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――あの日から、キミはボクと少し距離を置くようになった。ボクの気にしすぎだってみんなは言っていたけど、なんとなく碁も打ちづらくなってしまって、一夜くんの部屋を訪れる機会も減ってしまった。キミは、何を考えていたのかな――
夏休みが来た。
大学の夏休みは、一般的には二ヶ月間ある。高校生だった時からそのことは知っていたし、二ヶ月間は遊んですごせるものだとばかり思っていたけれども、実際にはそんな甘い世界じゃなかった。普通に卒業に必要な免許だけを取りたいなら、十分に休みが取れるけど、他に資格や免許を取ろうと思うと、夏休み期間中に集中講義を受けないといけなかった。
みんなと相談して、ボクたちは博物館学芸員の資格、学校図書館司書教諭、幼稚園教諭と養護教諭の免許も取ることにした。そのため、夏休みはお盆を挟んだ一週間だけ。後は毎日大学に通って、朝からそれこそ晩まで講義を受けることになった。自分で選んだ道だから、苦ではなかったけど、大学生は楽じゃないと身に沁みて感じた。
みんなとは違って一夜くんだけは、
「卒業できればそれでい」
といって、集中講義はひとつも受けなかった。教員になりたいようにも相変わらず思えなくて、人のことなのに心配に思えてしまった。
ただ、前期の講義のテストで取りこぼしはなかったみたいだ。みんなで「不可」がないことは確認した。成績表を見せ合いっこしたわけではないけど、「不可」がないことだけは確認したんだ。
一夜くんの姿を大学で見る機会が夏休み中はなくて、ボクはますます一夜くんとの間に距離を感じてしまった。
「部屋には居るんだよね……CDの音は聞こえて来るから。うーん……行けばいいのに、なんだか気が引けるなぁ」
まぁ、僕が悪いんだけど……と、胸中で付け加える。部屋は隣なんだから、手間はかからない。インターホンひとつ押せば、そこに一夜くんは居る。たぶん、無視されることはない。たぶん、だけど。
「えーい、突撃しちゃえ!」
自室の中で奮起したボクは、勉強机から離れて玄関に向かった。短い廊下を歩きながら適当に左手で髪を直して、ドアを開ける。外に出ると角部屋の一夜くんの部屋のインターホンを右手の人差し指で押した。
ピーンポーン。
チャイムが鳴る。
電話越しには話せないため、ドアの窓からこちらを覗かないと、相手を特定することが出来ない。セキュリティが甘いアパートだけど、学生メインで住む安い家賃なので、そんなものかなとも思う。
「一夜くーん、ボクだよ。楠井」
ガタガタっと中で音がした。それから、足跡がドアに近づいてくる。続いてチェーンを外す音がして、ドアノブを回して扉が開いた。
(久しぶりの一夜くんだ!)
本当に、一夜くんの姿を見るのは久しぶりだった。相変わらず美形だ。でも、目の下にはくまが出来ていて、頭はボサボサ。それに少し痩せた……いや、やつれたように見える。毎日大学に通い詰めているボクなんかより、ずっと不健康そうだ。
「どうしたの? 一夜くん」
「どうって?」
「めちゃくちゃやつれてるよ? ごはん、食べてないの?」
「あぁー……最近忙しくて。ちょっと手抜きしてる」
「ダメだよ。ごはんはちゃんと食べなくちゃ。ボクもお昼これからなんだ。何か作ろうか?」
「んー……うん、じゃあお願い」
「うん! 任せて! ボク、家から具材持ってくるね」
「どうも」
ボクは嬉しくなって、急いで自室に取りに行った。
冷蔵庫を開けると、こういう日に限ってあまり良い物が入っていない。もやし、ピーマン、ナス、人参、たまご、そして豚肉のバラ。
(大したものは作れないなぁ)
とりあえずそれらの野菜を持って、また一夜くんの部屋に戻った。一夜くんは、玄関ドアのところに凭れたまま、ボクのことを待ってくれていた。
受け入れてくれてるって、思ってもいい……よね?
「台所借りるね?」
「うん」
「一夜くんは、何か作業でもしてて?」
「ちょっと疲れたから、作業はいいや」
「あ、じゃあ少し目を閉じててよ。あんまり大したものは作れないけど、ちょっとくらい休憩できるんじゃないかな?」
「ん」
そう言って、一夜くんは部屋の中に入っていった。中はクーラーが掛かっていて涼しい。
僕はさくっと野菜炒めと豚しゃぶもやしサラダ、目玉焼きを作った。こうしていると、本当に夫婦みたいだ。
(夫婦って……ボクは何馬鹿なこと考えてるんだ!)
自分で考えておいて、恥ずかしくなって首をフルフルと横に振った。でも、すぐに頭の中は空っぽにはならない。
「で、できたよ!」
誤魔化すように言葉を発した。
「あ、うまそ」
「焼いて茹でただけだけど」
「食べていい?」
「もちろん!」
小さなテーブルに皿を置いて、向かい合ってごはんを食べた。お米はレンチンごはんを使わせてもらって、ボクもひとパックもらった。
「うまい」
「ほんと? よかった!」
ノートパソコンの周りには、紙が散らかっている。何かのレポートかな? 写真もバラバラと落ちている。片付いているようで、片付いていない。一夜くんの部屋は、いつもそんな感じだった。でも、洗濯物だけはしっかりと干されている。
「何の写真?」
無造作に落ちていた写真を一枚拾い上げて、裏側になっていた面を表にひっくり返そうとした。
「あ、ダメ」
止められたけど、遅かった。ボクは、つい見てしまった。セピア色の写真だったけど、ボクはそれが誰なのか、すぐに分かった。
呂華の写真だ。
「えっ!? これってファンクラブ特典でもないよね!? 非売品?」
「……」
「もしかして……一夜くんって」
ボクの中で、あるひとつの仮定が思い浮かんだ。
「不知火のファンクラブの管理人!?」
「……さぁ?」
そう言って、一夜くんはボクから写真を抜き取って、バラバラに落ちていた写真も回収した。他の写真も呂華のだったり、不知火のメンバーのものかも分からないし、一夜くんは管理人説を肯定もしなかったから、真実は分からない。だけど、特定することはやめようと思った。
「不知火の次のライブ、まだ告知されてないよね。いつになるのかなぁ」
「もう一生ないかもね」
「え!? なんで?」
「さぁ、なんとなく」
一夜くんはごはんを平らげると、うつろうつろと眠そうに目を瞬きさせていた。その様子を見て、心底心配になった僕は声を掛ける。
「少し寝る? ボク、洗い物したら帰るから」「……うん」
一夜くんは何故か返事の歯切れが悪い。眠いだけかと思ったけど、台所に行こうとするボクの服の裾をそっと摘まんで来た。突然の行動に少しびっくりして、ボクは止まる。
「もう少しだけ、ここに居て」
「……うん」
ボクは何も聞かずにただ、言われるがままにもう少しだけ一夜くんの側に座って、時が経つのを待った。




