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神薙  作者: 猫ざらし
17/35

17.萬(4)

 

「ぐおおおおおおっ!」


 目の前にそびえるのは、まるで天まで続くかのように切り立った崖。 苔むした岩肌は湿っていて、指をかけるたびに冷たさが染み込む。

 よじ登りながら、手探りで次の足場を探す。指先は泥にまみれ、爪の奥まで土が入り込んだ。


「はぁ、はぁ、はぁ…………」


 最後のメニュー、崖登り。これだけは、ナカメの死んで回復作戦は使えない。死んだ瞬間、地面に叩きつけられ、初めからやり直しになるからだ。


 ――玄月様は、全部わかっていたんだ。私の生き返り作戦も。事前に萬さんに殺し尽くされて、死への恐怖がなくなることも。


 そろそろ半分は登っただろうか。地表を見下ろし、絶望する。まだ四分の一にも辿り着いていない。

 腕が千切れそうだ。ナカメは歯を食いしばり、痛む腕を引き上げた。まだ登れる。まだ進める。

 夕日を背に、ひとり崖を征く小さな影が、ゆっくりと岩肌を這い上がっていく。

 もっと上へ。力が尽きるよりも、早く――――。


「うわっ!」


 露に濡れた岩肌に、指先が滑る。身体が、容赦なく重力に引きずられた。


「――――っ!」


 視界が回転する。掴んでいた岩も、踏ん張っていた足場も、すべてが一瞬で遠ざかっていく。

 鈍痛ともに、ナカメの体は地面に叩きつけられた。全身がじんじんと痺れて、しばらく動けない。ひっくり返ったように、空を仰ぐ。

 登っていた崖が、やけに遠くに見える。

 私、何やってるんだろう――そんな虚しさが胸に広がった。

 夕暮れ。空は淡い橙から紫へと、ゆるやかに染まっていく。 風に流れる雲は薄く伸び、翼を広げた鳥の影がひとつ、ゆっくりと横切っていった。

 気がつくと、こんな山にまできていた。誰かに必要とされたい。そんな欲求だけのために。

 遠くの山々の稜線が、紺に沈む。空と地の境界が溶け、夜へと近づいた。


「疲れたなぁ…………」


 ぽつりと呟く。まだまだ玄月様の修行は始まったはがりなのに、もう一年くらい山籠りしているような気がする。今日一日で、私は一体何回死んだんだろう。


「なんか、眠くなってきた……」


 頬を撫でる風に、思わずうとうとと瞼を閉じかけた時。 ナカメの視界を覗き込むように、顔が現れた。


「ぎゃっ!?」


 思わず飛び起きて、振り向く。

 立っていたのは、少女。金に近いオレンジ色の長い髪が、風に揺れた。

 誰だろう。

 無表情で佇む少女は、どこか萬さんに似ている。だけど、着ている服も、胸の大きさも。萬さんとは似つかない差があった。

 そして何より、何だかキラキラしてる。何だろう、このオーラ。どこかで感じたことがあるような……。

 ばっさりと上がったまつ毛。薄い桃色のリップが塗られた唇。色白の肌。


「何見てんの?」


 睨むように、少女の目が細まる。


「いや、急に覗き込んできたから、誰だろうって……それに私たち、どこかで会ったことある……?」

「はぁ? 初対面でしょ。意味わかんないんだけど」


 気怠そうな声。尖った言葉に、私の心の中に小さな稲妻が走った。

 間違いない。このサバサバした感じ。これは正しく――――。


「ギャルだ!」

「はぁ?」


 困惑するギャルを無視して、ナカメはうんうんと唸った。最近出会った人たちは皆、現実離れした人ばかりだった。銀髪吸血鬼に、大自然ピンク髪お姉さん、年齢不詳の巨乳狼人間。

 やっと久しぶりに、普通の人間に出会えた。


「ううっ……普通のギャルだぁ、もっとちょうだい」

「何こいつ!? ちょっと、血まみれでくっついてこないでよ! 汚れるんだけど!」


 思わず熱い抱擁をしようとして、ギャルに殴られた。


「ご飯できたって、萬様が呼んでるから、あたしが呼びにきたの!」


 萬様。つまりこのギャルは、萬さんのお屋敷の人間なのか。 てっきり一般のギャルだと思ったから、少しだけショックを受ける。


「そりゃそうか……こんな山奥に野生のギャルがいるわけないよね……」

「何意味わかんないこと言ってんのよ」


 夕飯の時間とのことなので、ギャルと共に山道を下って屋敷に向かう。


「そういえばあんた、親いないんでしょ」


 いきなり失礼な子だな。そう思ったけれど、口には出さなかった。


「よくご存知で」

「萬様から聞いただけ」


 隣を歩くギャルは、森の暗がりで見ると、より一層萬さんに似て見える。血縁者か何かなのだろうか。


「あんた、親のこと恨んだりしないの?」

「え、どうして?」

「どうしてって、あんたを捨てたようなもんじゃない」


 ナカメは「うーん」と首を傾げた。

 確かに、会いたいと思ったことは何度もある。だけどそれは、恨みかと言われると、少し違う。だって、顔も知らないし。きっと私の両親も、死にたくて死んだわけじゃないだろう。


