混沌
????/??:??/成神さん/???
「矢吹君、『もういい』よ。もうしゃべっていいし、考えてもいいし、目も開けていい」
そんな成神さんの声が聞こえてきて、僕は目を開けた。
でも周囲は闇で、何にも見えなくて……何も、聞こえなかった。
何も。風も、いつもの波の音も。
ただ、成神さんの声だけが辺りに響いていた。
「ああ……ここはね、暗いけど、見えないけど、まだ君の村だよ。そこに君は立ってる。そしてあたりには誰もいない」
誰も、いない? どういうことだ。
「コワガミサマを俺が消しちゃったからね。必然的に、この村の神様が今まで成してきた奇跡が全部、『無かったこと』になったんだよ。だから、いろいろ消えてしまった。生まれるはずの運命。助かるはずだった命。コワガミサマが捻じ曲げてきた『アナザールート』は、すべて夢となって消えたんだ」
どういう……。
言っている意味がわからない。
それに、僕は今考えているだけで声に出してはいない。それなのに成神さんとは不思議と会話できてしまっている。
「ああ、気にしないで。とにかくこうして意識があるだけでも今の君には儲けもんだ。いままでどおり、現状をただ受け入れてくれればいい」
なんだろう。
ものすごく違和感がある。
でも、僕は彼の言う通りにするしかなかった。だって、今はそれしかできないのだから。
どうしてこうなってしまったのだろう。
コワガミサマが消えたら、みんな、ハッピーエンドになるはずだったのに。
「ハッピーエンド? あははっ、バカを言っちゃいけない。この宇宙はね、放っておいたら全部バッドエンドになるようにできているんだ。それが宇宙の法則だ。だけど君は何をしてきた? 何もせず、流されるままに、ただ行動してただけじゃないか。まあそれが君のいいところではあったんだけどね」
こいつは……。
こいつはいったい何だ?
成神さんは、僕らの味方だったんじゃないのか? それを……そう言ったのは、嘘だったのか!?
「嘘じゃないよ。俺は今でも君たちの味方だ。たしかに君の思い描く最良の結果にはならなかったけど、でも約束は果たしてるよ。今も君たちを『助けて』あげてる。……あははははっ!!!」
な、何がおかしいんだ。ふざけんな。
お前のせいで、お前のせいでジュン姉が……ジュン姉まで消えて……こんな、いったいどうしたらいいんだ。
「まあ、落ち着いて。これから君にはまた選択してもらうんだからさ」
え? 選択?
「そう。その結果次第で、君たちの運命がまた変わるんだ」
変わる?
何を、言っているんだ?
「まずはね、コワガミサマは『怖い神様』じゃなくて『強い神様』だったんだよ」
え?
何を急に……。
「強い神様。コワイ神様。だから、コワガミサマ。あれは強運を操る、運命の確率を操る神様だったんだ。だからその神様を祀る神社は、境雲(強運)神社、そしてその村は境雲(強運)村と呼ばれていた……。あれ? 矢吹君は気付いてなかったのかな?」
境雲村が、『強運村』だったって?
運を操る神様……だから、僕らの願いは叶っていた?
「そう。その強運の神様に運を操作してもらった人は、妊娠しやすくなったり、自己免疫力が高くなったり、事故に遭わずにすんだりする。でも、『その神様が最初からいなかった』となれば……それらはすべてなかったことになる。だろう? 子は産まれず、病は治らず、事故には遭ってしまう。そして最悪は死、もしくは消滅だ」
それで……それでみんなが、いなくなったのか?
「彼らの運は、尽きてしまったんだよ。もともと尽きる運命だったのを、むりやりねじまげてきただけだからね。今は、あるがままの状態に戻っただけだ。これが、本来のあるべきこの村の姿」
そこまで成神さんが言うと、周囲の景色がさあっと変わっていく。
そこは、僕の知る村ではなかった。
道路が海岸線沿いにしかなく、立ち並ぶ家も数ある廃墟も、ない。ただ大自然だけが村を覆い尽くしていた。
「これが……僕の、村?」
僕は、僕自身をとりもどして、ようやく成神さんに声をかけることができていた。
目の前の成神さんは、整いすぎた顔をわずかに歪ませて、語る。
「そうだ。コワガミサマがこの地に降りていなければ、この村自体もはじめから存在しなかった。当然、君の祖先も出現しなかったし、誰も願いを叶えてもらうことはなかったんだよ」
「…………」
僕らは、コワガミサマがいてはじめて、存在できる。
そういう存在だった。
その神様を、僕は消そうとした。成神さんに助けを求めてまで。そうすることが僕とジュン姉のためになると思ったからだ。
でも、全部消えてしまった。
僕も、きっと消える運命なのだろう。このままでは。でも、まだここに存在している。それが意味することは……。
僕はしばらく考えた末に口を開いた。
「成神さん。あなたは、いったい何者なんです? ただの人間じゃあなさそうですよね。こんなことまでできて……」
成神さんはクスリと笑うと言った。
「俺は、この地球にやってきた悪い神様を滅ぼす者、だ。やつらによって人間の運命が左右されるのは好まない。すべては●●●●●様の夢のとおりにならなければならないんだからね」
なんとかっていう名前を言っていたけれど、僕にはよく聞き取れなかった。
成神さんは続ける。
「俺はニャルラトホテプという神の子孫だ。成神の一族は、代々●●●●●様の代理人なんだよ」
