密談?
念のため傷の経過を見たいと称してイーサンがクロイツァー家にやって来た。
ちなみに一生残るといわれたローザの傷はほとんど残っていない。
「傷をすべて消すとなると、もう少し治療に時間がかかる」
「もう、いいですよ。別に化粧をしていなくてもそれほど目立ちませんから」
「しかし、若い女性なら、気にするだろう? それにクロイツァー卿からは、傷ひとつなくと注文を受けているのだが」」
「私は気にしません。ここで治療をやめたとしても父は気付かないと思いますよ?」
ローザがあっさりとした口調で言う。
「そうか……」
イーサンの帰り際、彼からメモを渡される。
メモには『君に予定がなければ、三日後の午後のお茶の時間にグリフィス家のタウンハウスに』とかかれていた。
まるで呼び出し状のようだ。
「普通に手紙で知らせようとか、思わなかったのですか?」
ローザは単刀直入に尋ねる。
「なぜ? こうして会うのに。それに今回は非公式な面会だ」
「ああ、下手に私に手紙を書いて父に変に勘ぐられるのも面倒ですしね。納得です」
「……」
図星だったようで、初めてイーサンをだまらせることができた。ローザはご満悦で、無表情で診察を終えて帰るイーサンを見送った。
「お嬢様、いったい何の取引ですか?」
「うわっ、びっくりした!」
今まで空気と同化していたヘレナが突然口を開いたので、ローザは飛び上がった。
「お嬢様、品がないですよ」
「あなたが急に話しかけるからでしょう?」
「それより、何のやり取りです?」
ローザの言葉をさらりとながして、ヘレナは聞いてくる。
「ああ、閣下と会う約束をしたのよ」
そう言った瞬間ヘレナが驚愕に目を見開いた。
「はあ? なぜ、そのようなことに?」
ヘレナは今までのやり取りからイーサンとローザが不仲なことは知っている。
「ああ、ちょっとした情報交換かしら? たいしたものではないわ」
「では私もついていきます」
きっぱりと言うヘレナ。
「閣下は父の耳にいれたくないようなのよね。でもヘレナの雇い主はお父様だし」
「お嬢様、それは勘違いという者です。実は私は武術の心得もございましてお嬢様をお守りするように仰せつかっております。別にお嬢様が何をしたかという情報を、逐一ご主人様に知らせする目的で雇われたわけではございません」
「ちょっと驚いたわ。あなたってそんなに長く話せたのね」
ローザは感心した。
「驚いたのは、そこなんですか?」
「逆にどこに驚いてほしかったの?」
「武術の心得があると言うところです」
なるほどとうなずいた後、ローザは再び口を開く。
「まあ、一人で出かけるわけにもいかないし、当日はよろしくね」
どのみち、ローザにとってはどっちでもいいことだった。
父にこの会合がばれたら、面倒なことになるのはローザより、イーサンの方だ。
ローザは約束の日時に、グリフィス公爵家のタウンハウスへ家紋の入っていない馬車で向かう。
ポーチに乗り付けると、案内の執事が現れた。
エントランスホールは吹き抜けで、床は大理石。正面には中央階段が伸びている。
靴音が反響するほど広い空間にローザはあっけにとられた。クロイツァー家とはまた違った豪華さがある。
執事に案内され、ヘレナと共にサロンに案内された。
両開きのドアを執事が開けると見事な刺繍が施されているソファに椅子。猫足のティーテーブルが中央に置かれていた。
その先には大きな掃き出し窓あり、高い天井からはクリスタルのシャンデリアが午後の日差しを反射していた。
イーサンはローザの姿を見ると、椅子から立ち挨拶した。ローザも挨拶を返す。意外にも普通のやり取りだ。
「ドアは開けておくが、クロイツァー嬢と二人で話したい。お前たちは席を外してくれないか?」
イーサンが使用人たちとヘレナに言うと、ヘレナは心配そうにローザをのぞき込む。
「大丈夫よ。ヘレナ」
「承知いたしました、お嬢様。私はドアのそばにて控えております。なにかございましたら、すぐにお声がけください」
ローザの言葉に頷くとヘレナは部屋から出ていった。ドアのそばと言ってもこのサロンじたいが大きいので会話など漏れ聞こえることはないだろう。
ローザがすすめられるままに席に着くと、早速イーサンが口を開いた。
「君のところのメイドは、ずいぶんと忠誠心が強いんだね。それとも私が君に害をおよぼすとでも思っているのかな?」
サラサラの長い銀髪を後ろで結んだ麗しき公爵がにっこりと微笑む。が、瞳が全く笑っていなくて、怖い。
(え? しゃべっているとき口動かした?)
