23.妖狐(4)
戦場の喧騒をよそに、煙草の煙が薄く細く伸びていく。
「あーあ、そんなんやったらやられてまうで、ナカメちゃん」
玉藻前の戦いを一望できるようにせり出した崖。ワダツミは足を組むように腰掛け、ゆったりと紫煙をくゆらせた。
その刹那。暗闇に赤い軌跡が迸る。予兆もなく現れた、巨大な赤い鎌。それは一瞬の弧を描き、ワダツミの首筋へと正確に振り下ろされた。
「――――タバコ、やめたんじゃなかったのか。ワダツミ」
玄月の鎌が斬り裂いたのは、煙草の先端。冷たい地面に、はたりと灰が落ちる。
「いきなり首狙うなんて、容赦ないなぁ」
ワダツミは、まるで何事もなかったかのように笑った。
「子守りはええの?」
「お前こそ、ご主人様はどうしたんだい」
玄月の赤い瞳が、不愉快そうに細められた。
風が止む。辺りは静まり返り、空気が張り詰めた。向かい合う二人。ワダツミが鞘から銀の刀身を引き抜くと同時に、青白い電光とともに雷鳴が轟く。
「本気で私とやり合うのか、ワダツミ」
玄月の言葉に、ワダツミがくすりと微笑む。
「本気出さへんかったら、殺されてまうからなぁ。自分、昔話に花咲かせるようなタイプやないやろ」
「話が早くて助かるよ」
玄月の手に、再び血飛沫を滴らせた大鎌が出現した。
「蟒蛇はどうしたんだい。まさか、あの化け物に手を貸したなんて言わないでくれよ。そこまでお前は腐ってないと思っていたんだけど」
「自分こそ、よう喋りよるやん。育児ノイローゼにでもなってもうたん?」
煽りの言葉の隙間に、千年の憂いが漂う。
「さっさと終わらせよう。お前と話していると、性格が悪くなりそうだ」
「奇遇やなぁ、うちもやわ」
妖狐討伐の影のように。
神薙の最高峰を誇る戦力がいま、激突した。
* * *
玉藻前の使う技は、妙なものだった。
体に文字が浮かび上がった直後に、その通りの攻撃がくる。《爆》であれば、体が爆発するように消し飛び、《燃》であれば、たちまち皮膚が燃えあがった。
――避けようがない……!
「ナカメ! 玄月のような術を練習しておったじゃろう。あれを全身に纏うのじゃ!」
――萬さんも、無茶なことを言う。
温泉で、ワダツミさんに言われたことを思い出す。
幸いなことに、先ほどの爆発によってナカメの体は血に塗れていた。それを練り上げ、玉藻前の攻撃がくる場所へと張り巡らせる。器に、箔を貼るようなイメージ。
――――くる! 左半身!
玉藻前から向けられた殺気に、タイミングを合わせる。まるで、タチの悪いリズムゲームだった。だが、確かに玉藻前からの攻撃は防げている。
「いいぞナカメ! その調子で走り回っとれ……それだけで十分じゃ」
萬が巨大な二本の斧を、玉藻前へと振り下ろす。
「不死の魔の子なんて、どうやって作ったのかしら。それになんだか、変な匂いのする子ね。半魔とも違う」
「我らにも、それなりの事情があるのじゃよ」
《斧舞・獄蓮――!》
萬の振り下ろす斧が、燃え盛る火車のように玉藻前の頭を両断した。
真っ二つに切り離される、玉藻前の体。しかし、切り離された玉藻前の体は、青い陽炎となってすぐに元へ戻る。
まるで、その力は不死。
しかし、玉藻前は不死ではないのだと、ナカメは事前に萬から聞かされていた。
――玉藻前。奴の体は妖気を纏った炎、妖炎じゃ。妖気が尽きるまで倒し続けなければ、何度でも蘇る。
それが、過去一度も玉藻前を討伐することができなかった最大の理由であり、今回の妖狐討伐の要だと、萬はナカメに教えていた。
倒す方法はただひとつ。玉藻前の妖気を使い果たさせること。萬とナカメが攻撃を加え、その回復に妖気を消費させる。同時に、デジ子の張り巡らせた根によって、玉藻前の妖気を吸収する。
「すごい……」
萬と玉藻前の戦いを前に、ナカメは瞬きすることもできずにいた。
萬の振りかざす二本の斧は、振るうたびに大地が砕け、衝撃波だけで周囲の木々が薙ぎ払われるほどだった。
気圧されている場合じゃない。この数週間、なんのために萬さんに鍛錬してもらったんだ。
両手を握る。渦巻くナカメの血が、小刀を模った。
――戦うんだ、私も。萬さんと一緒に。
轟音とともに、萬の斧が唸りを上げる。圧倒的な質量の一撃。しかし、玉藻前はしなやかに舞うと、風のように萬の背後へと回り込んだ。
「相変わらず芸がないわねぇ、カビ臭いわよ」
妖艶な声と同時に。玉藻前の鋭い爪が青い炎を灯して、萬の首を狙う。
その一撃を、すかさずナカメの小刀が弾く。
「芸がないとは、こちらのセリフじゃな」
わずかに生じる、玉藻前の隙。ナカメがもう一本の小刀を逆手に握り、妖狐の脇腹へと突き立てた。
「そんな得物で私を討ち取ろうと言うのかい? 哀れな子だねぇ」
玉藻前が跳び退いた瞬間、萬の斧が追撃のように振り下ろされる。両断される、玉藻前の胴。萬とナカメの、絡み合うような連携。
