ハリソン家の、とある新米メイド
私の名前はミーシャ。平民の両親を持つ至って普通の女だ。
この春から、名門ハリソン公爵家の新米メイドとして働いている。
王族の次に権力を持つと言われるほどの名門公爵家で、ハリソン家は四人家族だが広大な敷地と部屋数のある屋敷のためか、使用人は百を超える。だが旦那様や奥様、坊っちゃまもお優しい方だし、一緒に働く使用人もとても人がいい。福利厚生も有りお給金も良いし、本当に素晴らしい職場だ。この職場の内定が決まった時、うちの家族は大喜びしていた。
早朝、いつもの様にお洗濯を終えたシーツを洗濯場で干していると、私と同じ新人メイドのミランダが声をかけてきた。
「お早うミーシャ。執事長から伝言よ。ここが終わったら、メイド長とお嬢様を起こしてきて欲しいって」
「分かったわ」
「あのメイド長とよく一緒に仕事ができるわね?緊張しない?」
「緊張するけど、でもお優しい方よ」
私は洗濯物を手早く終わらせて、急いでメイド室へ向かった。
ドアの前に着くと数回ノックをする。中から「どうぞ」と鈴の様な美しい声が聞こえたので、私はドアノブを回して中へ入った。
部屋の中には、私と同じメイド服を着た金髪金目の美女がいる。こちらに向かって微笑んでくれるが、朝日を浴びているのもあって神々しい。思わず頬が赤くなってしまう。この方がメイド長であり、精霊でもあるクロエさんだ。
「朝からご苦労様、それじゃあお嬢様を起こしに行きましょうか」
「はい!」
金目を持つ存在は、神に愛された存在である精霊しかいない。メイド長はその中でも高位の精霊であり、そしてかつてはこのハリエド国が祀る予言の神だった方だ。そんなとんでもないお方だが、過去に素性を隠してハリソン公爵家のメイドをしており、色々あって神の権利を譲渡した今は再雇用された。気まぐれで滅多にお目にかかれない、私も20年ほど生きている中で初めて出会った精霊が、まさかメイドとして働いているなんて。何かの冗談かと思うが、本人が強く希望してメイド長兼お嬢様の侍女になったらしい。
そんなメイド長の後ろで、顔洗い用の桶とタオルを持ちながら、私は長い廊下を歩いていく。途中で次期当主であるジェフリー坊っちゃまにすれ違った。現当主である旦那様と顔立ちがそっくりな坊っちゃまは、深緑の髪と目が美しい美青年だ。メイド長と一緒にお辞儀をすると、私の持っている桶を見て立ち止まる。
「妹を起こしにいくのか?」
「は、はい!今から向かう所です!」
「そうか、毎朝苦労をかける」
少し柔らかい表情をした坊っちゃまは、そのまま部屋付きの使用人を連れて歩いて行った。……公爵家で働いて、初めて坊っちゃまに話しかけられた。次期ハリソン公で、国王から宰相になる事を求められるほどの優秀な方。それなのにあの美しいお顔立ちで、非の打ちどころのない素晴らしいお方。……今日のお昼に、他のメイド達に自慢しよう。
思わぬ幸運に、私は顔を緩んでしまうのをどうにか抑え、メイド長の後についていく。……屋敷の一番奥、中庭が美しく見える部屋に着いた。メイド長は部屋のドアを数回ノックした後、ドアノブを回し中へ入る。私もその後に続いた。
水色を基調とした広い部屋、全ての家具が一級品だと分かる豪華さだ。だがそれを貶す様に乱雑に置かれた本やお菓子の食べかけ、そして魔法の呪文や紋章が描かれた紙などが散らばっている。メイド長と私はそれを踏まない様に避けながら、奥に置かれたベッドへ向かった。
ベッドの上には大量の動物のぬいぐるみが置かれている。確か公爵家が関わっている孤児施設の子ども達が、いつも遊んでくれるお嬢様の成人の誕生日に作ってくれたものだ。その中のウサギのぬいぐるみを抱きしめながら、焦茶色の髪をした女性が眠っている。メイド長は声もかけずに寝具を引っ張り、そしてあろう事にその女性の肩を掴み強く揺さぶった。
「お嬢様!もうすぐ朝食のお時間ですよ!」
「んむ〜〜もう少し〜〜〜」
