やっと外出!
三週間ほど続いた外出禁止令が、ある日突然解除された。
理由は王宮での夜会である。
ローザはそこで元気な姿を見せつけるようにと、父とフィルバートから言い渡された。
昼過ぎ頃から、ローザはヘレナをはじめとするメイドたちに飾り立てられている。
久しぶりの外出であるとはいえ、行先は王宮の夜会で、ローザはあまり気が進まない。
これが店に行ってもいいとなれば、気持ちも上がるのだが……。
ローザはここ三週間の出来事を思い起こす。
店はほぼヘレナやアンに任せきりである。
もちろんヘレナから報告を聞いてローザが指示を出しているのだが、彼女は現場で仕事がしたいのだ。
それに馬車の事故以来すっかり、ヘレナもヒューも過保護になってしまった。
ヒューは結局イーサンの見立てより早く、十日で職場復帰を果たす。
以来、家の中でも、どこへでも付き添い目を光らせている始末。
新しく入って来た下級使用人などはヘレナとヒューの鋭い視線に恐れをなしている。
屋敷にある種の緊張感が漂っていた。
そして、現在鏡に映るローザの装いはいつもの派手な色遣いのドレスではなく、光沢をもつサテンの水色の生地に肩から鎖骨にかけて白のレースがあしらわれている。
フレアスリーブの袖とスカート部分にはきらきらとしたビーズが刺繍されていた。耳飾りとネックレスはサファイヤだ。
「なんかいつもと違って調子がくるうわね」
ローザはそんな自分の姿を不思議そうに鏡で眺める。
「お嬢様、清楚でとてもお綺麗です。それにこのドレスも宝飾品も閣下からのプレゼントですよ」
「それもそうね。今日ばかりは身に付けないと」
実はローザはドレスをたくさんプレゼントされている。
さすがに多すぎだと断わったのだが、イーサンはそれが普通だと言う。
そのうえ契約関係だとバレたらどうするのだと言われてしまえば受け取るしかない。
だが、予想よりもずっと高価で、少しばかり驚いた。
(なんか今回のドレスは力が入っているわね。他人の色に染まるっていうのも変な感じ)
ローザはふと、彼とまだ婚約解消の契約書を交わしていないことに気づいた。
(婚約を解消するときは、ドレスはもらって宝飾品は返す感じでいいかしら?)
夕刻になり、そろそろイーサンが迎えに来る時間になった。
ローザは二階の自室を出て、一階のサロンで待つことにした。
しかし、ドアを開けた瞬間、出待ちしていたフィルバートにだる絡みされた。
「ローザ、頼むよ。夜会で僕が女性に囲まれたら助けてくれ」
フィルバートが情けないことを言ってくる。
「仕方ないですね。私もこれ以上嫌われたくないのですけれど」
呆れたような視線をフィルバートに送る。
「お前がそばにいるだけで、威圧感が違うんだ。ぜひとも僕のそばで睨みをきかせておいてくれ」
ローザは今までフィルバートの横で『睨み』をきかせていた覚えはない。
とても失礼なことを言う兄をサックリ見捨てることにした。
イーサンがポーチにローザを迎えに来ると一家総出で大騒ぎになった。
「閣下、本日は娘をよろしくお願いします」
「妹がお世話になります」
家族がにこやかにイーサンと挨拶を交わしている。
ローザも笑顔でやり過ごす。
その後、ローザはイーサンの馬車で王城へ向う。
家族はクロイツァー家の馬車で向かった。
今回の王宮での夜会は国王の特別な計らいで開かれることになったのだ。
実質的にはイーサンとローザの婚約のお披露目みたいなものである。
「結構大げさなものになってしまいましたね」
ローザが遠い目をする。婚約を解消するときが大変そうだ。理由は性格の不一致がいいだろうか?
「仕方がないだろう。君と私の組み合わせではどうしてもこうなってしまう」
「これではイーサン様と婚約解消するときたいへんではないですか」
「そうだな。適当な理由では、難しいかもしれない」
イーサンが気のない様子で答える。
「ではちゃんと考えておいてくださいね」
ローザがしっかりと念押しした。
「私が考えるのか?」
「だって、提案なさったのはイーサン様ですもの」
澄まして答える。
「確かに……」
イーサンは反論はあきらめたようだ。
きっと頭の良い人だから、ローザが全く思いつかない素晴らしい理由を考えだしてくれることだろう。
王宮に着き、イーサンにエスコートをされ馬車から降り立つと、羨望と嫉妬の視線にさらされる。
それにも最近慣れてきた。
なにより、ローザを見ても露骨に眉をしかめる者たちはいなくなったことに驚いている。
どうやら、この婚約により、ローザの不名誉な『馬に蹴られた自作自演』の噂は沈静化しつつあるようだ。
そもそもそのような噂が出たほうがおかしいのだとローザは思う。
(そんなこという奴は、一度馬に蹴られてみればいいのよ!)
「イーサン様と婚約して、私の評判が少し上がったような気がします」
ローザはイーサンに手を引かれ、広く長い王宮の廊下を歩きながら言う。
「それはよかった。私の方は実に劇的でね。釣書が一切届かなくなったし、自分の娘を押し付けにわざわざ家を訪ねてくる貴族もいなくなってすっきりしたよ」
イーサンはすがすがしい笑顔を浮かべる。
どうやら本音のようだ。
しかし、その笑顔が周りの乙女たちの誤解を生んだようで、たくさんのイーサンファンの女性たちの悲鳴が上がる。
笑っただけでこの威力。美形、おそるべしというところだ。
「とりあえず、ダンスを踊ってしばらくしたら、解散しましょう」
なんとなく、この歓迎されているムードが、妙に居心地が悪い。
特に喜んでいるのは王族で、彼らはアレックスとローザの婚約が消えてほっとしているのだろう。
これで後継者争いはなくなったも同然だからだ。
「何を言っているんだ。ローザ、陛下をはじめとする王族がお喜びだ。少し君と話をしたいとおっしゃっている」
「はい? なんですって? 今初めて聞いたんですけど?」
ローザがぎょっとして、背の高いイーサンを見上げる。
「今初めて話したからね」
すました顔でイーサンが答える。
「なんでですか?」
思わず、恨みがましい目をイーサンに向けた。
ローザとしては騙された気分である。
「事前に言ったら、君はごねるだろう?」
(やだ。行きたくない)
ローザは首を振る。
「イーサン様。なんだか私、頭痛が……」
「なんで治癒師の私に仮病を使おうと思うの?」
苦笑するイーサンを前に、ローザはがっくりとうなだれる。
「仕方がないので、参りますわ」
「いいけど、口には気を付けてね。せっかく評判が上がってきているのだから、あともう一息だ、ローザ。自由に生きたいのだろう?」
ローザはその言葉で覚醒する。
「お任せください!」
「ああ、それから、今日は、アレックスは出席していないから」
「へえ、それはまた珍しいですね」
ローザは軽く目を瞬く。
「ああ、体調がすぐれないということになっている」
「なんだか含みのある言い方ですね」
王宮での夜会での出席率はほぼ百パーセントの彼が、姿を見せないのは不思議だ。
もっともローザにとっては鬱陶しくなくてよいが。




