往生際の悪い男
「忘れたとは言わませんよ。劇場で、私に香水を吹きかけましたよね? 自分の好きな香りだと言って」
アレックスのお気に入りの香りと聞いて、あの頃のローザは嬉しくて浮かれまくっていた。
今思うと男性用のフレグランスをかけられて喜ぶ方もどうかと思う。
それに香水はそれほどよい香りではなく、少し刺激のある香りだった。
その話をイーサンにすると彼はすぐに香りのサンプルをいくつか持ってきてくれたのだ。
「あれには馬が興奮する作用がありました」
ローザはイーサンから聞いた言葉をびしりと言い放つ。
「それは君の思い込みだ」
アレックスは臆することもなく、きっぱりとした口調だ。
「まだ、あります。新しくクロイツァー家に入った下男を使って、馬車の前輪に細工をして、事故を起こさせましたね?」
アレックスの目が大きく見開かれた。
「見つけるのに苦労しましたよ。その下男は隣国に逃げ込んでいたのですから。事情を聞けば不正に手を染め、首になった王宮の官吏だそうですね。私の暗殺に成功したら、再び官吏として使ってやると言ったとか?」
「そんな馬鹿な! 私は一切関与していない。潔白だ。誰かが私を陥れようとしているのだ」
アレックスは動揺を怒りに変え、頬を紅潮させる。
「人を陥れたのはあなたです。で、理由は何ですか? 殿下の求婚に頷かない私が気に入らなかったからですか?」
ローザは立ち上がり、ゆっくりと彼のそばに移動する。
アレックスが怒ろうが怒るまいがローザには関係ない。こっちは殺されかけたのだから。
「ローザ、上に立つ人間は気に入る気に入らないで、人を殺めたりはしない」
真摯な表情でアレックスが白々しいことを口にする。
ローザはそれを鼻で笑った。
「あなたのすることは、エレンより巧妙さにかけます。片手落ちなんですよ? どれも私を脅すつもりだったんでしょう。でもね、私はもう少しで死ぬところだったんですよ?」
ローザが眦を吊り上げ、さらにアレックスに近付く。
「何か誤解があるようだ。私ではない」
アレックスはローザの迫力に押されたように、僅かに身を引く。
「はあ? 誤解ですって? 女性をなめしくさっているから、そういうことになるんですよ」
アレックスは怒りに顔を青ざめさせる。
彼の自尊心を傷つけたようだ。
「いくら侯爵家の令嬢とはいえ、不敬にもほどがある」
今度は居丈高に言う。
「あきれ果てたやつだな。この茶会が終わった後、陛下からお前にお話があるそうだ」
今まで黙ってローザとのやり取りを聞いていたイーサンが、静かに告げる。
「え?」
ぎくりとしたようにアレックスが大きく目を見開く。
「アレックス、今回の件で、お前の王位継承権は剥奪される」
アレックスが驚いたように椅子を蹴って立ち上がる。
「そんな……、ローザ、誓って言う。君をあんなふうにするつもりはなかった。ちょっと驚かすつもりだったんだ。それに馬車の件は本当にしらないんだ」
「ただのいたずらだったということですか? 馬が興奮して暴れたのを見て、私がびっくりして転んでケガをするとか、その程度で済ませようと思っていた。それで責任を取る形で私に求婚をしようとした」
ローザがつかんだ真実をつらつらと述べる。
「ローザ、それは違うと言っているだろう」
「違いません。香水を私にかけた時、あなたの袖に香りがついたのでしょうね。まさか、ご自分が馬に襲われるとは思っていなかった。それに気づいた私が庇うとも考えていなかった。どこまでも浅はかで身勝手! あきれ果てました」
ローザがアレックスに強い視線をまっすぐに向ける。
「君は誤解している。私は心から君と結婚をしたいと思っている」
この期におよんでアレックスはローザに縋ろうとしていた。
「お断りです! 何度言ったらわかるのよ。馬車の件も認めなさい! よくも、うちの大事な護衛と御者にケガを負わせてくれましたね。往生際が悪すぎる!」
ローザはひときわ大きな声で言い放ち、扇子をハリセン代わりにアレックスの後ろ頭をバシッと思いっきりはたく。
(こいつは女の敵だわ!)
小気味よい音を立て、扇子は折れた。
ローザの腕はじんと痺れたが、満足だった。
「ああ、すっきりしましたわ!」
イーサンはそれを見て、ふっと笑みをうかべる。
「アレックス、私がここまで来るのに何の証拠もそろえていないとでも思っているのか? お前は今回の騒動の責任を取るんだ」
声もなく、頭を抱え崩れ落ちるアレックスに、イーサンが最後通告をした。
◇
アレックスはその後、僻地の塔に幽閉された。
プライドの高い彼にとっては屈辱以外の何物でもないだろう。
モロー家も処分され、彼らは罪人として半永久的に強制労働につくことになった。




