エレンとアレックス
アレックスが王宮の執務室で仕事をしていると従者が入って来た。
エレン・モローが来たと告げられ、アレックスはため息をつく。
二人は今秘密裏に付き合っている関係だ。それなのにエレンは先ぶれもなく直接王宮の執務室に訪ねてくる。
今は微妙な時期なので訪問を控えるように言っているのだが、実際には訪ねてくる回数が減っただけ。
エレンをかわいいと思っていた時期もあった。しかし、今はいつまでたっても貴族社会の常識を学ばない彼女に苛立ちを感じることもある。
人払いをして、入室を許可するとエレンがおずおずと申し訳なさそうに入って来た。
その姿に庇護欲をそそられる。
「ダメではないか、こんなところに来ては、おかしな噂を立てられてしまう」
きっと噂が立つのも時間の問題だろう。
そんなアレックスの思いに気づかぬように、エレンは潤んだ瞳をアレックスに向ける。
「そんな……おかしな噂だなんて。私はいてもたってもいられなくてここへ来たのに。アレックス様はどうしてそれほど、ローザ様にこだわるのです? わざわざ、ローザ様のお店にいったと聞きました。なぜです?」
エレンに責める調子はなく、とても悲しげだ。だが、アレックスはエレンがそのことをしっているのに驚いた。
「仕方がないのだ。私が王太子になるためにはクロイツァー家の後ろ盾が必要なんだよ」
「つまりうちのような貧乏伯爵家ではだめだということですね。うちにお金さえあれば!」
彼女は涙ながらに訴える。
「だから、もう少し待ってくれと言っている。私が王太子となった暁には必ず君を迎えに行く」
「そんなのクロイツァー家が黙っていません」
エレンはすっかり悲しみに暮れている。
アレックスは彼女をなだめにかかった。そうしなければ、エレンは感情的になって、また不用意に王宮に訪ねてくるだろう。
「問題ない。私はあの家の傀儡になる気はないのだ。それにローザは、今はおとなしくしているようだが、そのうち馬脚を現すだろう。人間突然変わったりしないさ。だから私を信じて待っていてくれ」
とはいつつも、アレックスも焦りを感じている。
あれほど、熱烈にアプローチしてきたローザが、今はアレックスに何の感情も抱いていないようなのだ。
まるで人が変わったように。
そのうえ、最近では一番の味方であった叔父のイーサンが妙によそよそしい。気のせいだろうか?
「アレックス様は、なぜ、そうまでして王太子になりたいのですか?」
「なりたいのではない。ならなくてはならないのだ。私の兄は暗愚であるし、私を押す勢力もある。この国の王子に生まれた以上、私はこの国のために持てる力を尽くしたいのだ」
エレンはアレックスの言葉にこくりと頷く。
「わかりました。私はアレックス様を応援しています」
「それならば、しばらくは王宮に来るのは控えてほしい。ここで君と私の噂が立ってしまうと後々足元をすくわれることになるかもしれない。エレン、君が考えているより、王宮は恐ろしいところなのだ」
その後アレックスは、しばらく茶を飲みながらエレンの他愛のない話に付き合った。
エレンに対する執着よりも、ローザに対する執着のほうが大きくなってきていることにアレックスは気付いていた。
なぜなら、ローザにはエレンにない賢さがあるからだ。
一方でそんなローザを警戒してしまう。
クロイツァー侯爵家の後ろ盾がなければ側妃腹の自分が王太子となることは難しいだろう。
だが、クロイツァーの人間は賢すぎる。
アレックスはこの国のすべての権力を掌握することを切に願っていた。
だから、クロイツァー侯爵家が必要でもあり、同時に邪魔でもあるのだ。
外戚とは兎角面倒なもの。早急に結論を出すつもりはなかった。今はローザの動向を見極める時期だと考えている。
エレンと噂が立つことだけは避けたかった。