「今日の朝食は、大好きな焼きたてのクロワッサンですよ!!」
「クロワッサン!!……………んむぅ」
首が折れるのではと心配になるほどに揺さぶられても、お嬢様は目を覚さない。メイド長は大きくため息を吐いて揺さぶるのを止めると、次にはお嬢様の両足を掴みそのままベッドから引き摺って行った。……この扱いが許されてしまうのは、お嬢様とメイド長の信頼関係があってこそなのだろう。
そのまま引き摺られたお嬢様は、無理やり化粧台の前に座らされる。私はすかさず桶を置いて、お嬢様の顔面を無理矢理拭き始める。されるがままのお嬢様は、少しずつ目が覚め始めた様だ。少し眠たそうにしながらも、私の方を向いて朗らかに笑う。
「ミーシャありがとう〜〜〜」
……私がお嬢様を起こしに来るのはまだ数回だが、名前を覚えてくださる。少し気恥ずかしくなりながら、私はお辞儀をした。
13年前にハリソン公爵家の養子となり、公爵家の方々にも働く使用人にも愛されているシトラお嬢様。この国では珍しい肌色と容姿をしており、正体は500年前にハリエドを建国した聖女シルトラリアという、メイド長と同じくとんでもないお方だ。色々あってこの時代に蘇生したらしいが、その辺りは詳しくは存じ上げない。他の貴族の令嬢より気さくな方で、明るく可愛らしいお嬢様。そして使用人全員の名前を覚えており、個々にお褒め頂く事もある。私も含め使用人皆はお嬢様が大好きだ。
顔を洗っている間に、メイド長は髪を手入れしていく。それが終わればまだ眠たいお嬢様をメイド長が恐ろしい腕力で持ち上げるので、今日お召しになるドレスを着せていく。お嬢様はあまりひらひらしたものがお好きでなく、いつもシンプルなドレスにブローチを付けている。先日のお知り合いだけで催したお誕生日パーティーで、カーター家から贈られたブローチを付けるのだが、この時だけは本当に手が震える。
全てが終わった頃にはようやく完全に目が覚めたお嬢様は、朝食のクロワッサンが楽しみなのかスキップしながら部屋から出て行った。この国ではかなり幼く見える容姿だからなのもあるが、お嬢様が成人済なのが本当に信じられない。
お嬢様をお見送りした後、私は次の仕事である屋敷の掃除を始めた。ちなみにお嬢様の部屋はメイド長自らが掃除している。前に手伝おうとしたが、美しい笑顔で「お嬢様の事は全て私がやります」と言われた。夫である執事長がメイド長の事を「私への想いは愛、お嬢様への想いは依存」と言っていたが、本当にそうだと思う。きっとメイド長は、お嬢様の嫁ぎ先にも絶対に付いていくのだろう。
正面玄関の掃除をしていると、突然地面に金色の魔法陣が浮かび光り輝く。その光が収まると、そこには長い白髪を高く一纏めにした、狼の獣人が現れた。その獣人は教会の聖騎士の服装をしており、気だるそうに首を掻いている。もう毎日の事なので見慣れたが、最初の時は吃驚しすぎて尻餅をついてしまった。
この聖騎士はガヴェイン様。絶滅したと言われていた狼の獣人で、様々な事がありお嬢様の護衛騎士をしている。ちなみにこの屋敷の使用人はこの聖騎士を嫌っている人が多い。かつてお嬢様を暗殺しようとしたのに、今では護衛で、お嬢様もとてもこの聖騎士を気に入っているからだ。特に料理長と執事長がこの青年を見る目線は恐ろしい。本人は全く気にしていない様だが。自分以外の周りにいる古株のメイド達も睨むように聖騎士を見ている、そんな事もお構いなしに彼は屋敷へ入ろうとした……が、頭についている耳が何回か動いたと思ったら、慌てて上を見上げた。
「ガヴェイン!!」
どこからかお嬢様の明るい声が聞こえたと思えば、聖騎士は上から落ちてきたお嬢様を受け止め抱きしめた。どうやら二階から飛び降りて来たらしい。聖騎士へ可愛らしい笑顔を向けたお嬢様だったが、その頭を勢いよく叩かれている。
「このバカ聖女!!危ねぇだろうが!!」
「いてて!で、でもガヴェインなら受け止めてくれるって信じてたもん!」
