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神薙  作者: 猫ざらし
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21.妖狐(2)


 玄月様と萬さんが屋敷に帰ってきたのは、空が白み始めてからだった。


「既に妖狐はいなかった。祠を破った奴の手引きだろう」

「街の方へ下りとったら最悪じゃな」

「このタイミング、それに妖狐の封印を解くなんて芸当、並大抵の魔物にはできないだろう。きっと向こうの目的はナカメ。そして、ナカメがここにいることを知っている、あるいは予測できる奴。そうなると、敵はだいぶ絞られる」


 つまり、妖狐を解放した敵の正体が、玄月様にはもう分かっているのだろうか。


「にわかには信じがたいがのう。玄月の予想が外れていることを祈りたいわい」

「最悪のパターンを想定しておくに越したことはないさ。それより、新月は五日後。敵が仕掛けるなら、萬が最も弱体化する、そのタイミングだ」


 敵の目的は私だと、玄月様は言っていた。敵は一体、私をどうしたいのだろうか。


「ナカメ、私は帝へ報告しに一度山を下りる。妖狐退治となれば、ほかの神薙の支援もほしいからね。ナカメはあと五日間。後悔のないように、強くなっておくんだ」


 妖狐が復活した。萬さんでさえも、囮がいなければ封印することができなかった存在。それが、あと五日後にこの山に現れる。

 玄月様の言葉が、胸に重くのしかかる。

 五日。たった五日で、私は戦えるほどの力をつけられるのか。でも――やるしかない。


「はい、必ず……必ず今度こそ、役に立ってみせます」


 役に立って、私は玄月様の依代になる。他の誰のためでもない、自分のために。

 


 それからの萬の屋敷は、日に日に慌ただしくなっていった。

 妖狐との戦いでは、四家である萬家が要でありながらも、サポート役として他にもいくつかの神薙四十九家が、妖狐との戦いに備えていた。

 街へと下りることのないように、妖狐専用の結界を張る藤咲家。後方から肉体強化の術をかける桐生家。妖狐の持つ妖気を奪う千草家。

 仕える人間を加えれば、その数は百余り。皆が代々、妖狐との戦いの術を受け継いだ者たちだった。

 

 そんな慌ただしい空気に鼓舞されるように、ナカメは今日も切り立った崖を登る。


 ――もう、二時間は登り続けている。


 腕は悲鳴を上げ、足は震えていた。今まで何度も挑み、そのたびに力尽きて落ちた崖。だけど、今度こそ。

 そう言い聞かせながら、最後の力を振り絞る。目の前にあるのは、崖の頂。あと少し、あと少しで。

 全身の筋肉が限界を迎える中、片手を振り上げた。指先が、冷たい岩の縁に触れる。滑らないように必死に力を込め、もう片方の手も伸ばす。そして、全身を引き上げるようにして――ついにナカメは、天を突く絶壁を登り切った。

 荒い息をつきながら、崖の上に這いあがる。腕も足もがくがくと震えている。それでも、確かにここまで来たのだ。


「……よくやったのう、ナカメ」


 顔を上げると、そこにいたのは萬だった。


「見よ。この景色を」


 起き上がって、見下ろした崖の先。そこには、見たことないほど、美しい夜景が広がっていた。真っ暗な森の先では、海に沿うように無数の光が瞬き、まるで星空を逆さまに映したかのようだった。

 宝石のように輝くビル群。繁華街には赤や黄色のネオンが交じる。高速を走る車のライトが滑らかな線を描き、港にはオレンジ色の灯りがぼんやりと浮かんでいた。そこにあるのは正しく、数多の人間の営み。


「これが余の国じゃ! 豊かな筑紫の国の、なんと美しいことか。か弱き人の紡ぐ、命の瞬き。これこそが我が誇り、我が魂が宿る国よ」


 萬の言葉には、万軍を従える神のような剛毅さがあった。


「広大な大地に川は潤い、山は天を突き、街には人間の営みが満ちる。この地に生まれ、この地を守り抜くことこそ、我が誇りにして我が宿命! この国こそが、我が命そのものじゃ!」


 なぜ、萬さんが四家なのか。そして、なぜ玄月様が萬さんのもとへ、私を連れてきてくれたのか。その理由がわかったような気がした。


 ――萬さんは、強さそのものなんだ。


「例え余が倒れたとて、この地にはまた新たな者が立つ。この国に比べれば、余の命など取るに足らぬ。だからこそ、命をかけてでも余は守らねばならぬのじゃ。この国を――そして、琥珀を」


 琥珀は、萬さんを恨んでいると言っていた。その言葉が、胸に刺さる。


「じゃがな、ナカメよ。余には人の気持ちがわからぬ。家族というものも、とうに失くしてしまった。寂しさを感じたこともない。じゃから、余には理解してやることもできぬのじゃ……毎日、墓の前でひとり、泣き続けるあやつを」


 思い出すのは、孤独に打ちひしがれた琥珀の姿。

親を愛する気持ち。売られた悲しみ。妖狐への恐怖。そして、萬さんの優しさ。それら全てに揺さぶられ、ひとり泣き続けるその横顔。

 人間にも神にもなり切れない。依代という存在の抱える、苦しみの片鱗。


「……萬さん。私が、琥珀の友達になります。琥珀がひとりぼっちなんかにならないように、絶対に……!」


 星空へと誓うように、声を張りあげる。そんなナカメの頭を、萬の大きな手のひらが優しく撫でた。


「ガッハッハ! それはよい! よろしく頼むぞ、ナカメ」


 胸に温かいものが込み上げる。この温かさを、奪おうとしているやつがいる。萬さんの想いを踏み躙り、琥珀の苦しみの根源である存在――妖狐。

 絶対に萬さんと勝ってみせる。琥珀を妖狐の犠牲にだなんて、させない。だって、犠牲となるべきなのは──きっと私だから。


 遠くに煌めく光の粒に、ナカメはそう誓うのだった。




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