50 名前を付けよう
ゲドナ城の王族専用控え室。その部屋のソファに座る、宝石を散りばめた琥珀色のドレスを着たシトラは、自分の周りにまとわりつく白い手達を前に考え込んでいる。身なりを整え美しく着飾っているのに、眉間に皺が寄せられており台無しだ。
暫くすると何か閃いた様に明るい表情を見せて、隣に座る俺に満面の笑みを向けてくる。
「決めましたイザーク様!!この子の名前はゼウスにします!!」
「………そ、そうか」
「私のいた世界の最高神の名前です!この子にピッタリじゃないですかぁ!ね〜ゼウス〜!」
ゼウス、と名付けられた白い手達は、ある手は丸をつくったり、ある手はシトラの頭を撫でたりと様々な行動をしている。……多分、名前をつけられて喜んでいるんだと思う。顔がないので分からないが。
この世界の定めを司る存在を魔術で呼び寄せたシトラは、あろう事に自分が二回も刺された短剣でその存在を刺し、契約魔法を唱え世界と契約した。そして直ぐに彼女は力を使い、ゲドナ国の呪いを「消える定め」にして見せたのだ。
まさかそんな事を考えていると思わなかった俺達は、魔法陣から溢れるおぞましいほどの魔力を前に、アイザックと予言の神アルヴィラリアしか、彼女の側まで行く事ができなかった。
他にいたウィリアム達上位精霊ですら、シトラの側に行く事が出来なかったのに、アイザックは簡単に側に行った。……そう、彼はもう精霊ではない。俺の目の前で、愛おしげにシトラを見ているアイザックを見て、俺は大きくため息を吐いた。
「まさか、お前が新たな予言の神になるなんてな」
「………何が言いたいんだ」
「いや、お前も散々な人生を歩んでいるなと思って」
予言の神アルヴィラリアは、最初からシトラを世界の生贄にするつもりはなかった。
470年前、シトラの運命を知ったアルヴィラリアは、自分がその立場へ成り代わろうと計画した。自分の神の立場を譲渡する為に、聖女の墓に毎日訪れるアイザックに力を少しずつ分け与え上位精霊にし、いざシトラが予言の通りに魔術を唱えた時、自分が対価となるつもりだったそうだ。神の立場を譲渡したとしても「神の器」の自分であれば、呪いの解放の対価として十分成り立つ。自分の愛する存在を守る為にずっと、水面下で準備をしていたのだ。
……が、その計画はあっけなく失敗に終わった。ゼウスと仲良く戯れあっているシトラを、元予言の神アルヴィラリアは膨れた表情で見ている。金髪金目の美しい女性は、何故かハリソン家のメイド服を着ている。元々クロエとしてハリソン家のメイドだった彼女は、大層この服を気に入っているそうだ。
「予言ではお嬢様が、魔術を唱える所までしか見る事が出来なかったですけど……まさか、こうなるとは思わないじゃないですか」
膨れながら告げる言葉に、シトラは申し訳なさそうに頬を掻く。
「いやーまさか、アルヴィラリア様とアイザックがそんな計画を立てていたとは……でも死ななくてよかったじゃないですか!」
「良くありません!!神の資格は元に戻す事が出来ないんですよ!?私これからどう生きて行けばいいんですか!無職ですよ無職!!」
「じゃあまたクロエとして、ハリソン家に戻ってきてくださいよぉ〜」
「急に姿を消してやめたんですよ!?また再雇用される訳ないじゃないですか!!」
「え〜〜!私もお父様の説得協力するからぁ〜〜!!」
かつて加護を与えた神と、加護を与えられた女性が、まさかこんな言い合いをする様になるとは。側で聞いていたアイザックと俺は堪えきれずに吹き出してしまった。
そんな俺達に気づいた二人は、同じ位に頬を膨らませて睨んでくるので、次は声を出して笑ってしまう。
