モロー家のあやうい日常とローザの愉快な日常
うららかな日の差すモロー家のサロンにあって、エレンの心は沈んでいた。
「オリバー商会は、早急に顧客層を貴族に広めたいといってきている。エレン、まだ殿下とは婚約できないのか?」
デイビスはいらいらとサロンの中を歩き回る。
今では高級家具が置かれ、レースのカーテンがかかるサロンも、少し前までは荒れ放題だった。
デイビスがオリバー商会の代表と付き合うようになってから、様変わりしたのだ。
使用人も増えて、屋敷は常に清潔に保たれている。
最高の食事に、エレンを飾るための贅沢なドレス、宝飾品が一気に増えた。
そのうえ、優しいアレックスがドレスや素敵な髪飾りや指輪、ネックレスをエレンにプレゼントしてくれる。
貧民街での出会いから、舞踏会での運命的な再会を果たし、二人は恋仲になったはずなのに、最近アレックスに避けられている。
正確に言うと、人目を避けた場所では会ってくれるが、公の場所では絶対に会ってくれなくなってしまったのだ。
そのため、エレンとアレックスが付き合っているという噂がなかなか広まらない。
最近では、なぜか会う頻度も減り、アレックスはエレンを前にしても、どこか上の空なようすだ。
原因はわかっている、ローザ・クロイツァー。
「アレックス様は私を愛してくれています。ですが、王太子になることにこだわっているんです。そのためにはクロイツァー家の力が必要だとおっしゃっていました」
エレンが悲しそうにうつむく。
「そんなことオリバーには関係ない。このまま殿下と婚約が進まなければ、土地と屋敷を没収すると言われた。下手をしたら、お前も売られるぞ」
デイビスは焦りをにじませる。
オリバーとはオリバー商会の代表だ。最初はニコニコと愛想の良い男だったが、エレンとアレックスの仲が進展しないのを見て態度を豹変させたのだ。
「あんまりです! どうしてお父様は、そんな悪魔のような契約を結んだのですか?」
「仕方がないだろう。実際殿下はお前を大事にしてくれているし、高価なプレゼントもたくさんくれる。エレン、金が必要だ。いざというときのために殿下からもらった物を売り払え」
「そんな! 一点ものばかりなのに、売ったらばれてしまうかもしれないわ」
エレンは震えた。
「ならば、どうしろというのだ」
デイビスが髪をかきむしる。
「だから、いったんローザ様と婚約して王太子になり、その後ローザ様と婚約破棄して、私を迎えに来るとお約束してくださいました」
エレンは必死に訴えた。
「そんな話で、オリバーが納得するわけがないだろう?」
オリバーは強欲な男だ。
「でも……」
エレンはアレックスの愛情を信じていた。彼が約束をたがえるわけがない。
「エレン、婚約の発表が出てしまったらうちは終わりだ。だいたい第三王子なのになぜそこまで王太子にこだわる?」
「それはアレックス様が優秀だからです。兄たちに政は任せられないとおっしゃっているわ」
エレンは必死に抗弁する。
「言い訳はいい。殿下に、お前と必ず婚約すると一筆入れさせて署名を貰え! それさえあれば、オリバーもしばらくはおとなしくなるだろう」
「そんなこと……できるわけがありません! アレックス様はいつ足を引っ張られるかわからないからと、証拠を残さないように慎重に行動しておられます。それもすべて私との結婚のためだって――」
涙ながらに訴えうるエレンをデイビスは叱る。
「お前は騙されているか、利用されているかのどちらかだ。もっとしたたかにならなければ、一生愛人どまりだぞ」
しかし、そこでデイビスはハッとしたように言葉を切る。
「いや、それでいいのかもしれない。どのみち殿下がお前を捨てなければ問題がないのだから」
「え? それはどういう意味ですか?」
エレンは目を見張った。
「お前がずっと殿下の愛人で居続けて、寵愛を受ければいいだけだ。それを貴族の間で周知させる。そうすれば、お前はいい広告塔になるではないか。私はこれからオリバーの元へ行ってくる」
デイビスが慌ててサロンから出ていこうとする。
「お父様、そんなの嫌です。私は愛人なんて。きちんと結婚したいです」
エレンは声を振り絞った。
「家の存亡がかかっているんだぞ? また貧民街に戻りたいのか! さあ、殿下からもらった宝飾品を出せ。それを証拠にオリバーを説得してくる」
どうあっても自分は彼の愛人でしかないのだろうかと、エレンは悔しくなる。
「ローザがいなくなればいいのよ!」
エレンが思いつめたように吐き出した。
「確かに。あの傲慢な娘は邪魔だな。そのうち家門ごとつぶしてしまえばいい。金持ちの上に、さらに金を稼ごうとしている金の亡者だ」
デイビスが吐き捨てるのを聞いて、エレンは驚いた。
「家門ごとつぶす? あんな大きな家を? そんなことができるんですか」
エレンは驚いて聞き返す。
「できるとも、殿下に手伝っていただければの話だが、これはお前次第だ。お前がどれだけ殿下に愛されているか試される」
デイビスの言葉に、エレンは覚悟決めて頷いた。
「大丈夫です。私は愛されています。ただ、乗り越えなければならない障害が大きいだけです」
◇
その頃、たくらみなど何も知らないローザはのんびりと紅茶を飲みながら、ヘレナを相手にバスボムに続く次の商品は何がいいかとティーカップを片手に語らっていた。
風呂好きの前世東国人のローザとしては、とにかくこの世界のアメニティを充実させたいのだ。
「セレブと言えば、泡ぶろよね。まだこの世界にはないわ」
ローザは顎に手を当て考える。
「はい?」
「いえいえ、なんでもないの。ただね。お風呂が泡だらけだったらどうかしらと思ったのよ。気持ちよさそうじゃない?」
前世に外国のホテルで泡ぶろを体験した記憶がよみがえる。
あれは最高だった。
泡はさらっとしていて体にまとわりつかず洗い流しやすい。それなのに泡もちがいいのだ。
ぜひともそれを再現したいと思う。
「まあ、お嬢様、子供のような発想ですね」
(そんな気もする。でも、それを言ったらしゅわしゅわのバスボムも一緒じゃない)
「ああ、どうしても泡ぶろに入りたいわ。ヘレナ、今度はバブルバスを布教するわよ!」
ローザはめらめらと燃える。
「お言葉ですが、お嬢様。作業場が足りません」
相変わらずヘレナは冷静だ。
「店の近くの土地をお父様に買収してもらうから、問題ないわ!」
毒殺の危機も去ったような気がしているので、ローザはセレブ生活を満喫することにした。
そして、この世界の風呂文化を育てるのだ。
ローザはふつふつと使命感に燃える。
(今世はセレブリティを満喫するわよ!)




