計画的婚約。ただし円満解消前提で
サロンの中にはヘレナをはじめとするメイドたちがいて、ちょっとした騒ぎになった。
そんな中でローザはイーサンに耳打ちする。
「閣下、私を都合よく使うつもりですね?」
「もちろん、ご所望とあらば、契約書も用意する」
「いえ、その前に話し合いましょう」
ローザは慌てて、サロンから人払いをした。
これでは父や母の耳にもすぐに入ってしまうだろう。
「どうして、先に一言言ってくださらなかったのですか?」
「それは失礼した。君の条件にある人間が私しかいなかったものでね。不満かい?」
しれっと答える。
「不満も何も、私が嫉妬されるではないですか! これ以上の悪評は困ります。ああ、目に見えるようです。殿下から乗り換えたとか、閣下の弱みをクロイツァー家が握って脅して婚約したとか」
ローザは頭をかきむしりたい気分だった。
「しかし、私ならアレックスや王家が横やりを入れてきても、君の防波堤になると思うが? それにクロイツァー家が脅していると言うのは少し無理がある。私はそれほど弱い立場ではないよ」
冷静になってみれば彼の言う通りで、ローザを守れるのはイーサンしかしない。ローザは目から鱗が落ちた気がした。
「なるほど! 確かにそうですね。閣下がお相手なら、おかしな横やりも入りませんよね」
「そういうことだ。だから君も私の防波堤になってくれ」
『もし君が相手から同じ条件を突き付けられたらどうする?』と夜会の言った彼の言葉が初めて腑に落ちた。
「はあ、痛み分けですね」
ローザは肩を落として頷いた。
「おいおい、求婚しに来た相手にその言い方はないだろう」
苦笑するイーサンを前に、ローザは頭の中で素早く計算する。
漫画にはローザがイーサンと婚約をするなんて件はなかった。
つまりローザは毒殺の危機から、安全圏に逃れることができるのだ。
(先のことを考えるより、目先の毒殺回避よ!)
「は! たいへん失礼いたしました。謹んでお受けいたします」
かくしてローザはイーサンからバラの花束を受け取ったのだった。
その後クロイツァー家はてんやわんやの大騒ぎになった。
なんだかんだで、帰ろうとするイーサンはローザの父母に引き留められ晩餐を共にすることになった。
二人は質問攻めにあったが、ローザは口を噤んでイーサンに任せた。
口裏合わせをする時間がなかったからだ。
家族に表情を読まれやすいローザより、イーサンの方が説明役に向いているだろう。
だが、イーサンは不満なようで、たびたびローザに視線を向けてくる。
ローザはそれを物ともせずに、白身魚のムニエルに舌鼓を打つ。
(閣下、頑張ってくださいね)
にっこりとイーサンに微笑みかけたのだった。
(だって、私がしゃべって辻褄が合わなくなっても困るでしょ?)
◇
翌日、噂は貴族の間に広まり、社交界に激震が走った。
午後の茶の時間になると、ローザの友人兼取り巻きたちが集まり大騒ぎになる。
結局店はヘレナに任せて、ローザは友人たちに「治療がきっかけで……」などと嘘の報告をした。
ポピーもライラもエラも婚約者が決まっていたので、皆泣いて祝福してくれた。
ローザの良心が珍しく痛む。
(契約終了したら、婚約解消するんだけどね。そういえば、契約書をまだ交わしていないわね。その前に大騒ぎになってしまったけれど)
しかし、クロイツァー家への来客はそれだけでは済まなかった。
翌日も次から次へとお祝いを言いに派閥の貴族たちがやってくる。
ローザは愛想笑いを浮かべながら、父、母、フィルバートと彼らに対応した。
(意外と疲れるわね。婚約ってこんなに面倒くさいの?)
夜になり、へとへとになったローザをヘレナが湯につける。
「ああ、疲れたわ。バスボム販売より、よほど疲れるのだけれど。婚約って大変なのね」
そんなふうに語るローザにヘレナが呆れたような視線を向ける。
「お嬢様、本当に婚約したのですよね」
「そうよ。どうして?」
「期間限定の契約とかではありませんよね?」
(ヘレナ、鋭すぎるわ! お母さまより、鋭いわ!)
ローザがバスタブの中で慌ててバシャバシャと音を立てる。
「ああ、やはりそうなのですね」
ヘレナががっくりと肩を落とす。
「ね、ヘレナ、誰にもいわないでね?」
「いえるわけがないです! なんてことでしょう。旦那様も奥様も、お坊ちゃまもお喜びになっているのに」
ちなみにフィルバートは『お坊ちゃま』という呼び方を嫌がるが、なぜか屋敷の者たちは兄を『お坊ちゃま』と呼ぶ。
なんとなく不憫。
「まあ、何とかなるでしょ?」
「それで、閣下はどのような理由でそのような契約を」
「あまり詳しくは話せないけれど、女性よけみたいな感じ」
「なるほど。お嬢様なら、そのお役目にぴったりです」
「ひどいわ。ヘレナ」
ローザは悪役面なので、そうそう面と向かって令嬢たちも喧嘩を売れないだろう。
しかも相手はクロイツァー家だ。
「お嬢様、嘘から出た実という言葉もございます。この婚約が本物になりますことを心よりお祈りも申し上げます」
そういってヘレナが頭を下げる。
「ちょっと、ヘレナ、私を見捨てるようなこと言わないでよ」
「大丈夫です。私は何があってもお嬢様についていきます」
「ありがとう、ヘレナ」
ローザは泡だらけな体でヘレナに抱きついたのだった。
現在ローザとヘレナは泡ぶろの開発中なのだ。
ローザはどんな時でも商売を忘れない。




