表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神薙  作者: 猫ざらし
24/35

24.妖狐(5)

 だが、疾風のように空をかける錫杖との距離は、離れるばかりで。

 萬さんは土砂に埋まっている。デジ子が動けば、今まで吸収した妖気が、玉藻前に戻ってしまう。私しか動けない。私しか、琥珀を守れない……!


「琥珀――」


 錫杖が、琥珀の脳天に迫る。


 ――だめだ、間に合わない。


 琥珀の視界。槍のように迫る錫杖を前に、琥珀の意識の奥底にあった記憶が、走馬灯のように蘇った。




 ――それは、神様みたいに綺麗な人だった。

 

 戦争が終わりかけた頃。私たちは、生きるのに精一杯だった。

 焼け跡ばかりの町には物がなく、腹を満たすには何でも口にしなければならなかった。幼かった私はある日、山へ入った。腹が減ったと泣く、まだ小さな妹や弟のために。木の実を取ろうとしたのだ。

 だけど、気づけば道がわからなくなっていた。森は深く、どこを見ても同じ景色ばかり。

 足は痛み、空腹がより一層こたえた。泣きそうになって、ふと顔を上げたとき――そこにいたのは、神様のように美しい女の人だった。


「人の子か。珍しいのう」


 星を散らせたように輝く、金色のなめらかな髪。どこかこの世のものとは思えない、力強い眼差し。


「――お主、道に迷ったのか?」


 神様はそう言うと、迷子の私を大きなお屋敷へ連れて行ってくれた。そして、大きなおにぎりをひとつ握った。

 一口食べた途端、私は涙がこぼれた。久しぶりに感じる、満腹。優しい声で、「よく噛んで食べなさい」と微笑む顔。少し塩気のある、大きなおにぎり。

 空腹が満たされた安堵と、神さまの安心感。その温もりに。私はおにぎりを食べ終わると、神様の膝の上で、いつの間にか眠ってしまっていた。

 日が落ちて少し経った頃、親が私を迎えにきた。私の両親は、その神様のような人に、ぺこぺこと頭を下げ、何度も謝っていた。

 そして、家へ帰るなり私に言った。


「あの人には関わるな。あの山に住んでいるのは人間じゃない。大切なお前の身に、何かあったら――」


 けれど、当然私は気になって仕方がなかった。

 お腹をすかせていたし。私はまだ、ものの良し悪しもわからない子どもだったのだ。

 布団の中に入るたび、頬張ったおにぎりの味とあの人の笑顔を、何度も思い出した。そして、両親の忠告を無視して、山へ通うようになった。

 そうすると、神様みたいなあの人――萬様は、いつも私と遊んでくれるのだ。


「またここへ来たのか?迷子になるじゃろう」


 呆れたように言うその人に、私は笑って答えた。


「私が迷子になっても、萬様が迎えにきてくれるから」


 そう言うと、萬様は困ったように微笑んだ。

 そんな毎日は、一年近く続いた。

 だけどある日、私の身に不思議なことが起こった。

 成長するにつれて、私の顔立ちが少しずつ、萬様の姿に似ていったのだ。鏡を見るたび、自分の輪郭や目元が、萬様と重なるような気がした。

 それを知った親は、「祟りだ」と言って怖がった。当然、「頼むからもう山へは入らないでくれ」とも。

 だけど、私は嬉しかった。

 もし、あの美しい萬様に似ているのなら、それはこの上ない喜びだったから。


 ――だけど、私の喜びは長くは続かなかった。


 ある日のことだ。またいつものように山に入り、萬様と山道を歩いていた時だった。


「最近、萬様に顔が似てきたと言われました! ずっと一緒にいるからですかね」


 なんてことのない雑談のつもりだった。私は、ただ萬様に笑ってほしかった。それだけだったのだ。

 だけど、萬様は立ち止まった。そして、ひどく険しい顔をして言った。


「もうお主は山に来てはならぬ。二度と来るな」


 低い声。突き放すような言い方。私はショックで大泣きした。「嫌われたんだ」と、泣き喚いた。

 すると、萬様は困ったような、寂しそうな顔をして。そして、私を家まで送り届けた。

 

