46 聖女の為の、弱い精霊
ジェフリーにシトラとの経緯をバレてしまった。絶対に後について行くだろうから、カーター侯にも頼んで黙ってもらっていたのに。あの狸ジジィ、爵位は下の癖に、私の方が年下だからか舐めてかかっている。しかもその爵位も、子息が家督を継ぐ時には同じになるのだから、本当に最悪だ。
息子の説教により時間が押された私は、今日行う筈の仕事が滞り終わるのが夜遅くになってしまった。月明かりで照らされた廊下を疲れた表情で歩いていると、奥の方から小さな悲鳴が聞こえた。その悲鳴を出した人物を知っている私は、慌ててその声の元へ駆け寄る。
「マリアンヌ!!」
予想していた通り、廊下に座り込む妻がいた。こちらを見た妻は恥ずかしそうに頬を掻く。
「あなた、ごめんなさい驚かせちゃって」
「気にするな、怪我はないか?」
どうやら転んだ時に靴の踵が取れたらしい。私は妻を横抱きし、そのまま寝室へ向かうために廊下を歩いた。微かな光の月明かりでも、恥ずかしそうに頬を赤く染める妻が見える。もう婚姻して何年も経つのに、可愛い人だと微笑んでしまう。
「そう言えば、ジェフリーがケイレブ君と一緒に、シトラの後を追ってゲドナ国へ向かったそうですね?」
「ああ、シトラがゲドナ国の王太子と婚姻するとかいう、ふざけた記事を見てな」
「……本当の事かもしれませんわよ?王太子殿下はうちにも遊びに来たじゃないですか」
「絶対にない。絶対にゲドナ国に嫁がせない」
「あなたは、本当に娘が大好きね」
小さく笑う妻に、私は恥ずかしさを隠すために険しい表情を向ける。それを見た妻は、そのまま笑いながら私の胸にもたれる。……そうすれば、私の機嫌を取れると分かっているのだろう。本当にそうなので憎らしい。
寝室に着くと、ベッドに妻を寝かせ靴を脱がせた。そして手袋、最後に大事にしているネックレスを外した。……シルバーのネックレスを外すと、妻の瞳はエメラルドから美しい虹色に変わった。その瞳を見て、私は妻の頬に触れる。
「美しい色なのに、どうして隠すんだ?」
「だって、異質じゃありませんか。それに、これは代々家に伝わるお守りですから」
そう妻は弱く笑った。……妻の家は昔、当時の当主と、友好国であるユヴァ国から来た隊商の一員だった、鳥の獣人が恋に落ちた過去がある。鳥の獣人は虹色の瞳を持ち、当時の裏社会では高値で売られるものだったので、その獣人もサヴィリエで出会った獣人から、今妻が付けている認識阻害の魔術が掛けられた、シルバーのネックレスを譲ってもらったそうだ。以来妻の一族は、先祖返りなのか虹色の瞳を持つ者や、息子の様に獣人の力を濃く受け継いだ者が産まれる。
私がそれを聞いたのは、妻に一目惚れし、猛烈なアプローチをしていた時だった。告白の返事をする前に、こんな自分でも良いのかと、子供が出来ても先祖返りを濃く受けた自分からは、同じような子供が出来てしまう可能性を告げられた。
「そんな事で、私の愛が薄れると思っていたのが腹立たしいよ」
「え?」
「独り言だよ。……さぁ、もう寝なさいマリアンヌ。私もすぐに側にいくから」
私はそのまま、寝る支度をする為に妻から離れようとしたが、後ろから小指を掴まれる。
驚いて振り向くと、そこには下を向いて恥ずかしそうに笑う妻がいた。
「……あなたが来るまで、起きて待ってます」
「……………………」
その後の私の取った行動は、全て妻が悪い。絶対私は悪くない。
◆◆◆
私は宿の自室に戻り支度をしていると、控えめにドアがノックされた。護衛のガヴェインかと思えば、そこには薄暗い表情をしたアイザックがいた。もう瞳の色を隠す必要性をなくしたからか、エメラルドの瞳は元の金色に戻っていた。
「アイザック、どうしたの?」
そう問いかけると、アイザックは目線を彷徨かせる。私はそのまま彼をベッドに座らせ、私もその隣に座って顔を伺った。……ようやく言う気になったのか、アイザックは真っ直ぐ私を見る。
「………なんだか、君が俺の元から、居なくなりそうな気がして。……ごめん、そんな筈ないのに」
小さな声でそう呟く言葉に、私は目を大きく開いた。全くそんなそぶりを見せていなかったのに、長年側にいたアイザックは何かを感じ取ったらしい。
私の表情を見た彼は、険しい表情になりながら私の肩を掴む。あまりにも強い力で、思わず顔を歪めてしまった。荒い呼吸をしながら、アイザックは睨みつける。
「やっぱり!!今回の大魔法で、君は何かをするつもりなのか!!そうだろう!?」