「よく、わからないけれど……その成神さんは、僕をこれからどうするんですか?」
成神さんは、まだ光っている右手を僕に差し出してきた。
「これから、君には選択してもらう。ひとつはこの状態。コワガミサマが消えて、すべてがなかったことになった状態だ。そしてもうひとつは、君がコワガミサマになる状態」
「僕が……コワガミサマになる?」
「そう。人間の君が、あの神様の代わりになるんだ。そうして今まで通り、似たような儀式を行っていく。まあ、当然前みたいなすごい力はなくなっているんだけれどね。神様のまねごとだよ、まねごと」
僕は呆気にとられた。
そんな子供だまし、やる意味があるんだろうか。
「たとえばね、こうなったりする」
パチンと、成神さんが光っていた指先をはじくと、周囲の景色がまた変わった。
そこは神社の、あのジュン姉の部屋だった。
布団の上にはジュン姉だけが座っていた。コワガミサマが消えたから、もう天罰による影響もなくなっている。顔がおぼろげじゃない。はっきりとしたジュン姉の顔が……見える。
「あ……ああ……!」
ジュン姉だ。
僕は嬉しさのあまり、口元を強く押さえた。
透き通るような黒い瞳。
長い睫。すっと通った鼻。可憐な唇。ふんわりとした頬。つやつやの長い髪……。
それらが全部、鮮やかに目に飛び込んでくる。
「ジュン姉がいる。僕の、ジュン姉が……」
「僕の……か。ふふふっ。そうだね、そして君もいる」
「え?」
もう一人の僕が、座っているジュン姉の前にやってきた。
ジュン姉も僕も、同じ白い着物を着ている。
そして……僕らは唐突に熱いくちづけを交わしはじめたのだった。
「う、うわっ。うわわわわっ!!」
あまりのことに、僕は顔を覆った。
でも、気になってまた見てしまう。僕らは、その……かなり強烈なキスを続けていた。
「な、なななっ……」
「はい、ここまでー」
そう言って、パチンとまた成神さんの指が鳴らされ、布団の上の僕たちはまるで一時停止したみたいに止まった。
「これ以上は中学生にはちょっと……ね。まあこれがもう一つの選択肢だよ。君がコワガミサマとなって、君の幼馴染のお姉さんがその『コワガミサマのお嫁さん』になるという世界、だ。こっちは割といいルートだと思うよ。日本の法律的にはアウトだけれど、まあ村の中での伝統行事ってことにすれば、アリっちゃアリ、かな」
「なっ、僕がコワガミサマになって、ジュン姉がその……コワガミサマの、僕のお嫁さんになる……?」
「そう。それぞれが神子と巫女になって、村の神事を執り行うんだ。毎夜、夜のお役目と称して契りを交わした後、村の中を練り歩く。まあただの人間だから、ヨソモノとかいうお化けは出てこないし、形式的な儀式だけになるんだけどね」
「ぎ、儀式って……そんな」
僕は、もうひとつのありえるかもしれない世界を知って、愕然とした。
僕とジュン姉が擬似的な夫婦となって、毎夜いちゃいちゃしてから村の中を公開デートするだって? そ、そんなうらやましいこと……。
いや。
ジュン姉は、「僕を傷つけたくない」と言っていた。
ああいう他人からの強制で、僕との関係が壊れるのを恐れていた。
だから、これも……あってはならないことだ。
僕はぐっと唇を噛みしめると言った。
「成神さん……これ以外の選択肢はないんですか?」
「え?」
「僕は……どっちの選択肢も選びたくないです。僕は、僕たちは、僕たちの関係は、こんなことで壊れちゃダメなんだ。僕たちは今まで通りの生活を続ける。それだけが望み、なんだ……」
「ふーん」
成神さんはにやにやと笑いはじめると、光ったままの右手を僕の前からひっこめた。
「別のルート、ね。ふふ、まあ俺はどういう未来もありえると思っているよ。ただ、それには人の覚悟が必要だ。●●●●●様が見ている夢を覆すような、強い意志が必要だ。流されるままの無能な君に、果たしてその選択肢を掴みとることができるのかな?」
僕は、僕にできないことは無理だと最初からあきらめていた。
できることだけを頑張ろうとしていた。
でも、それは……この世界では悪い未来にしかつながらない、誤った行動だった。
だったら。
僕はジュン姉のために、できないことをできるようになりたい。
「僕は、僕の望む未来を自分で叶えたい。誰かに、叶えてもらうんじゃなく。自分で掴みとりたい。そのためには……僕はなんだってやる。その覚悟だ」
強く、右手の拳をにぎる。
どうすればいいかなんてわからなかったけれど、僕は世界に対してもう一度、強く「抗おう」と思った。
世界は、あのしょっちゅう殴ってくる園田と同じだ。
僕が少しでも気に喰わない態度を見せたら、容赦なく痛めつけてくる。僕は、いつも不意打ちでやられていた。不意打ちじゃなくても、いつもやられていたけど。
でももうあいつに、もう殴られたくないと決意した時みたいに。
僕はこの世界にも、これ以上いいようにはされたくなかった。
誰かを、何かを、攻撃したくてしかたない。
目の前の成神さんを殴るつもりはなかったけれど、でも、何かをぶっ壊したくてしょうがなかった。
「お……?」
成神さんがそう言って目を大きく見開く。
僕の手には……いつのまにか、金色のあのバットが握られていた。
それは母さんが持たせてくれた野球のバット。
それが、まぶしく光り輝いていた。
「輝くトラペゾヘドロンか。やるねえ、矢吹君」




