。
「は、い」
「かしこまりました」
そしてやっと私の手を解放してくれた旦那様は、旦那様付き侍女さんから制服の上着を受け取り素早く身に付けて、
「では、くれぐれもじっとしていてください」
また念押ししてからロータスとともに部屋を出て行きました。
「ふは~~~。いた、い」
旦那様が出て行って、いろいろ体から力の抜けた私ですがまだお腹の痛みは治まりません。
「もうすぐミモザも戻ってくるでしょう。もうしばらくの辛抱でございますよ」
そう言ってダリアは優しく胃のあたりを撫でてくれます。
「皿数を間引けばよかったですねぇ。マダム、気が利かずに申し訳ないです」
まだしゅんとしたままのカルタムです。
「私も気を利かせればよかったのに。申し訳ございません」
ダリアも眉尻を下げて申し訳なさそうに言います。夫婦そろってぺこりと頭を下げてきますが、頑張れなかったのは私ですから!
「いえ、いえ。……いたっ」
話したいけどしゃべれません。
「もう奥様はお話にならないで結構ですから!」
ダリアが慌てて押し止めました。
ちょうどその時。ドアが忙しなくノックされ、ばたばたとミモザが入ってきました。手には緑色の汁の入ったカップを持っています。薬草を潰してきてくれたのです。煎じる時間などありませんでしたから、応急処置としてはこれで充分です。
「お待たせいたしました!! 奥様、早くこれを!」
そう言って薬汁の入ったカップを手渡してきますが、なかなかにどぎつい緑色です。深緑というか。ドロドロとしていて、そして数種類の薬草の入り混じった濃厚な青臭さに鼻がマヒしそうです。これを飲んだら楽になる。でも決しておいしい代物ではありません。できれば飲みたくない。でも楽になるためには仕方ない。……延々ループしそうになりました。これを飲むくらいなら腸内テロと戦った方がマシなんじゃ……と心が折れそうになりましたが、ふと視線を上げると、みんなの真剣なまなざしに出くわしたので、なんとか気合を入れることができました。
ミモザに引き起こされ、背中にクッションをいっぱい入れてもらってそこにもたれ、私は薬汁を一気に飲み干しました。
ミントやレモンが効いていて、思ったよりも不味くはありませんでした。きっとミモザとベリスが飲みやすいように工夫してくれたのでしょう。ありがたや~。
飲んですぐさまミントの効能が出て、胃のあたりがすっきりしてきました。腹痛はまだありますが、胃の収縮はすぐに収まりそうです。ほっ。
「あ~……。ありがと。ちょっと楽に、なったわ」
先程よりはなめらかに話すことができるようになりました。
「はぁ~! よかったですぅ~!! ちょっとこのまま胃が楽になるマッサージをさせていただきますね」
安心から破顔するミモザ。そう言うと私の背なかのツボをぎゅっぎゅっと押し始めました。
「あ~、効くわ~!」
ちょうど胃の裏あたり。きもちよす。
「楽になってきてよろしゅうございました。もう少ししたらお休みなさいませ。お昼前にもまた薬汁をお持ちしますわ」
ダリアもほっとしたのか、普段の顔に戻っています。
「はい。ありがとう」
「今日はもうこちらでゆっくりなさいませ」
「動かないと消化できないわ。落ち着いたらお庭に出てもいい?」
そう言った私に、再び渋い顔をしたダリア。
「……。ご無理はなさらないでくださいませ」
もう奥様は~、と諦めのため息とともに渋々了承してくれました。まあ所詮食べ過ぎの美食中りですから、寝込むほどのこともありませんしね。
「しないわ。新しく届いたお花を植えるだけよ」
走り回ったりしませんよ! そんな脇腹が痛くなるようなことはしません、って、そんなこと言ってるんじゃないか。諦観の面持ちのダリアを上目遣いに見ますと。
「わかりました。ミモザ、お目付け役をお願いね」
むむ、信用されてませんか。ダリアはミモザに目配せして肯いています。
「はい! もちろんです!」
ダリアの期待に応えるべく、大きく首を縦に振るミモザでした。
しばらく横になり眠ってしまうと、目覚めた時には腹痛がきれいさっぱりなくなっていました。まだ膨満感はありますが、痛くなければ無問題!