「恨んでないよ」

「なんでよ」

「顔を覚えていたり、生きているのにそばにいなかったりしたら、違ったのかもしれないけど。そもそも、どんな人かも知らないし」


 孤独は確かに、ずっとそばに存在していた。誰かを守って死にたいと思えるほどの、寂しさ。だけどそれは、私の中にあるもので。恨むとすれば、死んだ両親ではなく、打算的で歪んだ夢しか描けない、自分の弱さだろう。


「やっぱり私、あんたのこと嫌いだわ」

「ええ!?」


 私は結構、仲良くなりたかったんだけど……。

 そう伝える間も無く、謎のギャルは廊下の先に消えてしまった。


「……一緒にご飯、食べないの?」


 取り残されたナカメはひとり、仕方なく広間へと向かうのだった。

 

「――――――ってことがあったんです」

「ガッハッハッハ! それは余の依代じゃな」


 ナカメの茶碗の、何倍もの大きさの器から米粒をかき込みながら、萬が豪快に笑った。


「あやつは琥珀(こはく)と言うてな。昔は余の後ろをついて歩く、愛い娘じゃったんじゃがなぁ。余の依代になってからは、気難しいやつになってしまってのう」

「萬の寝相が悪いんじゃないの?」


 広縁に腰掛けた玄月が、どこかから連れてきた野良猫をじゃらしながら笑う。


「玉って依代と寝るんですか……?」

「さぁどうだろうね。萬の家は特別で、匂いをつけなくてはいけないから」


 匂いとは。クエスチョンマークがいくつも浮かぶ。


「玄月、余計なことを……」


 萬が睨むように青い瞳を細めるが、玄月は動じなかった。


「別にいいでしょ。ナカメもいずれ誰かから聞くことになるんだから。それにここに住むからには、知っておいた方がいい」

「そうじゃのぅ……いいか、ナカメ。余の治めるこの筑紫の国には、妖狐が封印されておるのじゃ」


 萬が語り始めたのは、この里の歴史。それは、千年以上も遡る、九尾と狼の戦いだった。

 



 かつて、九州北部一帯を縄張りとし、恐れられた魔物がいた。

 その名は、玉藻前(たまものまえ)

 白銀の毛並みに覆われた女狐の姿を取り、九尾の姿を現せば、ひと息にして山を吹き飛ばすほどの妖力を誇る。それはそれは恐ろしい魔物だった。

 されど最も恐れられたのは、人に化けた姿。

美しき女の面をまとい、人心を惑わしては、幾千もの人間を食らい尽くし、人の世に災禍を振り撒いた。

 やがて妖狐の振りまく災いは、朝廷も見過ごせぬ事態となる。

 神祇官の命を受け、妖狐征討のために召喚された神薙。古より月狼の力でその名を轟かせる者――萬であった。

 萬と、萬に仕える者たちは、満月の夜になると神狼の血をその身に巡らせ、鬼神の如き力を得る。

 玉藻前と萬家。両者の因縁はこのとき始まった。

 しかし、玉藻前はただの妖にあらず。

 知恵に長け、天の理すら読み解く魔性の狐は、萬の力が月光に依るものであると見抜くや、満月を避け、新月の闇に身を潜めた。

 そして月が痩せ、萬の血がその力を失いかけた闇夜――玉藻前は牙を剥いたのである。

 月のない夜に始まった激戦は、三日三晩続いたという。

 萬と萬に仕える者たちは血を流し、玉藻前の尾は千切れ飛び、九つのうち三つを失うも、なお妖力は衰えず。

 そしてついに、萬は玉藻前自身が秘め持っていた祭具――金の錫杖の力をもって、妖狐を封印するに至ったのである。

 だが、戦いはそれで終わりではなかった。

 玉藻前の妖力は余りにも強大で、一度の封印で鎮まるものではない。

 百年ごと、節目の夜に必ず封印は綻び、玉藻前は蘇る。その度に萬は、萬に仕える者たちを率いて、これを封じ続けてきた。その戦績は八戦無敗。

 然れど、華々しい萬の功績の裏では、欠かせない犠牲があった。

 それは囮であり、生贄。

 封印を確実とするため、萬のもとに¥に差し出されるのは、筑紫の国で最も萬とよく似た顔の、まだ若き命。

 囮として妖狐の目を引き、逃れられぬ供物となる影武者だった。

 千年の間に、何人もの若き女がその役目を課せられた。

 それは、決して人間に知られることのない犠牲。その犠牲こそが、神薙と魔の終わることのない呪い。そのものだった。


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