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神薙  作者: 猫ざらし
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25.妖狐(6)

 琥珀の声が震える。


「私は、囮なんだから……! あなたが守ったらだめじゃないっ! そんなの…………!」

「すまんのう……体が勝手に、動いてしまった……」


 困ったように眉を寄せ、萬が苦しげに息を吐く。


「バカ! バカ! バカ! 萬様が死んだら、私はなんのために今までっ、私はもう……!」


 何のために、生きてきたのか。何のために人間であることを捨てて、あなたのそばにいたのか。


「余には、人の心がわからぬ。お主には、苦労をかけたなぁ…………」


 琥珀の胸を、ひどく悲しいものが打つ。


「琥珀。世界一美しい、人の子よ……」


 琥珀の頬に、萬の指先が触れる。その温度は、あまりに儚いものだった。


 

* * *



 ナカメたちの遥か上空。空を裂く玄月とワダツミの戦いは、熾烈を極めていた。


「どうしてそこまでナカメに拘るんだ、ワダツミ。風来坊のお前が不死の肉を欲しがるなんて、裏があるとしか思えない」


 赤黒く閃く玄月の鎌。ワダツミの刃が奔り、眩い光を放って交錯した。


「ひどい偏見やなぁ。こう見えても、死ぬん怖くて毎晩枕びしょ濡れにしとるんやけど」

「それは可愛らしいな。殺してやりたいくらいだ」


 玄月が、軽やかに鎌を振るう。


「ナカメに血の操り方を教えたのは君だろう。私が与えていた心臓の封印も解いた。なぜそんなことをした」


 玄月の赤い瞳が、冷ややかにワダツミを見据えた。込められる殺気。それを受けてもなお、ワダツミは飄々としていた。


「うち、子ども好きやねん」

「散々人を殺しておいて、反吐が出る」


 ワダツミの軍服が翻る。その残像を刻むように、玄月が血の弾丸を放った。


「お前の遊びに付き合っている時間はないよ、ワダツミ。今の私は機嫌が悪いんだ」

「相変わらずつれへんなぁ」


 ワダツミの雷光を纏う刀が、玄月の放った血弾を叩き切る。 衝撃で、崖が崩れはじめた。岩が砕け落ち、山肌に激しくぶつかる。


「あーあ。山ぶっ壊したら、萬怒るで」

「人聞きが悪い。壊したのはお前だろ、ワダツミ」


 ワダツミの雷撃が、全ての血刃を焼き尽くした。


「あの子を依代にしておかんかったのは失敗やで。あの子、玉藻前に横取りされてまうよ?」

「饒舌だな。そんなにご主人様のもとを離れられて、機嫌がいいのかい?」

「幼馴染からの助言やで。そんなに怖いん――ナカメを、中六の母親みたいに殺してまうのが」


 瞬間。玄月の瞳が、煮えたぎる血のように怒りに染まる。


「……もう、手加減はしない」


 囁くような声が響いた瞬間、玄月の目、口、耳から黒い血が溢れ出した。それは意思を持つかのように、渦巻いていく。

 玄月の白銀の髪が、長く伸び広がった。


「ええやん。そんくらいやないと、うちも楽しまれへん」


 ワダツミが、楽しそうに目を細めた。そして、雷を纏った刀を大きく構える。一帯に響く雷鳴。

 だが、次の瞬間。全ての音が消えた。 まるで時が止まったかのように。


《赫災ノ葬――――》


 ワダツミの遥か上空に現れる、無数の剣。それは真っ赤な奔流となって、ワダツミに襲いかかる。


「まじかぁ……!」


 周囲の崖は崩れ、夜空が赤に染まった。放たれた衝撃によって、地形すらも変わり果てる。


