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神薙  作者: 猫ざらし
33/35

33.玉と依代(2)

 それからのワダツミと綴の関係は、不思議なものだった。ワダツミは綴との約束を果たすように、遊び半分で魔物を狩り。綴はワダツミが玉になっても尚、親が子を見守るように、ワダツミの住まう浮島へと頻繁に足を運んだ。


「海が綺麗ですね」

「綺麗やけど、自分見えへんやろ」

「見えませんが、聞こえるのです。穏やかな波と、波間に揺れる月の光が」


 綴の魔眼をのぞいたのは、あの一度きり。銀髪の神薙――玄月という名の、吸血鬼の半魔を斬りつけようとしたときだけだった。


「誰もおらへんときくらい、目隠し取ったらええのに」

「私の目は厄介ですから」


 なんでも操れてしまう力。そんなものがあったら、たしかに厄介であろう。自らも全てを壊しつくせる海神の力を持っているが故、綴の言葉に、ワダツミは何も言わなかった。

 静かな沈黙の間を縫うように、穏やかな波が揺れる。


「明日は玄月様、萬様と八岐大蛇の任務に就かれると伺いました」

「おかしいと思わへん? 頭が八つあるんやったら、股の数は七個やと思うんやけど。人間のつける名前はようわからへんわ」

「ふふ、そうですね……彼が世に顕現するのは二度目。強力な魔物だと聞いております」


 綴が、何かを取り出した。折り紙のように、小さく折られた、朱色の布だった。


「なにこれ?」

「御守りというものでございます。持ち主に守護と幸運をもたらす、魔除けの護符の一種です」


 確かに、自らを勝手に祀りはじめた人間たちが、こんなものをもっていた記憶がある。


「魔力も妖力も感じへんけど、効果あるん?」

「必ずワダツミ様を御守りしてくれます。そう願って、私の折ったものでございますから」


 ――なんや、この感覚は。


 ワダツミは自らの手のひらで、受け取ったそれを見つめた。どれだけ目を細めても、特別な力は何も感じない。それでも、御守りを握った手のひらは、熱を持ったように落ち着かない。

 祈りなどというものは、何の意味もなさない。それは力のない人間のすることであり、馬鹿げているとすら思う。それなのに、なぜこんなにも心がざわめくのか。綴の、一度見た限りのあの瞳が浮かぶ。どうしようもなく、苛々する――これは殺意だ。


「器用やな、綴は」


 それだけ言うと、ワダツミは綴の前から立ち去った。このまま綴といれば、本当に殺してしまいそうな。そんな不安を抱いたためだった。

 

「やっと来おったかワダツミ!」

「二日酔いで寝とったわ……あれ、ふたりがかりやのにまだ倒せてへんの?」


 八岐大蛇の住まう森では、八岐大蛇の咆哮が木々を揺らし、毒の霧が大気を蝕んでいた。

 人の体ほどはある、巨大な頭が咆哮する。空中で血が槍へと形を変え、大蛇の胴に突き刺さった。だがそれも山のように巨大な怪物に比べれば、微々たる傷だ。


「大蛇の頭は残り4つじゃ。玄月と余で、すでに半数は切り落としておるのじゃが、いまだ勢いは弱まらぬ。夜明けまでに捕獲せねば、玄月も使えず撤退じゃぞ」

「吸血鬼も難儀なものやなぁ、玄月」


 刀身に紫電を纏わせ、龍の頭に振り下ろす。雷閃が空を裂き、大蛇の首が一つ、宙を舞った。


「絶好調じゃないか、ワダツミ。君が調子がいいなんて、機嫌でも悪いのかい?」

「やかましいわ。うっかり手ぇ滑って殺してもうても知らへんよ、玄月」


 戦いの結末なんて、最初から決まっていた。どんなに強大な魔物も、神薙の頂点に立つ自分達の前では、虫けらも同然。八岐大蛇の退治など、大したものではない。だが、なぜ自分の心はこんなにも、苛立っているのか。


「ワダツミ、来るぞ」


 萬の言葉よりも早く、地面を蹴って夜空を舞う。風を切る頬。手のひらに握る刀。そのすべてに、全身を流れる魔物の血が歓喜する。ここに、自分の心があると確信する。


「ワダツミ、前に出すぎじゃッ!」

「問題あらへんよ、萬」


 森羅万象。この世界のすべてが、思い通りになる。どんなに強力な一撃も、自分に届くことはない。迫る八岐大蛇の爪が雷に砕け、大蛇の巨体が震えた。

 なんでも手に入るはずだった――それなのに、あの女だ。あの女はよくない。


「ああ、やっぱりこれやわ。堪らへんなぁ」


 飛び散る魔物の血しぶきに、笑みを浮かべる。苛立ちの理由なんて、考える必要もない。


 ――帰ったら、あの女を殺してしまえ。神薙なんて、こんなままごと。魔物をすべて狩るなんて約束、守る義務ないやろ。


 殺せばあの、すべてを見透かしたような表情は消えるだろう。そうすれば、あの忌まわしき魔眼を抉り取ることができる。浮島のように美しいあの瞳はもう、何者にも脅かされることはなく。この手に――。


「………………そうか」


 雷雲が散った。それはまるで、霧が晴れるように。


「ワダツミ! なにぼうっとしとるんじゃ!」


 はっと頭上を見ると、いつの間にか迫っていたもうひとつの大蛇の頭。その牙と萬の斧がぶつかり、激しい音を奏でる。


「…………帰るわ」

「はぁ!? 何アホなこと言うとるんじゃ! まだ八岐大蛇は――」

「綴さんが、呼んどる」

「待て! ワダツミ!」

「いいよ、萬。行かせてやろう……これは貸しだ、ワダツミ」


 空を駆ける。瞬く間に森を抜ける。

 ずっと、すべてが憎かった。なんのために自分は生まれたのか。絶え間ない力への欲望は、肉親を殺し。自らの力を知った後の日々は、ひたすらに退屈なものだった。

 何の味もしない日々は箱だ。ただ黒く、塗りつぶされた箱。だけど、一度だけ見たあの透明な瞳は、ずっと遠くに揺れる、朝焼けの波間のようだった。

 本当は、魔眼を手に入れることなど、どうでもよかったのだ。私はただ、見ていたかった。藤色に揺れる薄い布。その下に隠された、あの瞳を。

 



「綴」


 天の浮島が一望できる丘の上。月に照らされた横顔は、いつものように静かで。何かを星に祈るようだった。


「星に祈るなんて、相変わらず人間じみたことしはるわ」

「ワダツミ様、お早いお戻りでしたね。八岐大蛇は……」

「あー、倒したみたいなもんやで、半分くらいやけど」

「半分くらい、ですか……?」


 今度会うたとき、萬にどやされるやろか。


「綴」


 今、自分の心にあるものが、例え弱さだと形容されるようなものなのなら。それでも構わない。むしろ歓迎してやろう。


「その目の力、半分うちにも寄越してや」

「…………これは、麒麟の半魔の力です。それを渡してしまったら、ワダツミ様は……」


 少しだけ、風に揺れる布。はじめて見た綴の動揺は、どうしてか心地よく。その理由を確かめるためにも、もう千年はこのまま。生きていてもいいかもしれない。


「――依代になったらおんなじ目ん玉になるさかい、その下見てもええやろ?」


 自分は海神だ。海の神の力を与えられし存在なのだから。その隣に立っているのは、海のように美しい者であるのは、普通のことだろう。

 ――なぁ、綴様。


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