11.ワダツミ
静まり返った地下駐車場。磨き上げられた黒塗りの車が整然と並ぶ。その間を縫うように、玄月とナカメは歩いていた。
「デジ子、大丈夫ですかね……」
「大丈夫、大丈夫。彼女は光と水さえあれば回復する。燃えたら消えちゃうことを覗いたら、君に近いくらいの不死身っぷりだよ」
革靴が床を蹴る音が、広大な駐車場に反響した。
「そうだ、今度うちの本部の屋上に行ってみるといい。 日本中の植物を植えまくった、デジ子専用の温室があるから」
砂淵家との戦いを経て、最も重傷なのはデジ子だった。というより、デジ子しか負傷しなかった。玄月様は無傷だったし、私も生き返ったから、どこにも傷はない。ぴんぴんしている私と玄月様に、デジ子は何か言いたげな顔をしていたが、本部に着くなり屋上へ行ったっきり。下りてこなくなってしまったのだ。
でも、無事ならよかった。
「人のことを心配している場合じゃないよ、ナカメ。これから向かう場所、わかってる?」
「神薙四十九家の総本山、ですよね?」
私と玄月様が向かっているのは、東京都千代田区。皇居にほど近い場所の、遥か地下だった。
砂淵の死。元神薙四十九家の死に、現役の神薙である黎明二十家が集められたらしい。
「砂淵って、現役の神薙じゃなかったんですよね。それなのに、みんなわざわざ集まるんですか?」
「砂淵の件だけじゃない。お上がまた何かたくらんでるみたいなんだよね」
玄月は、車のキーを遊ぶように指先で回す。
「新しい玉をつくるとか、言い出さなきゃいいけど。東の二十家全員の呼び出しなんて、そうそうあるものじゃないからね」
黎明二十家。デジ子の話では、四家の下にある四十五の家のうち、東にある家をそう呼ぶらしい。
「しっかし、砂淵との戦いを見てたけど、ナカメって想像以上に弱いね」
「うっ……何かこう、必殺技とかほしいんですけど……それか、せめて武器とか……」
いくら不死身でも、女子高生の肉弾戦では限界がある。
「考えておくよ。変な魔物に君の血肉を食べられでもしたら、大事どころの騒ぎじゃないからね。今夜集う、黎明二十家。彼らを倒せるくらい、ナカメには強くなってもらいたいね」
地下駐車場を抜けた先、重厚な鉄扉がナカメ達を待っていた。
扉の脇には監視カメラがニ台。レンズを動かしてこちらを捉えている。玄月は無言で扉の表面に指先を滑らせると、微かな電子音が鳴った。
「すごい警備ですね……」
扉の向こうは、眩しい廊下が続いていた。鏡張りの壁に埋め込まれた無数の監視カメラが、ギョロリとこちらを向く。
「セレモニーみたいなものさ。こんなことをしても意味がないことは帝もわかってる」
それはつまり、玄月様のような玉であれば、こんな警備も容易に突破できるという意味だろうか。
廊下を抜けた先には、一基だけのエレベーターがあった。 ふたりが乗り込むと、ゆっくりと下降が始まる。エレベーター内には階数表示すらなく、ただ沈んでいく感覚だけが、二人を神薙の深層へと導いていた。
「ナカメ、そろそろ面をつけた方がいい」
お面は、ここへと向かう道中で玄月から手渡されたものだった。女の人の顔を模したような、木の古いお面。これには、人間と悟られない呪いが施されているらしい。
「ここから先は、人間が入れる場所じゃない。玉も依代も、神薙に人間はいないからね。だけど、君の匂いは人間に近い。神薙の誰かひとりにでも人間だとバレたら、下手すれば殺される。その上でナカメが不死身だなんてバレたら、もっと大変なことになる」
「不死の神薙はいないんですか?」
「…………いないよ。不死に近い回復力をもった玉は、昔いたけどね」
お面の紐を頭に括る。結ぶのに手こずっているナカメを見かねて、玄月が手を貸した。
「神薙は不老。だから夜行のように、不死の肉体を求めるやつも多い。不死の力さえ手に入れば、実質無敵だから」
「玄月様も……?」
「まさか」
玄月はナカメから手を離すと、「できたよ」と微笑む。
