14.萬(1)
『当機は福岡行き、JL航空801便です。まもなく出発いたしますので、お手回り品は――』
座席に腰を下ろした瞬間、ナカメの目がキラキラと輝いた。
ふかふかのシートに、やけに広い足元。目の前には大きなモニター、そして両側には仕切りまである。
「これが……飛行機……!」
思わず小声で呟く。テレビや映画で見た光景が目の前に広がっている。リクライニングボタンを押せば、ゆっくりと背もたれが倒れ、足元もふわりと持ち上がる。
「もはや……ベッド……!」
声を殺して感動しながら、ボタンをいじってはシートを起こしたり倒したり。備え付けのライトを点けたり消したり、テーブルを引き出したりしまったり。全ての仕掛けが楽しくて仕方ない。
「はしゃぎすぎ」
はしゃぐナカメに、玄月が頭を叩いた。
「すみません……神薙はみんなビジネスクラスなんですか?」
「いや、飛行機なんて乗らないよ」
答えながら、玄月が座席のシートを倒す。
「見た目が人に近くない者も多いから。それに、人間とこんな狭い空間にいるのになんて、耐えられないだろう」
玄月の回答に、ナカメはずっと疑問に思っていたことを口にする。
「神薙って、この国を守ってるんですよね? それなのに皆さん、人間が嫌いなんですか……?」
「みんなじゃないよ。玉にもいくつか作り方があるんだ。そもそも、魔物と人間はどうやって交配するんだと思う?」
「え、それは人間と同じように……その、えっと」
そこまで言って、言い淀むナカメ。
人間の交配っていったら、アレだよね?その、交尾というかなんというか……。
困惑して苦悶するナカメに、玄月が肩を揺らした。揶揄われたんだと気付いたナカメが、一層顔を赤らめる。
「真面目に話してください! セクハラですよ!」
「あはは、いやぁ昔デジ子に同じふりしたときは、全然通じなかったからさ。やっぱり人間は面白いな」
けたけたと笑う玄月の表情は本当に楽しそうで、思わずため息をつく。デジ子の苦労がわかった気がした。
「でも、ナカメの想像どおり。やることは人間と変わらないんだよね。人間に友好的な魔物であれば、家庭のようなものを築き、自然と玉が生まれることもある。でも、そうじゃない魔物から玉をつくるときは悲惨だね」
人間を快く思っていない魔物と、子どもを作る方法。ナカメには、想像がつかなかった。
「神薙では、玉を産ませるために、かつて国を滅しかけた凶悪な魔物を、捕獲している。そいつらに交配させるのさ。もちろんタダじゃない。交配の代わりに、魔物の欲望をひとつ、叶えてやってね。求められることは色々あるけれど、一番多いのは生贄かな」
ぞくりと、ナカメの背筋を冷たいものが駆け上がった。
人間を生贄にして、魔物と人を交配させる? 玉という、たった一人の存在ために。そんなこと、許されるのか。
「勘違いしちゃいけないよ、ナカメ」
玄月の赤い瞳が、ナカメに真剣な眼差しを向ける。
「神薙は、表舞台には決して出ない。だけど、裏では多くの人間を助けている。必要な犠牲とは言わない。だけど、このシステムがなければ失われていた命が多数あったことも事実さ」
前にデジ子も言っていた。神薙は必要であれば、容赦なく人間も殺す。人でも魔物でもない集団だと。
だけど、犠牲になる人間が、例えば極悪人だとして。だからといって、許せるものではない。ナカメの倫理観が、明確にノーを突きつけていた。
「何かを変えたいのなら、自分で変えるんだ」
ぐっと、唇を噛む。玄月様の言う通りだ。玉を生み出すための現在のシステムに異を唱えるのなら、その穴埋めを、何かでしなくてはいけない。
それだけの力が、まだ私にはない。誰かに必要とされたいと願ってここにいる私は、今も弱いままだった。
「あの、玄月様」
「なんだい」
「玄月様は、なんの魔物の玉なのですか?」
「吸血鬼だよ」
驚きはなかった。
ナカメはぎゅっと喉を絞ると、覚悟を決めて口を開く。
「玄月様、駐車場で私に言いましたよね。帝の御前にいた、黎明二十家の人たち。みんなを倒せるくらい強くならないとダメだって」
思い出すのは、帝の御前に立ち。私が人間だと知って襲いかかってきた玉や依代の姿。
その力は、途方もなく強大で。私は逃げることすらできなかった。
「このままじゃダメなんです…………玄月様」
胸によぎるのは、鱗にまみれて異形と化した依代。鶯の叫び。
「私を、玄月様の依代にしてくれませんか」
だがナカメの緊張とは反対に、玄月の答えは淡々としていた。
「だめ」
「…………なぜですか」
「私は依代はつくらない主義なんだよ。それに、強くなる方法なら、他にもたくさんある」
玄月の口元は、微かに微笑んでいた。まるで、遠くの何かを見つめるように。
「これから会いに行くやつにでも聞いてみな」
「今から会うのって……」
「四家のひとつ。天神の御社。萬の家さ」
* * *
ナカメたちが博多駅に着く頃には、日が暮れ始めていた。
周囲の通行人が振り返るほどの真っ黒な日傘を広げ、玄月が歩き出す。
「さっそく萬さんの所に行くんですか?」
「その前に行くところがあるから、ナカメもついてきて貰えるかな」
「任務ですね!」
玄月の後をついて歩くこと、駅から十五分。そこは、商店街にある平凡なラーメン屋だった。
「ラーメン食べに来たんですか!?」
「チャーシュー麺大盛りふたつ。にんにくマシマシね。ナカメ、替え玉は三回までだよ」
「そんなに食べれませんよ!?」
「スープまで飲み干さないとこの店、店主に怒られるから」
「常連なんですね……吸血鬼のイメージが崩れていく……」
吸血鬼がにんにくマシマシのラーメンなんて食べていいのだろうか。そう心配しつつ、ナカメもラーメンを啜る。
そして店を出ると、再び玄月が歩き出した。
今度こそ、神薙四十九家の頂点に君臨する四家。玄月様と並び立つ神薙に会える。そう意気込むナカメであったが。
玄月が次に向かった場所は、天神の屋台街。嫌な予感がする。
「店長、生三つ。あと軟骨」
「まさか飲むんですか!?」
「ビールは太陽の味がして美味しいからね。ナカメも飲む? 奢ろうか」
「私は未成年です!」
何を考えているんだ、玄月様は。
「お姉さんたち、えらいべっぴんさんやね! サービスで唐揚げもつけとくけんね!」
「ありがとうお兄さん」
にこりと営業スマイルを向ける玄月様は、普段の静かな様子からは想像もつかない。と思っている間に、先ほど来たばかりの生ビールのジョッキは、三つとも空になっていた。
「玄月様、そんなに飲んで大丈夫ですか……?」
「まぁまぁ、博多は可愛い子多いから。きっとナカメも気にいるよ」
「もう酔っ払ってるじゃん!」
――と、紆余曲折はあったものの。
「着いたよ」
玄月の言葉に、タクシーを降りる。
博多駅から約二時間。山道を抜け、人の気配も消えた先に、その屋敷はあった。
鬱蒼とした木々に囲まれ、長い年月を経た木造の屋敷は、空気そのものが張り詰めている。
門には飾り気ひとつなく、夜の風に揺れる木々の音が頬を撫でる。
玄月様が、門に下げられた木札を叩く。すると、すぐに重い扉が開き、黒い着物を着た使用人が一礼した。