 ――思えば、神様にしては優しすぎる人だった。


 それからの私は言いつけを守り、山には近寄らなくなった。

 けれど、状況は悪くなるばかり。食糧難は深刻さを増して。村では老人や赤子など、弱い者から順に死んでいった。お金もない、食べ物もない。そんな地獄のような毎日に、いつの間にか十年もの月日が経っていた。

 萬様は、どうしているだろうか。まだあの山に住んでいるのだろうか。

 紅葉で赤く染まった山を眺めながら。私はぼんやり考えていた。

 そんなある日、お父さんに呼び出された。

 そして、泣きながら言われたのだ。


「琥珀……すまない。あの山の主に嫁いでくれ……あの神さまの、影武者に……」


 萬様に焦がれていた私は、その意味をすぐに理解できなかった。

 けれど、親の震える声。そして、泣き腫らした顔を見て悟った。

 これは決して、良い報せではない。


 ――私は、売られたのだ。


 何もかもが貧しい時代だった。物が貧しければ、人は心も貧しくなる。綺麗な着物を着させられ、見たこともない黒装束の人たちに囲まれて。十年ぶりに出会った萬様は。

 あの日と同じように、悲しそうに、困ったように。ただ、微笑んでいた。

 だから私は、本当は最初から気づいていたのだ。萬様によく似た私を囮として売ろうとする両親の申し出。それに、萬様が反対していたことを。それでも、見返りの金と食料を目当てに、親が無理矢理私を売りつけたことを。

 だけど、両親に売られたということを、私は絶対に認められなかった。十数年と愛情を向けてくれた両親を、憎まなくてはならなくなるから。

 だがら私は、萬様を恨んだ。家族以外の誰かを恨まないと、私は生きていけなかったのだ。


 ――なんて、自分勝手な人間だったのか。


「琥珀は泣き虫じゃな。美しい顔が台無しではないか」


 抱く腕は力強く、どこまでもひとりで行ってしまいそうで。それなのに私は、強くもなれず。人にも戻れず。ただ過去に、泣いて縋ることしかできない。

 ある、天気の良い冬の日だった。孤独と恐怖で、いつまでも泣き続ける私を見かねて、萬様は私を、山のてっぺんまで連れて行ってくれた。


「…………萬様は、ひとりで寂しくないのですか」


 山の頂上。裾に広がる街を見下ろすように。萬様が私を膝に乗せる。


「寂しさなんて、とうの昔に忘れてしまったわい」

「萬様は化け物だって、村の人がみんな言っていました」

「ガッハッハッハ! 化け物か、それはよい!」


 膝に私を乗せた萬様の体が、山のように動いた。


「怒らないのですか……?」

「なぜ怒る。化け物と呼ばれるのは、余のことを忘れるほどに、この国が豊かな証拠じゃ! これほど美しく、誇らしき地が他にあろうか。寂しさなど感じはせぬ。余の心は、吹きすさぶ風のごとく雄々しく、この地に生き、この地を守り抜くためにある!」


 萬様の猛々しい叫びに呼応するように、夜空の星たちが瞬いた。


「…………そんなの、バカみたい」


 国を守るなんて。会ったこともない人間のために、命を捧げるなんて。


「僥倖僥倖! 人の子に馬や鹿なぞと罵られほど、嬉しいことはないわい!」


 泣き疲れた心の隙間を、憎らしいほど心地よく。風が吹き抜けた。

 



「――――なんで」


 琥珀が目を開ける。目の前に立つのは、ここにいるはずのない人。


「国を……守るんでしょ……なんでよ…………」


 盾のように立っていたのは、萬だった。


「すまんのう」


 萬の胸に深々と突き刺さる、玉藻前の放った錫杖。左足は土砂から無理やり引き抜いた衝撃で、太ももから先が千切れていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