「ははっ! ほんまに容赦ないなぁ」


 ワダツミが、青い斬撃で応じる。赫災の猛威。雷と血が激突し、夜空に焔と紫電の火花が散る。


「――もっと楽しもうや、玄月ぃ!」

「言っただろ。私は機嫌が悪いんだ」


 燃え上がる雷を、冷たく見据える血の瞳。

 玄月の表情は冷静なまま。それでも、夜空を彩る荒れ狂う血潮が。隠しきれない激情を纏っていた。



* * *



「萬さんッ――!」


 血まみれで倒れる萬に、ナカメが駆け寄る。 錫杖の突き刺さった胸元からは、絶えず血が滴っていた。


「萬さん、いま治せる人を呼びますから!」

「たわけ……玉藻前を、倒すのじゃ……余のことは、捨ておけっ……!」


 無理だ。萬さんなしで、玉藻前に勝てるわけがない。それに、このままでは萬さんが死んでしまう。

 必死に、出そうになる弱音を飲み込む。


「行くのじゃ、ナカメ……おぬしにしかできぬ……!」


 ――できるかどうかなんて、今考えることじゃない。後悔なんて、後からいくらでもすればいい。


 溢れそうになる涙を抑えて、ナカメは萬から手を離した。そして、踵を返す。思い出すのは、崖をのぼりきったとき。ともに街を見下ろしたときの、萬の言葉。

 今やるべきことは、玉藻前を倒すこと。萬さんが守りたかった国を、人間を、守ること。

 玉藻前のもとへ駆け出そうとするナカメを、琥珀が引き留めた。


「ナカメ! あたしを囮に、萬様を連れて逃げて……!」


 縋り付くような琥珀の顔には、悲壮が溢れていた。痛いほどの思いが、掴む手から伝わる。


「萬様が死んでしまったら、あたしにはもう生きている価値なんてない。どうせ死んだようなものよ! だから、私を身代わりに――」

「……まだ、そんなことを言っているの」


 出たのは、低い声だった。 波ひとつない表情とは反対に。嵐のような激情がナカメの胸に渦巻いていた。


「本気で、萬さんの身代わりになって、死にたいの」

「そうよっ! だから私は――」


 必死に叫ぶ琥珀に、躊躇うことなく腕を振るう。

 琥珀の頬に、乾いた衝撃が走った。


「何のために……何のために、萬さんは琥珀を守ったと思ってるの!?」


 萬さんは、琥珀をわかりたいと思っていた。琥珀の気持ちを、知りたいと。だから、どうか。


「簡単に命を投げ出したりなんかしないで!」


 死にたいなんて言うな、琥珀。だって萬さんは、琥珀のことを心から愛していたのだから。


「そんなに死にたいなら、琥珀の分まで私が死んでやる。だから、自分の居場所くらい自分で守れ!」


 自分が何のために生きているのか。それが分からない孤独なんて、痛いほどわかる。私も同じだ。だけど、琥珀も萬さんを、命を懸けたいと思うくらいに、大切に思っているのなら――。


「…………あんなくそ狐、私ひとりで十分」


 死ぬべきは私だろう。ナカメは血の小刀で自らの片腕を引き裂いた。

 血だ。もっと血を垂らせ。萬さんの分まで戦うなら、腕二本なんかじゃ足りない。痛みなんて忘れろ。自分の手足のように、零れるすべてを動かすんだ。

 ナカメの肩の先から溢れる血液が、八本の腕を模る。それは蠢き、刃となって玉藻前へ襲いかかった。


「玉藻前――ッッッ!」


 ワダツミさんに突かれたところ。心臓から、力が漲る。


「ひとりでノコノコとやってきたの? その勇気だけは賞賛してあげるわ」


 胸の内から込み上げる怒り。それは、業火のように燃え上がっていた。大勢の人を食らい、萬さんを傷つけた。萬さんだけじゃない。お前がいなければ、琥珀だって、こんな思いをすることもなかった。

