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神薙  作者: 猫ざらし
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34.悲しき魔物たち


「……神の魔物でもあろうお前が、神薙などという低俗な存在に成り果てるとはな、海神」

「今すぐその体から出ていきおったら、見逃したるで」

「やはり、この体の持ち主がよほど大事と見える。だが、今さらこの体の持ち主に尻尾を振ろうと、お前の殺した人間の数、百はくだらぬ。お前にはもう、神薙に戻る資格などあるまい」


 蟒蛇が、焼き切れた左腕を再生しようとするが、肉が盛り上がったそばから紫電に刻まれ、欠片となって散った。


「再生は無理や。あんたの子どもと戦ったときに、海鳴に斬られた傷は再生できへんことは確認しとる。神薙に戻る資格がない、やったっけ? あほなこといいはるなぁ。そんな資格、最初からあらへんよ」


 ワダツミが、蟒蛇の血しぶきで黒く染まった刀を振るう。


「主はお堅い人やからなぁ。最初からうちのこと、許してなんてくれへんわ」


 綴が、蟒蛇に操られているのだと知ったら、間違いなく即座に自害していただろう。それを知ってなお、ワダツミは綴に嘘をついていたのだ。

 蟒蛇が眠りにつく間、何度か綴が意識を取り戻したことがあった。 そのたびに、どれほど眠っていたかと問う綴へ。


 ――たった、数時間くらいですわ。疲れとるんやろうなぁ。


 綴の眠っている間に、蟒蛇の命の下。妖狐の餌となる人間を何人も殺した。そんな自分を、綴は決して許してなどくれないだろう。

 だが、ワダツミに殺せるはずもなかったのだ。蟒蛇の中に、綴がいるかぎり。その魂がついに消えてなくなる、今夜までは。


「――ワダツミ、まさかナカメを殺していないだろうね」


 ワダツミのそばに集まる血の粒。それは、ワダツミの分身を倒した、玄月であった。


「囮に使わせてもろたわ。しかし遅かったなぁ、玄月。子育てで弱なったんとちゃう?」

「あのさぁ、だまし討ちが目的なら君の分身、もっと弱くしておいてくれてもよかったよね。私への嫌がらせかい?」

「理由なんて決まっとるやん。自分といっぺん、本気で殺りあってみたかった。それだけや」


 玄月が呆れたようにため息をつく。


「萬。君もまだ倒れるようなタマじゃないだろう」


 玄月の言葉に、琥珀に支えられていた萬が苦笑いを浮かべた。


「さっきのワダツミのビリビリはちと堪えたがのう。じゃが、まだナカメの力は残っとる」

「萬様、ですがナカメの肉を取り込んだ代償があります。ナカメの血肉に頼れば、それだけ寿命を縮めることになります……!」

「心配するな、琥珀よ。友が呼んでおるのじゃ、余が立たぬわけにはいかぬだろう」


 そう言われれば、琥珀にはもう。萬を引き止めることはできなかった。


「ワダツミ。お主のしたことは、例え綴殿を守るためであっても、許されぬことじゃ。じゃが、もしも蟒蛇が取り憑くのが琥珀だったらと思うと……どうしてもお主を恨めぬ。恨めぬどころか、蟒蛇への我が怒り。怒髪天を衝くとはこのこと――許さぬぞ、魔物よ」


 激しい火炎が吹き荒れ、雷鳴が轟く。萬が二本の戦斧を担いだ。筋肉が再び膨れ上がり、倍近い体躯へと強化される。


「我が友を愚弄した己の罪、魂をもって贖え――!」


 轟々と燃え盛る斧を天へとかざし、大地を踏みしめる。


《斧舞・獅子双炎!》


 高く飛び上がり、振り下ろされた斧から迸る爆炎。


「くだらない。償うべきは貴様らの方だろう、神薙。お前たちは、罪もなき魔物を殺し、悪戯に牢へと押し込めた。その嘆き――忘れたとは言わせぬ!」


 蟒蛇の体が、再び分厚い鱗の蕾に覆われる。萬の攻撃を受けながらも、湧き出た触手が次々と形を変え、萬へと襲いかかった。

 その影を切り裂くように、一陣の稲妻が駆け抜ける。


「――せやったら、綴様にはなんの罪があったんや」


 黒髪をなびかせ、雷を帯びた刀を構えたワダツミが、蟒蛇の間合いへと飛び込む。


《終ノ太刀——千鬼翔》


 世界が光に包まれたように、空間を埋め尽くす無数の雷刃。 速さに追いつけぬまま、蟒蛇の体に傷が刻まれていく。しかし、蟒蛇の腕が再び形を変えた。それは、亀のような魔物の盾。


