謝罪と和解?
しぶしぶバックヤードに案内したものの、できるメイド兼売り子兼バスボム製造者兼秘書のヘレナがしっかり茶の準備をしていた。
父や母、兄や友人たちからと豊富な差し入れがあり、十分なもてなしができるレベルでがっかりする。
これでは長居してくれと言っているようなものだ。
「それで、ここへは何しにお越しになったのですか?」
「ああ、すっかり君は忘れているようだが、私たちの間で情報交換しようと言う話になったと思うが」
「納得です。うちに来るのが嫌で店に来たのですね」
ローザはあっさりと頷く。
「……いや、親御さんたちに妙な期待を抱かせてもと思って」
それについてはローザは何も言えない。多分彼が治療ではなく、ローザのもとへただ茶を飲みに来たとなれば大騒ぎだろう。
なんといっても両親はローザの相手にと優良な高位貴族を狙っている。
彼らの娘は欲望に忠実な悪役令嬢だというのに、親心とは切ないものだとローザはしみじみとかみしめる。
「妙な気を遣わせてしまいましたね。両親はあくまでも私の幸せな結婚を願っているのです。結婚はクロイツァー家のためではありません。
私の金遣いが荒いせいか、相手が金持ちでなければ幸せになれないと思い込んでいるのです」
「実際はそうではないと?」
「ふふふ、あなたに言う義理はございませんので」
ローザはにっこりと笑う。
「ははは、ちょっと不躾な質問だったようだね。店は繁盛しているようだし、君は立派な実業家だから金なら自分で稼げるな」
「まあ、閣下、お金に色はございませんのよ。どなたのお金でもいただければ綺麗に使って差し上げますわ。ほほほ」
そこでイーサンが咳ばらいを一つする。
「腹の探り合いはこれくらいにして、そろそろ本題に入りたいのだが」
ローザもそれに賛成だ。
嫌味の応酬はこの程度で十分である。
「で、ご用件は噂ですか? あいにくと私は商売を軌道に乗せるための情報収集しかしておりません。社交界の噂といっても自分の派閥の方々としか付き合わないので」
とにかくバスボムを布教したいのだ。
「ああ、クロイツァー侯爵家の派閥で君の評判はうなぎのぼりのようだ。殿方にも人気のようだね」
褒められて悪い気はしない。
だが、その褒めてくる相手がイーサンなのが気になる。
「で、何がおっしゃりたいんですの?」
今ローザに言い寄ってくる男たちがクロイツァー家の財産が目当てなのはわかり切っている。要するにローザの持参金が目当てなのだ。
「この間王宮でちょっとした舞踏会があってね」
そういえばローザの元にも招待状が来ていたが、大規模なものではなく、一部の高位貴族のみの招待だったので店を優先した。
今は販路の拡大に繋がらない催し物は出ていないことにしている。
バスボムの受注も途切れず、仕事が楽しくてたまらないのだ。
「公式の大々的なものに出席すれば十分かと思っておりますので」
イーサンはローザの言葉に頷くとおもむろに口を開いた。
「単刀直入に言う。君の噂は芳しくない。特にクロイツァー家以外の派閥では中立派の中にも悪評が広がっている」
「……はい?」
全く意味が分からないかった。
最近のローザは問題行動一つしていないし、品行方正に商売をしているし、バスボムの売れ行きも良い。
それなのになぜ、評判がさらに下がるのか。さっぱり見当がつかない。
「私の評判って下がりようがないほど、下がっていたと思うのですが、まだ下がる要因がありました?」
眉根を寄せるローザに、イーサンが思わずと言った感じて噴き出す。
さすがのローザもそれには怒りをあらわにした。
「閣下! 失礼にもほどがありますよ?」
「申し訳ない。あまりにも君の言う通り過ぎて、つい」
すぐに頭を下げ平謝りしたので、ローザはしぶしぶ頷いた。
(結構、潔く謝るじゃない。まあ、許してあげないでもないわ)