「お目覚めですか? 痛みはどうでしょう?」
私が目を覚ましたことに気付いたダリアが、詳しく様子を見るために近付いてきました。
「ええ、すっかり痛みはなくなったわ。ありがとう」
痛みからの硬直もなくなって、すっきりです。若干凝りましたが。
「もう少しお休みになられたら薬湯をお持ちしますね。お昼はどうされますか?」
今度は時間があるから、煎じたものを用意してくれるみたいです。お茶のようなものなので、生薬よりもずっと飲みやすく、要らない覚悟を決めないでいいのでうれしいです。
「お昼はやめておくわ。その代りおやつに軽食をいただこうかしら」
「かしこまりました」
そう言うと、いろいろ指示をするためにダリアは部屋を出て行きました。
薬湯を飲んでからお仕着せに着替えて庭園に出ました。今日は消化促進のためにも頑張って働きましょう! 私はベリスの指示に従って雑草を引いたり花を植えたりします。庭園では魔王様がヒエラルキーの最上位なのですよ! 計画外のところに計画外のものを植えると怒られます。指示のあったとおりにすれば素晴らしい調和のとれたお庭になるのを知っているので、勝手にアレンジすることはやめました。適当に植えたいものは、私専用にちょっとしたスペースを貰ったのでそこでやります。
しばらくしたらお腹も減ってきました。ちょうどベリスが、
「そろそろ休憩の時間ですね。奥様とミモザはダイニングに行きますか?」
と言ってくれたところでした。
「そうね、今日はそろそろお開きにするわ。旦那様が早く帰ってこられたら困るし」
私は立ち上がり、膝やスカートに付いた土をはらいました。ダイニング(もちろん使用人さんダイニングですよ~)に軽食も用意されているでしょうし、今日は庭園で休憩はやめておきます。
「ベリスの分のお茶は温室のテーブルに用意してあるからね。では奥様、戻りましょう」
そう言ってミモザは私を本宅へと促しました。
使用人さんダイニングは、ちょうど侍女さんたちの休憩時間と重なり、思い思い自分のカップにお茶を淹れ、お茶請けのお菓子をつまんでいるところでした。
「奥様、もう大丈夫ですか?」
「あまりご無理をなさらず、お残しをされる方がよろしいかと」
「そうですよ~」
などなど。侍女さんたちは私の復活した姿を見てほっとしながら声をかけてくれました。
「ご心配お掛けしました! もう大丈夫よ、ごめんね」
そう答えながら私も軽食が用意されてある自分の席に着きました。
「昨日からのお疲れもあったんでしょう」
「そうかもですね~」
そうだ。それもあるんですよ、きっと。精神的にも肉体的にもお疲れ~な状態でしたからね。そこにあの質と量!(主に質)旦那様という存在も相まって、テロに屈服したんですよ! いろいろ思い当たる節にうんうんうなずきながら軽食をぱくついています。
「昨日と言えば、お連れ様荒れてたわ~」
昨日別棟のお当番だった侍女さんがじと目になって言いました。
「うんうん、急に旦那様が本宅に泊まるって言いだしたからでしょう」
「そうよ」
「晩餐が毎日こちらになってから、不機嫌たらありゃしないわよね」
「いちゃもんつけてくるわけじゃないからいいけど、最近は常に眉間に皺が寄ってるわよね」
「あんなに自分の美容にこだわっていた方がね~。あのままだと確実に皺が増えるわよね」
「ドレスも宝石も、最近は好き勝手に新調してもらえないみたいだし?」
「あれだけ持ってるんだからもう要らないでしょ」
「さぁ~?」
旦那様付の侍女さんだけでなく、他の侍女さんたちも話にのってきます。それまで黙々と話を聞くだけで食べることに専念していた私ですが、
「旦那様と彼女さんて、ケンカなさってるんですよね?」
ずっと気になっていたことを口に出してしまいました。
すると、
「「「へ? いいえ?」」」
旦那様付きの侍女さんたちがぽかんとした顔で口をそろえて言いました。
「あらま。じゃあなんで毎日こちらで晩餐を食べて行かれるのかしら?」
小首を傾げて考えます。
ケンカじゃなかったら一体何なのでしょうか?
今日もありがとうございました(*^-^*)




