29.蟒蛇(3)
紫と出会ったのは、新たに誕生した玉の監視という名目だった。
そこで生まれた玉というのが、紫。その監視役として帝から指名を受けたのである。
「何してるの」
「最近人間の間で流行ってるんだって、この間助けた子どもがくれたの。おはじきって言うのよ」
自信満々に見せる紫の瞳は、それこそ子どものようだった。
「何に使うの、それ」
「わからないけど、綺麗でしょ? きっと人間のお守りよ。玄月にもひとつあげようか」
「ただのガラス玉でしょ」
紫は不思議な玉だった。
玉は、魔物と人間の交配によって生まれる。人間に友好的な魔物であれば大きな問題はないが、決して友好的ではない魔物で、人間の血肉を犠牲に交配してもらう場合、魔物の恨みが伝染するのか、たいていは碌な玉にならない。
だから、未来の玉となる半魔が誕生してしばらくは、神薙の誰かがしばらくは監視する。神薙としての才能があれば、晴れて新しい玉となり。間違った方向に育ってしまった場合には、面倒を見ていた玉が始末をつける。そういう段取りだった。
そして、紫を生んだ魔物。蟒蛇は、ろくでもない魔物だった。
力を持っていた平安の時代。蟒蛇の殺した神薙の数は、数十人。大抵の魔物が、人間を食べることを好むなかで、神薙を殺すこと。神薙狩りに執着した蟒蛇の特性は、異常だった。
そんな蟒蛇が、新たな半魔――神薙を生むために、力になると神薙に申し出た。
蟒蛇の力は、名前の通りすべてを飲み込む力。それは命だけではなく、魔物の持つ力すらも飲み込んで自らの力としてしまう。その純粋な強さこそが、神薙が蟒蛇を生け捕りにしている理由であり、半魔を生み出そうとした理由でもあった。
蟒蛇には、必ず裏がある。そう睨んだ玄月であったが、どうしてか生まれてきた紫は、人を恨む素振りは一切なく。
「玄月にはぜったい赤色のおはじきがいいな。人間は素晴らしいわね。短い人生なのに、こんなに美しいものをつくって」
紫は、人間を愛する変な玉となってしまった。
だが、そんな性格であっても、蟒蛇の強力な力は、しっかりと受け継がれていた。蟒蛇の力とはつまり、細胞のコピーなのだ。飲み込んだものと同じ能力を発現する、細胞の驚異的な形質変化。紫は、魔物や人間の肉を取り込むことはなかったが、皮膚についた傷は、どんな深さでも一瞬にして塞がる。常識を超越した回復力を有していた。
まさに、四家にも及ぶほどの力だった。だが、それを持っていながらも、紫は魔物を討伐する度に、苦しそうな顔をしていた。
「……玄月。魔物と人間の違いって、なんなのかしらね」
「さぁ、なんだろうね」
魔物にも人間にも、優しすぎる半魔。紫は、人間になりたかったのだろうか。結局私には、その真意はわからないまま。
「……私の人間ラブがうつったかな」
「ん? 何か言った?」
おはじきを月に照らす紫を、頬杖をつきながら眺める。
「いや、なんでもないよ」
人間になりたい玉。思えばそれが、すべてのはじまりだったのだろう。
それは、街を歩けば、どのビルの窓にも景気の良さが映し出されているような時代。大きな転機が訪れた。
紫が、人間と恋に落ちたのだ。
いつかそうなる気もしていたので、私の中に驚きはなかった。相手は中六という、どこにでもいるような男だった。そもそも、人間なんてみんな同じような顔をしているので、良し悪しなんて測れるものではないが。
「玄月、映画って見たことある? 今度圭人さんと見にいくの」
暇つぶしにはちょうどいい。それくらいの関心だった。人の色恋沙汰に興味はないが、半魔にも恋心というものがあることは、千年生きている中でも、新しい発見だったのだ。
恋心に揺れる様子を眺めている間に、三年が経った。
紫はついに妊娠をした。人間と半魔の子どもだ。蟒蛇の特性を受け継ぐのか。神薙の中での立ち位置はどうなるのか。色々と微妙な問題はある。
だが、人間の子どもというのは奇妙なもので。聞いてはいたが、わずか一年も経たない間に、紫のお腹は大きくなっていくのだ。
「玄月様、ご報告しなくてよいのですか。帝様へ」
何かを心配するように、紫が留守の間に、デジ子が聞いてきた。
「べつにいいでしょ、人間の子どもなんか。いまは自由恋愛の時代さ」
「お相手は人間ですが、紫様は玉になるお方です。玉の子どもなんて、聞いたことがありません……」
「きっと大丈夫だよ。紫はお腹の子に、私たちには見えない何かを夢見ている。そんな気がするんだ。デジ子は紫のことよろしく。私は任務へ行ってくる」
「……お気をつけてくださいね」
デジ子の言いたいことは、十分にわかる。だが、生まれてくるのは魔物の血が四分の一にまで薄まった存在。殺すことは赤子の手をひねるよりも容易いだろう。
簡単な話だ。私は帝への報告という神薙としての義務よりも、紫の抱いている自らの子への夢が潰えてしまうことを嫌悪したのだ。