「それで、今度はどんなうわさです? ドレスや宝飾品を買い占めたとか? 街で散在しまくっているとか? バスボム製造で従業員をこき使っているとか?」
「え? 君はそんなことをしているのか?」
イーサンが軽く目を見張る。
「していません。確かに店の三分の一ほど、ドレスを買い占めたこともありますし、従業員に残業させたこともあります。しかし、残業代はきちんと払っていますし、うちの残業は希望せいです!」
ローザは誇りを持って言い切ると、イーサンが圧倒されたように体を引く。
「……まったく、違う噂なんだが」
イーサンは圧倒されたのではなく、堂々と言い切るローザにドン引しただけだったようだ。
しかし、ローザにとっては他の噂はとんと思いつかない。だいたいアレックスにすら近寄っていないのだ。
最近は夜会より、茶会が主でバスボムを買ってくれそうなご婦人方を招待したり、時には招待されたりしている。
至って良好な人間関係を築いている。
少し前まではともするとクロイツァー家の派閥の中でも眉を顰められていたこともあったが、ここのところはそうでもないはずだ。
むしろバスボム欲しさに群がってくる者たちもいる。高位貴族の美容にかける執念には並々ならぬものがあるのだ。
そのおかげで金箔入りの売れ行きが良く、ローザはほくほくである。
「まえに、アレックスとモロー嬢の密会を見ただろう? あそこでモロー嬢が言っていた噂が広がっている」
「それって、まさか馬に蹴られたのが自作自演とかっていうアレですか!」
ローザは思わず立ち上がる。
「そのまさかだよ。私もその件について聞かれて『ありえない』と答えたんだ。だが、噂はすでにかなり広まってしまっている」
「ひどい! ひどすぎるわ! 私、死にかけたんですよ? そのうえ、殿下と婚約なんかしてないじゃないですか!」
すると珍しくヘレナが慌てたように口を開く。
「お嬢様、お言葉使いが乱れております」
ローザの耳元で早口にささやく。
「そ、それもそうね。ちょっと冷静にならないと。・・・にしても腹が立つ! そういえば腹立ちついでに一つ。先日殿下が呼びもしないなのに家の店にお越しになりました。
六頭立ての王家の馬車を店の前におとめになったので、往来が途絶えてしまいましたの!
お陰で私の店は近隣店舗にご迷惑をおかけしてしまいました。
あなたの大切な甥御様である殿下はなぜそのようなことをなさっているのでしょう?」
(いったい、どんな躾を受けているのかと王宮に乗り込みたいわ!)
ヘレナは怒れるローザ姿にあきらめたように首を振ると、茶を淹れなおしに行った。
しかし、イーサンはどこ吹く風で、考え深げに顎に手を当てる。
「アレックスが王家の馬車を使って店に来たということは……。また、噂に尾ひれがつかないことを祈るよ」
「あら、私のために祈ってくださるのですか?」
「もちろん、以前はずいぶんと不躾な態度をとって申し訳なかったね」
きっぱりと謝られてしまうとローザにもう言うことはない。
それにローザにはもっと考えなければならないことがある。
「閣下、ではその件は和解と言うことで」
「え? そんなにあっさりと」
イーサンが珍しくきょとんとした表情をする。推しが初めて見せる表情にローザの心はほんの少し揺らぎそうになる。
だが、彼女の前には片付けるべき重大な問題があった。
「はい、それでなんですが。閣下、仮の話としてクロイツァー家が没落したとします。
そのとき国庫に没収されないで済む財産を外国に築いておきたいんですよ。どこかお心当たりはありませんか? ぜひ、和解のしるしとしてご教示願えませんか?」
いけしゃあしゃあとローザが言う。
「君は、いったいこれから何をするつもりなんだ?」
せっかく和やかに緩んだ空気が、ローザの一言でまた凍り始めたのだった。
「え? 和解のしるしに知っておきたいだけですよ?」
ローザがゆるりと首を傾げ、すっとぼけた。