――萬さんの動きが見える。ずっと一緒に戦っていたから。これなら、萬さんの力になれる。
ナカメが両手の小刀を握りしめた、その時だった。
突然の落雷が、天を割った。四方へと青白い雷光が降り注ぐ。
「まさか、新しい敵……!?」
「玄月の勘があたったようじゃな。あれは、ワダツミのが海鳴を抜いた音じゃ」
「ワダツミさんって……そんな、まさか……」
妖狐の封印を解いた敵。私の不老不死を狙っていた敵は、ワダツミさんだったということか。
そんなはずはない。だってワダツミさんは私に、力の使い方を――。
「戯けがっ! 目の前の敵に集中せい!」
ナカメの集中が解けたほんの一瞬を突くように、左腕に広がる《斬》の光。左肩から先が、鋭利な刃物で刈り取られたかのように、遥か後方へと吹き飛ぶ。
「ぐ、うううッッッ……!」
痛い。集中できない。吹きあがる血を片手に集め、小さなナイフを形づくる。
――デジ子、ごめん。また心配をかける。
ナカメは、自らの首に刃をあてると。躊躇うことなく、突き刺した。
「へぇ……そういう使い方もできるなんて、不死も面白いものね」
「――ぐ、はぁッ、はぁッ」
シャランと、玉藻前の振るう錫杖が、軽やかな音を立てた。
「ワダツミめ、海鳴を抜きおったか……こちらも体力を温存している場合ではなそうじゃな」
萬が、全身に力を込める。
「――余は神薙にして、八百万の王!」
萬の筋肉が、軋む音を立てた。血液が沸騰するように、全身を駆け巡る。
隆起する筋。膨れあがる獣のように、萬の体がひと回り大きくなった。その姿は正しく、金色の毛を纏った怪物。踏み込んだ足元はひび割れ、息を吐くたびに空気が揺らめく。
《斧舞・竜雷双千――ッ!》
二本の巨大な斧が、焔火と雷光をそれぞれ纏う。轟音を伴って、何千もの斬撃が玉藻前を切り刻んだ。
「その回復速度……お主、どれだけの人を食らったのじゃ!」
「あはははは! 憎きお前の、その顔が見たかった! この力は与えてもらったのさ。私の忌々しい封印を解いてくれた、あのお方にね!」
萬の攻撃が苛烈さを増す。攻撃が大振りとなったその隙を突くように、玉藻前が青白い炎を吐き出した。
「萬さんっ……!」
「案ずるな、こんなもの擦り傷じゃ!」
まるで、玉藻前は不死そのもの。だけど、そうじゃない。必ず妖気は尽きる。その時まで、攻撃を続けるんだ。
「愉快愉快! この時代はすばらしい! うまい女子供が何百といる――――が、あッ」
笑う玉藻前の頭に、赤黒い槍が刺さった。それは、ナカメが放った血槍。
「でかしたぞナカメ!」
怯んだ隙に、二撃三撃。萬の斧が、玉藻前を引き裂く。
「私の美しい顔を傷つけたわね……このガキがッ!」
玉藻前の瞳が、大きく見開かれた。周囲の空気が熱を帯び、妖気が吹き荒れる。
ナカメに飛びかかろうと、玉藻前が地面を踏み締めた。だがその足には、植物の根が生き物のように絡まり、動きを封じる。デジ子の力だった。
「チッ……虫ケラどもが、煩わしい真似を……!」
《斧舞・無明天火ッ!!!》
荒れ狂う業炎と、迸る蒼雷。萬による、全身全霊の攻撃。だが、萬の決死の攻撃を前に、玉藻前は口角を上げた。
瞬間、萬やナカメたちの足元に呪詛のように浮かび上がる文字。
――――――《崩》
「まずいッ! 逃げろナカメ!」
地中から溢れ出す、途方もない妖気。玉藻前の目前に迫っていたナカメを、咄嗟に萬が後方へ蹴り飛ばした。
瞬間、足元から突き上げる衝撃。轟音とともに、亀裂が四方へ走る。大地が、内側から引き裂かれていく。
――化け物だ、こんな力。
「――ッ!」
宙で翻り、どうにか着地する。
萬さんは無事か。地面がひっくり返ったような光景。萬は、瓦礫の中に埋もれていた。
「いい景色ねぇ……いつも、不思議だったの。こんなにも格下のあなたに、どうして封印されてしまうのか」
崩壊した地面の向こうで、玉藻前が不敵に笑った。
私が戦わないと。萬さんが動けるようになるまで、私が玉藻前を。
傷だらけの足を踏み締め、ナカメが玉藻前に飛びかかる。だが、玉藻前の言葉にナカメの足が止まった。
「お前にトドメを刺した瞬間。私はいつも、薄暗い場所に閉じ込められている。お前の首を裂いた感触は、この爪に残っているのに…………お前には、影武者がいるんだろう」
まずい。そう思った瞬間には、遅かった。
「そこね」
玉藻前が、金の錫杖を槍のように投げ放つ。青白い炎を纏った錫杖が、空を裂いた。
「琥珀ッ――――――!」
燃え盛る炎。青い軌跡を描いて、向かう先。それは、ナカメたちの遥か後方。
「琥珀、伏せてくださいっ!」
デジ子が叫ぶ。同時に、琥珀を守るように木壁が地面から迫りあがった。玉藻前の放った錫杖が、デジ子のつくりだした木壁を突き破る。そして、身を隠す琥珀へと迫った。
ナカメが、精一杯の力で地面を蹴る。
――まずい、間に合わない。
とにかく前へ。足が引きちぎれてもいい。錫杖よりも早く、琥珀のもとへ。