そのままシトラが俺に何かを言いかけようとした時、控え室のドアがノックされる。ドアが開くと琥珀色の催事用の軍服を着たルーベンがおり、中にいる俺達、というかシトラに柔らかく微笑んだ。
「やっぱりシトラは、琥珀色が似合うね」
そう微笑みながら言うルーベンに、シトラは照れているのか頬を赤くして笑った。ゼウスも、そんな彼女を真似するように手をモジモジとさせている。………琥珀色「が」と言う所が気に入らない。アイザックも同じ様でやや不機嫌そうにルーベンを見ている。それに気づいた彼は、困ったように笑った。
「父上が待っている。皆会場へ行こう」
◆◆◆
私の最高傑作の魔法制御装置を、シトラ様はいとも簡単に壊してしまった。そのショックを今でも引きずっている私は、新たなゲドナ王誕生を祝う舞踏会の隅で、不貞腐れながらワインを飲んでいた。胸に釣られて下心が見え見えの貴人や、上層部の軍人がダンスに誘ってくるが、全部無視している。
可笑しいと思っていた。死んだ聖女の墓が、500年経っても体調不良が出る程の魔力を溢れされているのも、下級から500年で上級精霊になっている王弟も。まさか全てが予言の神の計画の内だったのには驚いたが。そしてその神の計画も台無しにしてしまうシトラ様にも。
舞踏会の中央で、ヤンデレ精霊トリオとイザーク殿下、リアム様やリリアーナ様に睨まれているのを無視して、新たなゲドナ王となったルーベン様がシトラ様と仲睦まじく話している。やけにシトラ様に触るし、耳元で色っぽく何かを囁いているし。彼女は一体何人ホイホイさせれば気が済むんだ。
「おーおー、あそこだけ火花散ってんなぁ」
「本当にそうですよねぇ〜シトラ様本当にホイホイ垂らし込みす……………えっ?」
急に横から聞こえた声に返事をしていたが、その声に聞き覚えがあるので、思わずワインを落としそうになる。それに慌てていると、その声を出した男が笑い声を上げた。
10代後半、私よりも年下の見た目の、銀髪碧眼の青年。古いが手入れのされている黒いローブを纏い、私に優しく微笑んでいる。周りも私も、身なりを綺麗に整えているが、この青年はそんな事をしなくても神々しい美しさで、周りの貴婦人達が頬を赤くしながら青年を見つめている。
………私は、そんな青年に顔を引き攣らせて、恐る恐る口を開いた。
「…………ク、クソ親父………」
「よぉ、150年ぶりか?」
目の前の青年は私の父親、時を司る神ランドールだ。大好きなママに触れる事が出来て、毎日目の前でイチャイチャ見せつけてきたクソ親父。ママとはよく連絡を取っていたが、このクソ親父とは私が魔法魔術の旅に出てから一切取っていなかった。私の引き攣った表情に親父はため息を吐いた。
「可愛い子は旅をさせろって言うがな。母さんとは連絡取ってんのに、俺にはないって酷ぇ娘だな?」
「うるさいなぁ何の用よ!?私はママに触れる方法見つかるまで、まだ家に帰らないから!!」
そう怒鳴る私に、親父は壁にもたれ、腕組みをしながら再びため息を吐いた。そんな腹立つ姿ですら周りは恍惚としたため息を吐くものだから、そんな周りにこの男は、娘の目の前で妻の尻を掴む変態男だぞと叫んでやりたい。大好きなママに迷惑がかかるからそんな事はしないが。
産まれた時、生命がママから離れたと同時に、私はママに触れる事が出来なくなった。小さい頃は自分が死ねば大好きなママに触れるのだと、自分を傷つけては親父に怒られていた。触りたくても触れられない娘の前で、ママに触りイチャつくお前に言われたくないと反抗していた。
……けれど、ある夜私の部屋に来たママが、声を押し殺して泣きながら私に謝っているのを聞いて。……自分の行動がママを傷つけている事に、ようやく気づいたのだ。