「このお面、むしろ目立ちませんか?」
「神薙の会合では、みんなお面をするんだよ。砂淵のときみたいに、神薙同士でドンパチすることもたまにあるから。顔を見られて、何の魔との混血かバレるのが怖いのさ……さぁ、着いたよ」
玄月の言葉とともに、エレベーターの扉が開いた。瞬間、冷んやりとした空気が足元を這い上がった。
そこは、現代とは思えない。まるで時代の狭間に迷い込んだような異界だった。廊を覆う黒漆の床。踏みしめるたび、湿った音が足裏を掠める。
両脇には灯籠が並び、薄墨色の炎がゆらゆらと揺れている。焚かれた香の匂いと、どこか血のような鉄の匂いが混ざりあい、鼻をついた。
行き交う者たちは、誰もが面をつけている。笑う翁、無表情の童子、泣き顔の鬼女。その下に見え隠れするのは、鱗を持つ頬や、毛並みを持つ首筋。
その様はまさに、百鬼夜行。玉か依代かも分からないまま、面だけが静かにこちらを向いている。
「ナカメ。大事なのはまず、人間だとバレないことだ」
緊張で強張る体を、無理やり一歩前へ押し出す。
「次に、お面をつけていない奴には絶対に近づかないこと」
「どうして?」
必死に、玄月の隣を歩いた。なるべく誰とも目が合わないよう、床に目を落とす。
「お面をつけていない奴は、姿がバレても構わないようなヤバい奴だからね」
「でも、だったら玄月様もお面つけてないんじゃ……………あれ、玄月様?」
――早速はぐれた!?
隣に立っていたはずの玄月の姿が、どこにもない。 焦ってきょろきょろと辺りを見渡すナカメに、毛むくじゃらの大男がぶつかる。
「ご、ごめんなさい!」
見上げると、猿のようなお面。
「んん? お前、玉じゃねぇな。誰の依代だ?」
「私は、玄月様のっ……」
玄月の名前を出した途端、周囲の玉や依代たちがざわめきだす。
な、なに。
「おい、あいついま、玄月って言ったぞ」
「玄月に依代がいるなんて聞いたことあるか?」
波紋のように広がる、不穏な空気。まずい、逃げろ。
「おいっ! 逃げるな!」
ざわめきに耐えきれず、ナカメは反射的に背を向けた。一旦、誰もいない場所へ避難しよう。
床を蹴る。だが、一歩踏み出したその瞬間。空を切る音とともに、背後から放たれた皿のようなものが、ナカメの面を正確に捉えた。
硬質な破裂音とともに、頬を撫でる冷たい空気。パリンッと音を立て木彫りの面はひび割れ、あたりに数片が散る。
「……っ!」
面の隙間から覗くナカメの素顔。周囲に立っていた玉や依代たちの視線が刺さる。
――――やばい。
「この匂い、その顔……こいつ、人間だ! 人間がこの場に紛れ込んでやがる!」
猿の面をした大男の叫びが、引き金だった。次の瞬間、四方八方から術が飛ぶ。黒塗りの床を砕く巨大な鬼の斧が、ナカメの足元を引き裂き、咄嗟に飛び退く足をかすめた。
「――人間が何故ここにいる! 帝の御前だぞ!?」
「――おいっ! 殺すまではないんじゃないか、まだ子どもに見える」
「――だが、普通の人間がここまで忍びこめるはずがない」
河童の皿が、回転しながら高速で飛び交い、頬を切る。床から、逃げるナカメの足を掴むように無数の手が伸びた。
「忍びこんだのか!? 穢れだ! 穢れだ!」
廊下の奥から、牛の頭を持った鬼が三頭現れた。そして、鈍く光る大太刀を引きずりながら迫った。
「その人間を殺せ!」
牛鬼の背後に立つ、白無垢に真紅の帯を締めた女が叫ぶ。 血の匂いと香煙が入り混じり、空気がうねる。逃げる道を探す間もなく、次から次へと襲い来る魍魎。
やばい、死ぬ、死ぬ。
五感を刺激する恐怖と殺気。逃げ道はない。牛鬼の刃が、ナカメの首の皮に迫る。その刹那だった。
「――おもろい遊び、してはるなぁ」
向けられた殺気を切り裂くように、すっと黒い影が横切る。 いつか聞いた、男とも女ともとれない、艶やかな声。
それはいつの間にか、ナカメと牛鬼の間に立っていた。