お嬢様にそう告げられた聖騎士は、耳を激しく動かしながら顔を赤くする。そのままお嬢様は聖騎士に横抱きをされながら、毎日の恒例である庭の散歩に出かけた。聖騎士を睨んでいたメイド達は「お嬢様は、悪い男が好みなの……!?」と言いながら更に目を鋭くさせていた。皆、お嬢様を自分の娘かなんかだと思っているのだろうか。
一仕事終えた私は、他の使用人達と一緒に昼食を取った。普段はたわいもない会話をしているのだが、今日は一人の使用人が机を強く叩き悲痛な表情をしていた。皆どうしたのだと心配すれば、吐き出す様に声を荒げた。
「今日買い出しで、カーター侯爵家の使用人に会ったんだけど!!そこで「シトラ様はカーター家から贈られた、サファイヤのブローチを毎日着けていらっしゃるとか?うちの坊っちゃまのお嫁に来るのはまだでしょうか?」とか抜かしてきたのよ!!!」
使用人の言葉に皆固まり、そして次には同じ様に壁や机を叩き始めた。
「シトラお嬢様がカーター家に嫁ぐ!?そんなの旦那様が許すはずないだろ馬鹿馬鹿しい!!」
「そもそもブローチだって!カーター侯に常に身につけろと言われたから!お優しいお嬢様は付けてるんでしょ!!その言葉がなかったら今でも坊っちゃまから贈られたブローチ付けてるわよ!!」
「全くカーター家の使用人といい!ペンシュラ伯爵家や城の使用人達はお嬢様を自分の所の令嬢だと思ってるのかしら!?お嬢様は坊っちゃまと婚姻されるんだから!!ハリソン家にずっと居るんだから!!」
「そうよ!!全然坊っちゃまの気持ちに気付いていらっしゃらないけど!!」
私や、私と同じ新米の使用人は周りの怒声に顔を引き攣らせた。
そう、お嬢様を慕っているのは、ハリソン家の使用人だけではない。実の両親でさえ出来なかった兄妹仲を改善させ、問題児だった妹君を改心させたカーター侯爵家の使用人達。先代により奴隷として売られた領民や、虐待されていた子息を救い、領地の平和と発展を得られたペンシュラ伯爵家の使用人達。そしてかつて初代王だったお嬢様を崇拝し、第一王子を更正させた恩義を持つ城の使用人達。
……最近はゲドナ国を呪いから救った事で、ゲドナ国民からも信仰されていると聞く。お嬢様を崇拝したり、慕ったりする人数は凄まじく、お嬢様ももう成人し婚約者が出来ても可笑しくない年齢の為、最近はカーター家の使用人達の様に喧嘩を売られる事も多いのだ。
あまりにも怒り狂い叫んでいた為か、使用人室の外にまで響いていたらしい。控えめにドアのノックが鳴ったので返事をすると、扉を開けたのは噂をしていたお嬢様だった。聖騎士と一緒に大きな箱を何個も持っており、少し苦笑いをしていた。
「えっと、ゲドナ国のお土産持って来たんだけど………」
怒り狂っていた使用人達は、皆静まり返りお嬢様を見た。暫くそのままだったので、お嬢様は何を勘違いしたのか「後でまた来る」と何処か寂しげにドアを閉じようとする。そこでようやく意識を取り戻した使用人達は、慌てて閉じられそうなドアを全員で掴んだ。
「違います違います!!最近の暑さに苛立っていただけです!!」
「そ、そうです!わぁお嬢様有難うございます!!旅行は楽しかったですかぁ!?」
苦し紛れの言い訳だが、純粋なお嬢様は信じたのか一気に顔を明るくさせた。持ってきた箱の中には、砂糖漬けの果物が、宝石の様に美しく彩られた焼き菓子が入っていた。普通の令嬢なら、使用人に旅のお土産など買わない。だがお嬢様は「前の世界の名残り」と言い遠方や旅行の度に使用人へ買って来てくださる。そういう所も皆に好かれる理由の一つなのだろう。その中の砂糖漬けのオレンジがのせられた焼き菓子を頂くと、とても美味しく顔が綻んでしまった。それは他の使用人も一緒だ。
「とても美味しいです!ゲドナ国ではこんな焼き菓子があるんですね!」
「でしょでしょ!ルーベン様お墨付きのお店で買ったんだ〜!」
