魔女の称号
そうと決まれば、さっそく行動だ。
押し入れの奥から、ぼろぼろの麻袋を引っ張り出す。初めて日本に修行に来た時に、荷物を入れていたものだ。
懐かしさを感じる一方、虐げられていた時代を思い出して、仄暗い気持ちにもなる。あまり見たいアイテムではなかった。
「修行に関する資料が入っていたと思うのよね……」
「なにか手伝おうか?」
窓際から押し入れの前まで、真珠の長い足だと二歩である。
「ううん、大丈夫。ありがとう真珠」
「そう」
彼はわたしの隣に座り、作業を眺め始めた。
かびた匂いのする麻袋をのぞき込み、底に入っている羊皮紙の束をすべて取り出す。埃っぽいそれらを畳の上に広げて、目的の資料を探すべく目を走らせる。
「――あ、これだ。`修行に関する注意点と、その後の進路に関するデータ′」
日本に修行に行くと決まったあと、修行協会から大量にもらった資料のうちの一つだ。
「`修行を無事に終えて帰国すると『魔女』の称号が授与されます。これをもって、あなたは一人前とみなされます。修行を終えた者のうち、八割が国内に定住し、魔女として活躍しています。残りの二割は、魔女の称号を得たのち、国外に定住することを選んでいます。修行をおこなった国を気に入って定住する例が多いようです。多いものから順に、エルフ共和国、精霊公国――′」
たくさんの国名が並んでいるが、日本という文字がなかなか出てこない。根気強く目線を往復させると、結局最後に記載されていた。
「日本は人気がないのかしら」
すごく住みやすいと思うけれど――。でも、魔力のない世界で修行しようという発想には、なかなかならないというのも分かる。わたしに最初から魔力があったなら、きっと選んでいないと思うし。
そしてふと、思い出す。
「――というか、日本での修行自体がわたしで二人目だから、当たり前ね。それで、一人目の魔女は定住を選んだのね。そう考えると定着率百パーセントだから、すごいことじゃない!」
「変わり者の魔女もいたもんだねえ」
「変わり者……そうねえ。まあ、その方のおかげで魚心亭ができたわけだから。わたしとしては、すごくありがたいわ」
魔女の修行先各国には、大なり小なり、何かあったときのための施設が設置されている。人間界の言葉で表すと、大使館のようなものだろうか。
そこに住んでもいいし、一人で好きなように暮らすこともできる。施設は魔女が運営していることもあれば、魚心亭のように、ソルシエールと提携した現地民がやっていることもある。
「それでと。`注意点′。次の事項に該当する場合は、いかなる事情があっても、修行は未達成となります。『魔女』の称号も与えられませんのでご注意ください」
「一、みだりに魔法を行使し、修行国に混乱をもたらした場合。二、悪意を持って、修行国の国民を害した場合。ここには永続的に続く呪い等も含まれます。三、自ら修行の放棄を申し出た場合」
「真珠っ」
手元の羊皮紙をのぞき込む真珠。耳元のピアスが涼しげに揺れている。
「これを読む限りはさ。このまま修行を終えて、魔女の称号をもらって、日本に定住するっていうのがよさそうだね? 急ぐなら修行の放棄っていうのもできるみたいだけど」
「うーん。魔女の称号はあったほうがいいのかしら……?」
祖国とトラブルを起こすことなく日本に定住できればそれでいいと思ってる。ここ日本は魔法が無いし、魔女の称号はあってもなくてもいい気がするけれど、どうなんだろう。
確かそれについて記載された書類もあったはずだ。羊皮紙の山から探し出す。
「これね。えーと。`『魔女』の称号は、身分の証明でもあり、同時に職業でもあります。『魔女』でなければ立ち入れない場所や、使用を許可されない術式があります。特別の事情が無い限り、称号を得ることを強く勧めます´――ですって」
「取っておいた方がよさそうだね。一応」
「そうねえ。日本にいる限り、あまり関係はなさそうだけど。放棄すると二度と取れないようだし、取っておきましょうか」
目を通した資料は、また確認したくなるかもしれないので、取っておく。関係のないものは麻袋に戻し、押し入れのもとの場所へと収納する。
畳の上に散らばった埃やゴミを手で集めて、ゴミ箱に移動する。
「アンジュ様。日本に残って、将来どうするかは決まっているの? 高校を卒業したあと」
空中に漂う小さな埃をつまみながら真珠は言った。
「……実はね。興味のある仕事があって」
「えっ。そうなんだ! いったいなに?」
夢のまた夢、というレベルで、淡く胸に抱いていた職業。真珠は笑ったりしないだろうと思う一方、わたしなんかが口にしていいのだろうかと思いつつ、その名を口にする。




