ドリームカムトゥルー?
「殿方がバスボムをお使いになるのですか?」
ローザは困惑した。
入浴剤が好きな男性というのは前世でもたくさんいたが、バスボムとなると聞いたことがなかった。
もしかしたら、前世のローザが知らなかっただけで密かに愛好家がいたかもしれない。
あのしゅわしゅわとした感触は癖になる。美肌効果ありで、そのうえ好みの香りづけをすれば最高だ。
父は身を乗り出して熱心に言う。
「どうだろう。ローザ、ここは一つ頼めないかな」
しかし、なぜだろう。
紳士と聞いた途端、ローザのテンションは駄々下がりである。
「三十個分くらいならご用意できますが」
気のない様子でローザが言う。
すると父が驚いたように目を見張る。
「何? 前回は最終的に七十名以上参加したではないか? 一人につき三種類ほど準備したのではないか?」
ローザは父の言葉を聞いて、ため息をつく。
「まず、男性物の開発はしていないので。それに女性向けには香りや美肌効果などをうたって配っていましたが、それって男性はどうなのでしょう。
美肌効果は嬉しいでしょうけれど。
香りはフローラ系の甘いもので、色づけも暖色系にしていました。それから、バラ型のバスボムを作ったりもして、いろいろと楽しかったのですが……」
この世界の男性は前世に比べて洒落者が多いが、それでもローザは一気にやる気がそがれた。
いくら男性が袖にフリルやレースをつけている世界でも、装いは明らかに女性とは違うし、まとう香りも違う。
「いや、それで構わんよ。ご婦人たちに評判がいいので、ぜひ試してみたいと言う紳士も多いのだ」
ローザは父の言葉に、さらに困惑する。
(そんなものかしら?)
だが、ここで点数を稼いでおけば、ローザが店を持つ近道になるかもしれない。
ローザは気持ちを切り替えた。
「お父様。私がバスボムを作るとして、期間はどれくらいですか? 前回は徹夜続きになってしまったので、今回それは避けたいのです」
「そうだな。開催は三週間後くらいでどうだろう?」
「結構、期間はあるんですね。それで、お兄様。男性の好まれる香りというのが私にはよくわからないので、お兄様がサンプルを採取してください」
口を挟まずニコニコと笑いながら聞いていたフィルバートは、突然話を振られびっくりする。
「え? 僕が?」
「そうです。お兄様はおモテになるでしょう? それにお兄様のご友人も。ぜひとも、そう言う方々から香りのサンプルをいただきたいです」
いまひとつやる気は出ないが、いい加減なものは作りたくないので兄に依頼する。
兄とその友人たちは、若い貴族の中では影響力がある。前世でいうインフルエンサー的な立ち位置にいた。
そして、ローザにははっきりさせたいことがあった。
「それで、お父様。私はまだ事業計画書を提出していないのですが、これはお父様が私に仕事を発注したということでよろしいのでしょうか?」
すると父が瞠目する。
「ちょっと待て、ローザ。なぜそんな話になる?」
「ビジネスのお話ではないのですか?」
ローザが詰め寄る。
「来てくださったお客様にクロイツァー家の娘として、バスボムをわたして欲しいと思っただけなのだが……。よし、わかった。ビジネスとしてお前に頼もう。そして評判が良ければ考えよう」
これでローザも少しはやる気が出てきた気がする。
「それで、いらっしゃる殿方の年齢層は広いのですか?」
「え?」
「は?」
父と兄の声が重なった。二人とも不思議そうな顔をローザを見る。
(何かしら、先ほどからお父様とお兄様の態度に不自然なものを感じるのだけれど?)