美しい置物から、音楽がかなでられているようだ。
「うちのメイドはまじめで職務に忠実な働き者なのです。ご容赦くださいませ」
「安心してくれ、食器は銀器を使っているから」
さらりとした口調で言うイーサン。
「なるほど、ヒ素は入っていないということですね?」
ローザの余計な一言に、再び場の空気がぴしりと凍り付く。
「ふふふ、私が君に薬を盛るとでも?」
「失礼、致しました。最近夢見が悪くて、よく毒殺される夢を見るのです」
ローザは引きつった笑みを浮かべ、自分の失言をフォローしようとして、墓穴を掘り続ける。
ローザの中でイーサンは依然として毒殺犯その1だ。
「何か、毒殺をされるような恨みを買った心当たりでも?」
イーサンが優雅にティーカップを持ち、紅茶に口をつける。
まるで毒など入っていませんよというように。
「ほほほ、冗談がお上手ですのね」
ローザはセンスをぱっと開いて口元を覆う。引きつる口元を隠したはいいが、こめかみに青筋が立ちそうだ。
「ははは、単なる好奇心だよ。失敬」
しばらく二人の乾いた笑い声がサロンに響いた。
(どうしてこうなった? それに、この人何がしたくて私を屋敷に呼んだのかしら?)
「さて、腹の探り合いはこのくらいにして本題に入ろうか?」
「腹の探り合いでしたの?」
ローザはてっきり嫌味の応酬かと思っていた。
「ん? クロイツァー嬢はまだこのやり取りを続けたいのかな?」
「いえ、これ以上生産性のない時間を過ごすつもりはありませんわ。それで本題とは?」
サクッと話を終えたいローザは先を促した。
「もちろん、先日の夜会の件だ。君はあの状況をどう思う?」
「ああ、覗きの件ですね。家の名誉のために先に言っておきますが、クロイツァー家はモロー家に嫌がらせはしておりません」
ローザがきっぱりと言うとイーサンは頷いた。
「ああ、そうだろうね。クロイツァー卿はそのような無駄な真似はしないだろう」
「え?」
「なぜ、驚いている?」
イーサンがいぶかしそうに首を傾げる。
「いえ、閣下はてっきりうちの家門を疑っているのかと」
「クロイツァー卿は無駄を嫌う合理的なお方だ」
「あれ? 閣下はてっきりうちの家門が気に入らないのかと思っていたのですが?」
するとイーサンがあきれたような顔をする。
「別にクロイツァー家に恨みなどないし、元々関わりもない」
ということは、彼が嫌いなのはローザだけということになる。
(毒殺犯ではないってことかしら? 私が嫌いだと言うだけでクロイツァー家を敵に回したりしないわよね。リスキー過ぎる)
そう考えてもみるが、ローザは現実のこの世界でのイーサンをよく知らないし、漫画でも脇役だったからそれほど細かくは描かれていなかった。
ただ彼がなぜローザを嫌いなのかは知っている。イーサンの大切な甥アレックスに迷惑をかけまくっていたからだ。
漫画の中でイーサンは二歳下の甥アレックスを非常に可愛がっていた。そして、常に彼の味方だった。
なぜなら、イーサンはアレックスに己の過去を重ねていたからだ。