あと数日もすれば子も生まれる。そんなことを考えながら赴いた任務は、魔物の肉を利用して不死の薬を開発しているという研究所のせん滅だった。
向かった先は、都心のほど近く。海に面した場所にある。年季の入ったオフィスビル。
「――ひっ……ば、化け物……ッ! こっちへくるなぁッ!」
「不死の研究か。いつの時代も人間の考えることは変わらないな」
上へと目指して、階段を上がっていく。皆殺しが帝からの指令。すれ違う人間たちの首を、一瞬にして飛ばす。なるべく、苦しまないように。
人間の持つ不死への憧れが、わからないわけではない。だからこそ、殺すにしてもそれなりの敬意はもっていた。
「にしても、小さな施設だな。帝もよくこんな施設を見つけたね」
いくつか、人体実験が行われた形跡のある部屋もあった。不死の研究をしていたというのは、本当なのだろう。
人間は、理想のためならつくづく傲慢になれる生き物だ。いや、それは魔物も同じか。
「愚かだね。魔物の肉になんて手をだして。深淵をのぞけばなんとやら、だ」
研究施設の最上階の部屋。そこに、ひとりの男が腰掛けていた。まるで玄月が来るのを、予知していたかのように。
「お前がこの施設の管理者だね?」
「…………来たな、化け物」
「驚かないのかい」
振り返った男の顔を見て、首を刈ろうとした手が、思わず止まった。
「…………お前が、どうしてここにいる」
椅子に座る、白衣の男。薄い笑みを浮かべる男は、紫の恋人。紫と子を成したはずの男、中六だった。
「この場所を、お前たち化け物にバラしたのは紫か」
「……質問に答えろ。なぜお前がここにいるんだ。お前、まさか……」
信じたくない。魔物を使った不死の研究。その真相。
「……紫の肉を使ったのか。最初から、そのために紫と……」
「はははは……あはははははは! もうお終いだ! あの化け物のせいで! 俺の全ては!」
男の顔が、急に引きつる。恐怖と苦悶の激情が限界を超えた笑みだった。
「あんな化け物を、人間が本当に愛せると思うか!?」
男が声を荒げる。血走った目だった。こんな男を、紫は――。
「あの化け物のおかげで、もうすぐ完成するはずだった。完璧な薬だ。ずっと、ずっとこの時を待っていた……あの化け物の細胞は完璧だ!どんな細胞も、正常な細胞に作り替えることができる!この薬があれば、私の妻は……!」
「紫の細胞を使って、人間で実験を繰り返したのか」
「なぜ怒る? 世に回る大抵の薬は、動物実験を行っている。あの化け物とマウス、何が違う!」
玄月の心は無だった。響くものもなく、ただ冷たく。男の声を聞く。
「あと一歩で、あの化け物のもつ細胞の人間への移植が成功する! 実験の過程で身ごもりはしたが、やつのような体質をもつ生物が増えるのであれば喜ばしいことだ。それよりも、次の実験が成功すれば、私の妻子は助かる! やっとここまで来た! それなのに、お前ら化け物が! 私たちのすべてを、尊い犠牲を――――」
言葉よりも早く、玄月の手が動いていた。舞う血飛沫。
男の話はそれ以上、聞くに耐えなかった。
呆然と、立ち尽くしていた。血濡れた部屋に、朝日が差し込むことにも気がつかず。込み上げる怒りは赤。だけど、今までに抱いたどんな怒りとも違う。
任務は無事に達成した。あとは帝に報告するだけだ。それなのに、男の亡骸を前に。足を動かすこともできず、ただ立ち尽くす。
人間を滅ぼしてしまいたい。底がないほどの憎悪が、私の中には渦巻いていた。
「――もう、夜が明けるわよ」
部屋は、いつの間にか朝日で白みがかっていた。
立っていたのは、紫。いつものような、拗ねた表情の君はいない。
なぜ殺したのかと、叱責することもなく。ただ静かに私を見つめる姿。その瞳を見た瞬間に、私の胸の奥に、小さな棘が刺さった。
きっと彼女は、ずっと前から中六という男の本心には、気がついていたのだ。
紫への愛情なんてものは微塵もなく、自らは貴重な研究材料でしかなかったことに。それでも、力を貸したいと願っていた。
そんな彼女にかけてやる言葉のひとつも、わからなかった。
人間と魔物は、永遠に分かり合えない。だとすれば、半魔とはなんだ。神薙とは。玉とは。
紫。お前には、何が映っているんだ。
中六が死んで数日が経った。紫は悲しそうな素振りをみせることもなく、淡々と生活を送る。普段の紫のままだった。
だが、その優し気な眼差しの先に何が映っているのか。私はとうとう知ることができなかった。
「紫、君の子どもが生まれたら、君を玉として認めようと思う」
「そう……じゃあもうすぐ玄月ともお別れなのね」
「まったく、せいせいするよ」
紫と過ごした時間は、たかだか百年程度。それなのに。魔物でもなく人にもなれない。そんな彼女は、手を離せばどこかへ飛んでいってしまいそうな。そんな気がした。