「……チッ、まだ魔物が残っとるんか。今までいくつ食ったんや」

「お前らが千年の間に狩った我が同胞の数と比べれば、微々たるものだ。私の望みは争いではなく、共存……肉を食う魔物。食われる人間。人と家畜の営みと同じことを、魔物と人間で行うだけだ。そこに、貴様らのような混血の外道は不要」

「こんな魔物からどうしてあの紫が生まれたのか、わからないな」


 地面に広がった赤い液体――それは、血。蟒蛇の傷から流れた血が、まるで意志を持ったように蠢いた。


「お前みたいな魔物がいるから、私たちが存在するのだとなぜわからない、蟒蛇――《鎖塵千血》」


 血が鎖のように絡みつき、蟒蛇の動きを鈍らせる。無数の血の刃と萬の斧が、蟒蛇を守る分厚い肉壁を両断した。

 ワダツミの前に、開けた道。一直線に、跳躍する。紫電を刀に纏い。眩い光が闇を裂いた。


「終わりや、蟒蛇」


 ワダツミの刃の先が、蟒蛇の首に迫る。しかし、その瞬間。萬や玄月を襲っていた触手が、一気に蟒蛇の中へと収縮した。


「――待っていたぞ、海神の力」


 蟒蛇の口元が歪む。異変に気がついた玄月が咄嗟に叫んだ。


「罠だ! ワダツミ、目を閉じろッ!」


 ――蟒蛇が、最初からワダツミを飲み込もうとしていたのなら。考えられる切り札は一つ。


 だが玄月の声は、ワダツミには届かなかった。振るわれる刃。その瞬間。

 蟒蛇の肌を覆っていた鱗が剥がれ落ちる。露わになる白い肌。薄い唇。開かれた瞼。それはワダツミが焦がれ、切望した。透明な魔の双眼が、ワダツミを捉えていた。


「ワダ、ツミ…………?」


 その顔。その声。一瞬の間に、ワダツミの心に。閉じ込めていた、柔らかな感情が溢れ出す。


 ――綴様。


 ただ眠っていただけだと。血に濡れた両手を隠して、そんな嘘をついた自分を。一人の主のために、何の罪もない人間を大勢殺めた自分を。綴様は、決して許してはくれない。


 ――それでもいい。地獄に落ちても。恨まれても。少しでも長く、あなたのお側にいられるのなら――玄月。お前もあのとき、こんな気持ちやったんやろうか。


 ワダツミの刃の軌道が、わずかにぶれる。


 ――ほんまに、綴様は買い被りすぎやで。斬れるわけないやろ、あんたを。


 瞬間。蟒蛇の胸から生えた魔物が、妖気を凝縮した閃光を放つ。それは、ワダツミの体に風穴を開けた。


「やはりお前も所詮は半魔だったな、海神よ。父親を食らってもなお、弱くなった心は戻らなかったか」

「ワダツミっ……!」


 玄月が叫ぶ。だが、再びの蟒蛇の猛攻に、劣勢を強いられていた。


「これで一番の厄介者はいなくなった。神薙最強ともあろう夜叉が、こんなに呆気なく散るとは、いたましいものだ」


 ナカメが、横たわるワダツミに駆け寄る。ワダツミの腹からは血が絶えず溢れており、息があることも奇跡なほどだった。


「ワダツミさん、私の肉を食べてください! そうしたら、萬さんみたいに……!」

「アホ……うちのことはええから、手ぇだしや」


 ワダツミが、ナカメの両手に刀を乗せた。


「……刀なんて、すぐに振れるようにはならへんさかい……蟒蛇の力で飲み込め。海鳴は……きっとお前に力を貸すはずや……」

「ワダツミさん、私の肉を、お願いですからはやくっ……!」

「自分も依代になったんやから、覚えとき……玉と依代は不老や。いつかどこかで、死に場所を選ばなあかん……綴様はもう、消えてもうた。ここが潮時やろ……」