 血の刃が、八方から玉藻前を襲う。だが、玉藻前はナカメの攻撃を容易く躱した。


「やっぱり不死以外は大したこないわね。単調すぎて、取るに足らない」


 玉藻前の妖炎が、ナカメに降りかかる。青白く燃え上がる全身。それでも、瞳に宿った意思は折れない。

 萬さんと琥珀が、ずっと羨ましかった。互いに命を懸けられるほど、思い合う関係。

 ナカメの八本の血刃が、玉藻前の爪に引き裂かれる。引き裂かれた血刃はさらに分裂して、帯のように玉藻前に巻きついた。


「これであたしを閉じ込めたつもりかい? 血を操るのは面白いけれど、こんなヤワなものじゃあたしを封じられないわよ」


 玉藻前の鋭い爪が、ナカメの顔を突き刺す。だが、それでもナカメは動かなかった。

 下がらない。下がるわけにはいない。後ろには、萬さんと琥珀がいる。そして、ともに戦ってくれている、デジ子が。


「ナカメっ!」


 デジ子の叫ぶ声が聞こえる。私のことを、心配してくれている。

 だけど、決めたんだ。絶対に玉藻前を倒すと。私は、みんなに守られてばかりだから。


「可哀想ねぇ……あんな囮の小娘ひとりに、こんなに痛い思いをして。なんて人間は愚かなのかしら」

「違う……!」


 頬に突き刺さる爪に、骨を砕かれたような痛みが走る。それでも、ナカメは玉藻前を離さない。


「琥珀は囮なんかじゃない!」


 胸に抱くのは、萬の言葉。



「琥珀は私の、友達だ……!」


 玉藻前の全身を覆っていたナカメの血の帯が、何百もの鋭利な刃へと変形し、玉藻前を引き裂いた。


「へぇ……こんな力、どこに隠していたのかい」


 回復の隙を与えたらだめだ。もっと早く、強く。萬さんのように――。


「………………お前、面白いわねぇ」

「が、あッ――!?」


 突然、背後から巨大な荊のようなものが、ナカメの腹を貫く。

 後ろ!? そんな……玉藻前は、確かに目の前で八つ裂きにしていたはずなのに――。


「幻術はあたしの得意技よ。あなたが必死に切り裂いていたのは、あたしの幻。あなたが知らなかったのも無理ないわね。この術を使うのは、千年ぶりだもの」

「ぐ、あああぁッ!?」


 玉藻前が、杭を打つようにナカメの胴に(かんざし)を打つ。


「あたしの幻術はね、妖気の消費が激しいけれど、それに見合うだけの価値があるのよ。現実は儚く、痛みはすぐに消えてしまうけれど、幻は違う。終わりがないの」

「あ、あ、あああッ……!」


 深く刺さった簪が、虫の標本をつくるように。ナカメの体を地面に張りつけた。


「何度でも、壊れるまで繰り返す。痛みなんてものはただの入口、真の苦しみはその先にあるのよ。ふふっ……素敵でしょう? 」


 恍惚した表情で、玉藻前が笑う。


「この国の人間すべてをあたしの幻で包んで、絶望と恐怖を何度も味わわせてあげるの。あたしは最後の一滴まで、ゆっくり、丁寧に、絶望を吸い尽くしてあげて――ふふふ、あははははっ!」


 早く、もう一回死なないと。血だ。血で、小刀をつくって――意識が朦朧として、集中できない。力を使いすぎた。

 地面に磔となったナカメを弄ぶように、玉藻前がナカメの頬を撫でる。


「それにしても素晴らしい体ね。不死と、その成長速度…………気に入った。お前、あたしのものになりなさい」


 玉藻前が、ナカメに手を翳す。

 ナカメを中心に現れる、真っ黒な円。それを埋め尽くすように、粘つく闇がナカメの体に絡みついた。ナカメの肌に、黒く禍々しい文字が虫のように這いあがる。


「ぐ、あぁぁッ!?」


 ざらざらとした気色の悪い感触が首筋を這い、腕を伝う。


 ――侵される。


 体の内側を侵される感覚。歯を食いしばるナカメを嘲笑うかのように、玉藻前が耳元で甘く囁いた。


「あたしの子を孕ませてあげる。そして、無限にあたしに食われるの……あたしの気が済むまでね」


 ぞっとするほど美しい声。

 叫びたくても、喉が動かない。黒い霧が意識を飲み込む。苦しい。気持ち悪い。自分じゃない何かが、体の中に入ってくる。

 理性が暗闇に沈む。自分が自分でなくなる恐怖が押し寄せた――。


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