「………アイザック」
「嫌だ!!君が居なくなるなんて嫌だからな!?俺の元から離れないと!俺とずっと一緒だと、言ってくれ……!!」
アイザックの悲痛な叫びに、私はどう答えて良いのか分からなかった。どう答えても彼は私を止めるだろうし、私も止まる気はない。アイザックは肩を掴んだ手を段々と落としていき、それと同時に彼の体も床に膝をついて行く。まるで縋るような姿をして、見えない顔から嗚咽を出す声が聞こえる。
「た、頼む、からっ……俺から、離れないで……」
「…………」
「俺と……俺とずっと……ずっと一緒に……!!」
「……アイザック」
私はその場で座り込み、アイザックの頬に触れた。顔をあげた彼は、金色の瞳から溢れるほどに涙を溢していた。……建国祭の時のウィリアムといい、本当に私は精霊に愛されているのだと実感した。そのままアイザックを抱き込み、美しい銀色の髪を撫でる。アイザックは腕を掴んでいた手を離し、私の背中に回した。
「有難う、私を生き返らせてくれて」
「……違う、俺は、俺は君を」
泣きすぎて声が吃る彼に、私は髪を撫でながら耳元で囁いた。
「有難う、私を愛してくれて」
「………っ」
「アイザックが愛してくれたから、私はこの時代で生きる事が出来た。……私の愛する人達を、守る事が出来るの」
アイザックが愛してくれなかったら、500年間眠りについていなかったら、私は力をつける事が出来なかった。彼が私を蘇らせてくれなかったら、私は彼を、皆を守る事が出来なかった。……全部、家族である彼がいなければ出来なかった事だ。
私はそのまま、彼が落ち着くまで抱き寄せ髪を撫で続けた。
かつては私と同じ年頃の見た目だったのに、今は立派な大人で。でも中身は全く変わっていない、心が弱い、そして優しい男だ。
ゲドナ国の疫病は、放っておけば必ずハリエドも襲う。私の大切なアイザックを、そして仲間を守る為に、私はこの時代に生き返ったのだ。
だから、寂しいなんて、思ったら駄目だ。
◆◆◆
シトラが、俺の元から居なくなってしまう。
自分の部屋に帰ってきた俺は、頭を抱えて壁にもたれ掛かった。結局彼女を言葉で止める事が出来なかった、俺は力でしか彼女を止める事が出来ない事に、どうしようもなく悔しくて唇を噛んだ。
かつての友人だった聖女キルア、彼女の日記を皆に見せ説明したシトラは、昔からの癖で爪を齧った。彼女がその行為をする時は、苛立っている時もあるが、何か隠している時もしていた。……久しぶりに見るその行為に、俺はどうしようもなく不安になった。それは猫の獣人と、二人きりで話す事を望んだ彼女の行動で確信となり、俺は何をしようとしているのか確認する為に、シトラの部屋に訪れた。
ドアを開けて、不思議そうにこちらを見て、不用心にベッドに座らせる彼女に伝えると、目を大きく広げて驚いていた。……やっぱり、あの大魔法はシトラにも被害が及ぶ。俺の側にずっと居てほしいと懇願すると、彼女は言葉を濁した。それで彼女がしようとしている事が、俺の元から居なくなる事だと分かった。
彼女が俺から離れてしまうなら、そう思えば思うほど、薄暗い気持ちが離れない。……でも、もう駄目だ。過去に起こした事を許してくれた彼女を、もう傷つけたくない。
「でも、どうしたら良いんだ」
彼女よりも大人になったつもりだったが、彼女を助ける方法が分からない。唇を噛んでいた力が強くなり、鉄の味が口に広がる。
「お嬢様を助ける方法を、知りたいですか?」
「っ!?」
目の前に急に聞こえる女性の声に、俺は驚いて顔を上げた。
そこにはハリソン家のメイド服を着た女性が、俺を真っ直ぐ見つめていた。全く気配も感じなかったが、それよりも確か、この女性はシトラと仲が良かったメイドだ。
だが突然姿を消し、淋しがると思っていたシトラは、予想に反して落ち着いていた記憶がある。……確か、クロエという名だった。
「お嬢様を助ける代わりに、貴方は精霊で居られなくなっても?精霊よりも途方もなく生きる事になっても?誰も自分を知っている人が居なくなっても?」
クロエは、無表情で淡々と告げていく。俺は涙を流す事もやめて、彼女を真っ直ぐ見た。
「……それでも、貴方はお嬢様を……私の愛しい女の子の為に、自分を捧げられる?」
……そんなの、決まってるじゃないか。
俺はクロエに微笑んだ。
「当たり前だろう……俺は、シトラの為に生まれたんだから」
クロエは、金色の瞳を細めて笑った。
マリアンヌは鳥目なので、夜はよく転んでしまいます。