私が自分を傷つけず死なず、それでも死の神であるママに触れられる方法。それは魔法や魔術であればもしかしたら可能かもしれない。だから私はその方法を探すために家を出て旅に出た。
そして5年前、私はかつて聖女が建国したハリエド国へ訪れた。その時に既に大司教だったイザーク王子殿下に誘われ、私は教会の職員として働きながら研究を続けている。給料も良いし、何より蘇生された英雄、聖女シルトラリアを調べる事が出来る今の環境は最高だ。
「まーお前が家に居ないのは寂しいが。今の好きなだけ母さんを抱ける環境、最高だからまだ帰ってこなくていいぜ?」
「くたばれクソ親父!!!」
「神は死なねぇよ」
目の前のクソ親父をぶん殴りたい衝動を抑えていると、親父はそれを無視して中央にいるシトラ様を見ていた。……その表情が、あまりにも穏やかなものだから、まさか親父もシトラ様にホイホイされたのかと、冷や汗をかいていると横目で見られた。
「今回お前じゃなくて、あの聖女王に用があったんだよ」
「シトラ様に?………なんで?」
「……まぁ、500年前助けてやれなかったからな。罪滅ぼしだ」
500年前とは、シトラ様がアイザックに殺された時の事だろうか?親父も母もシトラ様をやけに気に入っていたし、まさかシトラ様と知り合いなのだろうか?……そういえば、この異常愛者な親父がママから離れるなどあり得ない。まさかママがここにいるのか!?久しぶりに会えるかもしれない嬉しさに顔を綻ばせながら、親父に弾んだ声で問いかける。
「ねぇ!ママここにいるの!?」
「あいつは今、家から出れない様にしてる」
「監禁してるの!!??」
何してんだこのクソ親父は!?だが奴は仏頂面の表情で私を見た。
「あいつと猫野郎を離すためだ」
吐き捨てる様に告げられた言葉で、ママと生前仲の良かったサヴィリエ国の獣人が、死んでからママに魔物にしてもらい仕えていた事を思い出した。小さい頃はよく遊び相手になってくれた、茶褐色の猫の獣人。………そう言えば、今回私達を見張っていた獣人も、猫だった。……私は、苦笑いをしながら親父を見た。
「………まさか」
「あいつが猫野郎を使ってまで、聖女王を見守っていたのには驚いたけどな」
「で、でもママに仕えてた猫の獣人って、結構若かった気が……」
「俺が見てない隙に、あいつの頬に口吸いしてたから老けさせた」
うわぁ、神の癖に器が小さすぎる。自ら永遠に生きる魔物になってまで、ママの側にいようとしているのだから、ほっぺにキス位許してやればいいものを。
わずらわしく髪を掻き出す親父だったが、一度震え手を止めた。そのまま更に不機嫌そうな表情をしたと思えば、もう何度目かわからないため息を吐く。
「……アメリア、たまには家に帰って来い。母さん心配してるぞ」
一方的に告げたと思えば、移動魔法を使ったのか姿を消した。
私は親父が消えた場所を見ながら、既に温くなったワインを揺らし不貞腐れる。
「……まだ帰ってこなくていいって、言ってたじゃん」
そのまま温いワインを飲み干していると、後ろから違う誰かの足音が聞こえる。飲み干した後にその方向を見ると、そこには顔を真っ赤にした新国王の使者、確かグレイソン、と呼ばれていた青年がいた。
「あっ、あの……ア、アメリアさん……えっと………」
「……………」
おそらくダンスに誘いたいのだろう。まだ魅了の魔法が抜けないのかこの男。かけた時には怒りしかなかったが、何だかもう可哀想になってきた。私は深呼吸をしてワイングラスを近くのテーブルに置き、グレイソン前で手を差し出す。
「いいですよ。丁度イライラしていたんです、とことん付き合ってください」
「えっ!?」
そのまま私は、混乱しているグレイソンを引っ張りながらダンスホールへ歩き出した。