 ワダツミの言葉に。ナカメが手のひらに乗った重たい刀を、両腕で抱える。


「堪忍な、ナカメ……仇、取ったってな……」


 それはきっと、綴さんの仇。

 ナカメは、自分の奥底で蠢く力に、飲み込めと命じた。両手から溢れる、錆びた血のように黒いものが。海鳴を包み、かき消していく。


 ――暴力的な力が、溢れる。


 それはいますぐにでも、全てを消し去りたいほどの衝動。きっと海鳴は、ワダツミさんの欠片でもあったんだ。

 ナカメの全身を包んでいた鎧のような血が、バチバチと音を立てて、雷光を放った。

 萬と玄月のもとへ。今すぐにでも駆け出そうとするナカメの腕を。デジ子が引き止める。


「まだです。玄月様の背中は、まだ来るなと言っています。合図がある、そのときまで」


 デジ子の言葉に頷き、意識を自分の中に集中する。

 玄月様との出会い。砂淵鶯との戦い。そして萬さん。神薙に入り、出会ったすべての人たちが。私の両足を強く、踏ん張らせる。


「ワダツミさん。必ず私が、綴さんの仇を取ります」

「…………頼んだで、玄月の子」


 瞬間。玄月の赤い瞳が、ナカメを射抜いた。それは合図。 踵に力を込める。


「――行ってきます、デジ子」


 玄月と萬の切り開いた道へ。紫電を迸らせる血の刀を携えて、一直線に踏み込む。

 重い。体じゃない、心が。

 誰かから必要とされたいと、ずっと思っていた。誰かのために死ねたなら、どんなにいいかと。

 知らなかった。誰かから大切に思われることが、期待を受けることが。こんなにも苦しくて、重たいことだったなんて。


「やっと来たか、不死の子よ。さぁ私の元へ帰るのだ。この不毛な戦いを終わらせる、残虐な時代の終焉だ」


 ――私が飲み込まれたら、全てが終わる。


 今すぐ逃げ出したいほどの重み。心臓がギリギリと痛んで、足がすくみそうになる。それなのに、どうしてだろう。無限に力が湧いてくる。


「ナカメ、大丈夫。よく見れば必ずわかる」


 蟒蛇の攻撃をいなしながら、玄月の血の飛沫ひとつひとつがすべて。ナカメの向かうべきところ。切りつける場所を指し示していた。


「蟒蛇、綴さんを返せ――ッ」


 ナカメが、稲妻を帯びた血刀を、蟒蛇の分厚い肉の壁に振り下ろす。

 だが、いくつもの魔物を飲み込んだ蟒蛇の圧倒的な質量に、振り切る前に刃が止まった。


 ――だめだ。力が足りない。止まる。押し戻される。


 動きの止まった隙を狙う、蟒蛇の触手。鋭い攻撃を、萬の斧が押し返した。


「ナカメ、諦めるでないッ!」


 ――刀が効かない。それなら。


 蟒蛇に突き刺さった血刀が、切り開いた傷。それを両腕でこじ開ける。


 ――この先に蟒蛇がいる。


 肉壁を切り開くように、ナカメは蟒蛇の奥。本体へと体を踏み入れた。 飲み込まれたら終わり。だったら、こっちが飲み込んでやる。私の蟒蛇の力で。


 ――できるのか、そんなこと本当に。蟒蛇の中になんて飛び込んで、もしも失敗したら。


 躊躇う時間はない。だが、一か八かで賭けるには、大きすぎる代償。

 竦むナカメに、蟒蛇の体の内部。その深淵から、白い腕がナカメを掴んだ。


 ――攻撃!? いや、違う。この腕は。


 ナカメを引き寄せ、蟒蛇の中へと誘う、真っ白な指。いつか見た着物の袖。


「…………綴さんっ」


 それは蟒蛇によって飲み込まれたはずの、綴だった。


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