ローザとしては、ある程度サンプルを集めなくてはと思ったからきいただけだ。
場合によっては父にも協力を得ることになるだろう。それなのに、場にはしばし奇妙な沈黙が落ちた。
「いや、将来有望な青年貴族ばかりだ」
父がいつになく歯切れの悪い口調で言うを聞いて、ローザは訝しげに首を傾げる。
「それは……お兄様のご友人とか?」
「違うぞ、ローザ。私は若者を育てたいとかねがね思っていたのだ」
そんな話は初耳だ。
ローザは今まで、父が育てたいのは家の資産かと思っていた。
「なるほど、わかりました。試作品を作ってみますから、お父様もお兄様も試してみてくださいね。では私はこれで失礼します」
いつもと違い反応が鈍い父と兄の様子に、ローザは首を傾げつつも了承し、部屋を後にした。
執務室から、少し離れた廊下でヘレナが小声でローザに声をかける。
「お嬢様、これは……あれですよ」
意味ありげな視線をヘレナが送ってくる。
「あれって何?」
ローザにはヘレナが言わんとしてることがわからない。
クロイツァー家の長い廊下には二人の靴音がコツコツと響く。
「おそらく、将来有望な青年貴族というのは、お嬢様の婚約者候補なのではないでしょうか? 私の勝手な憶測ですが……」
「ええ! なんですって?」
ローザはびっくりして叫んだ。
「だって、おかしいじゃないですか? 将来有望な青年貴族ばかりを集めるなんて」
そう言われてみれば……。ヘレナの話で父と兄の態度が腑に落ちた。
「そうよね? お父様が、若手を育てたいなんて初めて聞いたし。『商売の世界は生き馬の目を抜く世界だ』と日頃から豪語している方なのに、おかしいわよ! あなたの言う通りだわ」
そう言ったとたんローザは踵を返す。
「お嬢様? どちらへ?」
驚いたようにヘレナが声をかけ、後を追ってくる。
「私、婚約なんてしたくないのよ。とりあえず自分のお店を持ちたいの。儲けを外貨に換えて、外国に資産を置いておきたいのよ。殿方なんて二の次なの」
バスボム作りについ夢中になってしまったが、自分が第一章で退場する舞台装置の悪役令嬢だということを忘れたわけではない。
(いや、正直にいえば、ここしばらく楽しく充実した時を送っていて、忘れ去っていたが……。それにお父様のことだから、アレックス殿下をお呼びするかもしれない)
ローザの事情など知らないヘレナは目むいている。
「は? 全く意味が分かりませんが? なぜ、お嬢様がそのようなことをなさろうとお考えになったのです?」
「わかるわ。ヘレナ、不思議よね? でも大丈夫、心配しないで。私はこれまでにないくらい冴えているから。ちょっとお父様とお話して今回のことはお断りしてくるわ」
「ええ? お断りするのですか?」
ヘレナが少し残念そうな顔をする。
「あら、あなた、残念に思っているの?」
「あ、いえ、その、この間のバスボムづくりが楽しかったので」
そういってちょっと頬を染める。最初の頃は無表情だったヘレナも、最近では時々かわいらしい一面をみせる。
「あなたも言っていたでしょ? 『お嬢様は、妥協しない』って」
「え?」
「あと三週間で、お兄様に香りのサンプルを集めてもらってって。なんだかやっつけ仕事みたいじゃないかしら?」
「確かに、女性の時とはお嬢様の熱量が全然違いますね」
ヘレナと話しながら、ローザは自分の考えをまとめていく。
「でしょ? いちおう自分の店を持つのが夢だから。じっくりとやっていきたいのよ。いい加減なものを配って、評判を落としたくもないし」
「なるほどです」
ヘレナが納得したとき、再び執務室の前にローザは立った。
四回ほどせわしなくノックをする。
返事が聞こえるや否やローザはドアを大きく開ける。
「お父様! ならびにお兄様! 魂胆は見え見えです! お見合いでしたらお断りですわ!」
そう言いながら、ローザが執務室に踏み込むと、のんびり茶を飲んでいた二人は同時にむせて、おたおたとしだした。
(ヘレナの推測通りね。さすがヘレナ、できる女だわ)
ローザは、慌てて言い訳を始める父と兄を見ながらほんの少しだけ申し訳ない気分になった。
二人はただローザの将来を心配しているだけなのだ。
だが、ローザにとっては将来毒殺予定の自分と、没落予定のクロイツァー家が心配だ。
だから、ローザは彼らに有益な忠告をすることにした。
「そうそう、お父様、外国に資産をお作りになってはいかがです? 隣国ではなく、国の手の及ばない遠方に」
「あ?」
脈絡のない話を始めるローザに父はあっけにとられ、
「何を言い出すんだ、お前?」
兄はドン引きしていた。
(やっぱり、そうなるわよねえ? これで前世がどうのと言い出したら、また治癒師閣下が呼ばれてしまうわ)
ローザは自分の言葉にどう説得力を持たせたらいいのか考えあぐねた。
◇
それから三日後、ローザは再び父に執務室に呼び出される。
「はあ、どうしても結婚させたいみたいね」
「お嬢様、それはあきらめてください」
ヘレナに言われ、ため息をつきながら、執務室に入ると開口一番父から言われた。
「ローザ、バスボムの評判が非常にいいようだ。店をもたせてやろう」
てっきり見合いの話かと思っていたローザはびっくりした。
「え? でも事業計画書を提出していないですよ?」
「お前のアイデアなのに、ほかのやつらに先を越されたら業腹だろう」
そう言って父はにやりと笑う。
本当にバスボムは好評なようだ。
「お父様、ありがとうございます! 店は絶対にはやらせます!」
前世から、ぼんやりと温めていた夢が今世でかなう。
夢とは、唐突にかなうものだとローザは初めて知った。




