いざ、下町へ!
その後、イーサンはシャツとズボンを途中で調達して着替え、馬車は家紋のないものを使う。
やっと下町の小劇場に着いた頃には午後のお茶の時間になっていた。
王都の中心地にある劇場とは違い。
いくぶん、うらぶれた感じがあった。
「すっかり遅くなってしまいましたわ。早速参りましょう」
ローザが先陣を切って、さっさと小劇場へ向かおうとするとイーサンが止める。
「ちょっと待って。そろそろ芝居が始まる時間ではないのか?」
「その前に捕まえるのです」
「しかし、稽古があるのでは?」
確かにイーサンの言う通りだ。
「では、急ぎます」
「君は待てないのか?」
呆れたようにイーサンが言う。
「はい!待てません!」
ローザは劇場の入り口に立っていた案内の男に聞く。
「ジリアンという役者はいませんか?」
すると案内の男が驚いたような顔をする。
「あんた、よくそんな端役の名前など知っているな」
「はい、ちょっとお話があるのでお会いしたのですが、呼んできてもらえませんか?」
「客じゃないなら、楽屋に行きな。大部屋にいるからすぐに会える」
男が不愛想に答える。ローザはその対応にびっくりした。
するとイーサンがすかさず案内の男にチップを握らせる。男はすぐにジリアンを呼びに行った。
「へえ、そういうシステムになっているのですね」
ローザは感心したようにイーサンを見る。
「王都の中心地の大劇場とは勝手が違うんだよ」
「閣下は、ずいぶんと詳しいのですね」
「その閣下というのは、やめてくれないか?」
「どうしてですか?」
ローザが不思議そうに尋ねる。
「ジリアンという役者の前でも私を閣下と呼ぶつもりか」
イーサンの言う通りだ。
「では、グリフィス様でよろしいでしょうか?」
「いや、偽名を使おう」
イーサンがそう言ったとき、ローザは唐突に前世で飼っていた犬の名前を思い出した。
「ジョン様はどうですか!」
ローザがきらきらした瞳で問うと、イーサンが怪訝そうな顔をする。
「別に、構わないが……」
「嬉しいです!」
ジョンは、ちょっと間抜けで愛嬌のある雑種犬だった。懐かしく思い出す。
「ところで、君のことは何と呼んだらーー」
イーサンがそう問いかけたところで、ちょうどジリアンがやって来た。
赤毛にハシバミ色の瞳の二十歳ぐらいの女性だった。
そこそこの美人という感じで、端役というのもうなずける。
「あたしに何の用? これから舞台なんだけれど」
ローザは早速イーサンの真似をして、不機嫌なジリアンにチップを握らせた。
「ちょっと近くのカフェで話がしたいの」
ジリアンはうさん臭そうな顔でローザを見て、次にイーサンに視線を移す。
ジリアンはしばらくイーサンに見とれていた。
(まあ、そうなるわよね)
「そちらの紳士も一緒なら、行ってもいいわよ」
「あら、ずいぶんと上から物を言ってくれるじゃない」
ローザにしてみれば、ジリアンは自分の悪評を広めた腹立たしい相手である。
「ジリアンといったね。あの角にあるカフェで少し話をきかせてもらないか?」
イーサンが微笑みかけると、ジリアンはころっと態度を変えた。
「いいですよ!」
ローザをまるっと無視してイーサンの元へ行く。
「ちょっとなんなのよ」
ローザが仁王立ちで腕を組む。
少し離れたところで様子を見ていたヘレナがそばへ来て、ローザの背中をなだめるように優しくさする。
「お嬢様、ここは閣下におまかせした方がよろしいのではないでしょうか?」
「ジリアンに言いたいことは多々あるけれど……。今回はそうするわ」
ローザもそれはわかっている。
「では私とヒューはお嬢様を警護しつつ見守っております」
「ええ、よろしくね。というかあなたたちもカップルを装って店に入ったら?」
「よろしいのですか?」
ヘレナが驚いたような顔をする。
「もちろんよ。なるべく近くに座って一緒に会話を聞いてほしいの」
「承知いたしました。おまかせください」
ヘレナが頼もしい返事をしてくれて、ローザは心強かった。
「で、何のお話ですか?」
カフェに入り注文を終えた後、ジリアンがうっとりとした様子でイーサンに聞く。
「話があるのは私の方よ」
ローザがぴしりと言う。
「それはわかっているけど、あんた、名前は?」
途端にジリアンの態度がぞんざいになる。
「私はローザ」
本名を名乗るローザに、イーサンがぎょっとしたような顔を向ける。
「おい、君はなぜ本名を」
ローザの耳元でささやく。
「問題ありません」
別に気にならなかった。
「何こそこそ話しているのよ。用があるなら早く言って、こっちは暇じゃないのよ。からかっているわけじゃないわよねえ?」
ジリアンは機嫌を損ねたようだ。
しかしローザには関係ない。
「ねえ。あなた、ローザ・クロイツァーの悪い噂を流したでしょう?」
単刀直入に聞く。
「あら、誰それ? そういえば、あなたもローザっていったわね」
ジリアンが髪をいじりながら言う。
「そうよ。私がそのローザ・クロイツァーよ!」
宣言するローザを見て、ジリアンは笑い出す。
「あはは、そんなわけないじゃん。偉い貴族のお嬢様がうらぶれた小劇場まで、わざわざあたしを訪ねにくるわけないでしょ? で、何? 調査の人?」
ジリアンは白状したも同然だ。
余裕の笑みを浮かべ挑戦的な目を向けてくるジリアンに構わず、ローザは先を続ける。
「あなたのことは、マーピン・ロスから紹介されたの」
その一言でジリアンの表情は変わる。
「何ですって! あいつ、あたしを売ったの?」
バンっとテーブルを叩き、顔を真っ赤にして立ち上がる。
どうやらかっとなりやすいタイプのようだ。
ローザにとってはマーピンよりずっとくみしやすい。