ルーベン、とは新たなゲドナ国の王だ。ハリエド建国祭で仲が良くなったらしく、一度公爵家にも遊びに来ていた。お嬢様がゲドナ国へ旅行に行かれた際、国内外で広く読まれている新聞社の朝刊に、この王とお嬢様が婚姻間近と一面に載った。その際はジェフリー坊っちゃまも荒れたが、それ以上に使用人が荒れた。何なら旅行許可を許した旦那様へ、執事長含む使用人達が抗議していた。
まさか今一番要注意人物である、ゲドナ王贔屓の店のものだと思わなかったのか、皆お嬢様のお土産という嬉しさと、すっかり仲が良くなっているゲドナ王への危機感で変な表情になっている。だがそんな事は知らないお嬢様は、使用人と一緒に焼き菓子を食べて笑顔だ。後ろの聖騎士はこの空気に顔を引き攣らせていたが。
夜も遅くなり、仕事を終えた私は使用人用の別館へ向かうために廊下を歩いていた。その際、廊下の奥で誰かが喋る声が聞こえる。近づけはその声は坊っちゃまとお嬢様だと分かったので、私は二人が話し終えるまで物陰に隠れる事にした。少し顔を出して二人の表情を見ると、坊っちゃまは蕩けた様な表情をお嬢様へ向けており、普段の真面目な表情とあまりにも違いすぎて目を見開く。
「シトラ。「いつもの」してくれるかい?」
「お、お兄様……毎度言ってますが、本当に貴族社会で流行な、就寝時の挨拶なのですか?」
「ああそうだ、だから早くしなさい」
よく分からない掛け合いに頭を傾げていると、お嬢様は恥ずかしそうに頬を赤くしながら、坊っちゃまの頬に、そして首筋に唇を当てた。……今自分が見ているものが信じれず、思わず目を擦るがやっぱりしていた。されている間、坊っちゃまは熱を込めたため息をしている。
そしてお嬢様が終えれば、次は坊っちゃまが同じ事をしていた。が、お嬢様の時よりも回数も長さも違う。恥ずかしそうに唇を噛むお嬢様は、目線を横にして弱々しく声を出した。
「うう、まさか私の知らない間に、兄妹でこんな恥ずかしい事をするのが流行だとは……ケイレブ様達も、これやってるのでしょうか?」
「やってるんじゃないか?……やっていなかったら、兄妹仲が悪いと言われている様に聞こえて失礼だからな」
「そうですよねぇ、二人にしてるか聞かないでおこう……うう、恥ずかしい……」
こんな行為が兄妹関係で、流行な訳ないだろう。坊っちゃまの手のひらで転がされているお嬢様に新米メイドが何かできる訳でもなく、私はあまりの光景に熱る顔を隠した。
その内お嬢様は、兄である坊っちゃまに既成事実でも作られるんじゃないか?まさかあのお優しい坊っちゃまが、こんな獣だったとは。そのまま暫く続いた坊っちゃまの戯れあいを終え、お嬢様は見送られながら自分の部屋に入っていった。そのまま坊っちゃまも隣にある自分の部屋に入る為にドアノブに手をかけたが、一向に部屋へ入らない。どうしたのかともう一度顔を出すと……………思いっきり目があった。こちらへ美しい笑顔を向けた坊っちゃまは、ゆっくりと口を開く。
「さっきから気配がだだ漏れだ。確か君は朝にすれ違ったな?」
「あっ………えっ……」
「今の光景、全て見なかった事に出来るかい?」
笑顔なのに、地を這うような声で私に問いかける。………確実に、拒否したら公爵家から追い出されるし、もしかしたら命もないかもしれない。私は真っ青になりながら何度も頷くと、坊っちゃまは笑顔のまま部屋に入って行った。
私は体に力が入らず、廊下で座り込んでしまう。……お嬢様を慕う高貴な方々も、皆とても立派な方々だが、もしかしたら坊っちゃまの様に純粋なお嬢様に何かしているかもしれない。そう思えば思うほど、メイド長や聖騎士が、あれほどにまでお嬢様から離れない理由も分かる。
「………早く、私も一人前になってお嬢様を守ろう」
私は、この為にハリソン公爵家で働く事になった気がした。
その後、私は死に物狂いで仕事を覚えた。それが評価され、異例のスピードでお嬢様の侍女になるのだが……そのお陰で、お嬢様の愛くるしい姿を毎日見る事となり……次第に私も、あの怒声をあげていたベテラン使用人達の様に、お嬢様に異常に慕う人間の一人になった。




