そのさらに上。それがわたし
果たして今は何時になっただろうか。
満月に照らされた静かな水面の上を、風を切って飛行する。海は広く、限りがない。同じ風景が続いているけれど、わたしの胸は高揚感に包まれていた。
夜空を旅しながら、真珠はいろいろなことを教えてくれた。
祝福の石とは、確かにその子の加護であること。大なり小なりその石には特性があって、持ち主の魔力の質に応じて適応していくこと。真珠のように宝石ともなれば、陰ながらその子をサポートするような能力を発揮するのだという。
そして、なぜ彼はネックレスから青年の姿になったのか。本当のところは真珠にも分からないらしいのだけれど、彼の推測によると『真珠』というのはもともと海から採れる宝石だからではないか、とのことだった。つまり、母なる海に投げ捨てられたことで、宝石の能力が爆発的に開花したのだろうと。
それにしたって、祝福の石が変身するなんて聞いたことがない。どの石もそういうことができるのかと尋ねれば、それは無理だろうとはっきりとした言葉が返ってきた。
「まず、宝石じゃないとだめだね。ただの石ころだと厳しいと思う。そのうえで、僕みたいに母なる場所に包まれて能力を数段階上げなきゃいけないでしょ。まあ、仮にここまでいけた運のいい宝石がいたとしても、その次が無理な理由なんだ」
そう言って、真珠は楽しげに続ける。
「アンジュ様はソルシエールで一番の魔力を持っている。主人の力は石の力でもあるんだよ。そんなお方を主人に持てる幸運な宝石なんて、一つしかないでしょ?」
「……わたしが一番の魔力? それは間違いよ、真珠。わたしは通常の魔女の千分の一しか魔力がないもの。一番魔力がない、って言うのが正しいわ」
五歳の時、教会で魔力測定を行った時にそう言われた。驚いた両親に促されて神官様は何回か測定していたけれど、結局測定値が変わることはなかったのだ。
「それは――僕がアンジュ様の魔力を吸っているからだね。吸う前は、千分の一どころか、通常の魔女の千倍以上だよ」
「ええっ!?」
勢いよく真珠のほうを振り返り、彼の顔を凝視する。
自分の耳を疑った。わたしに魔力がほとんどないのは、真珠が吸っていたからですって……!? ずっと生まれつきだと思っていたけれど、そうではなかったの……?
確かに祝福の石は肌身離さず身に着けているから、そういう能力があるのなら吸えるのかもしれない。でも、なぜそんなことをしたのだろう。
わたしの疑問が顔に出ていたのか、真珠が答えをくれる。
「アンジュ様は魔力が高すぎるから、吸わないと生後間もなくで死んでいたんだ。だから僕は一生懸命魔力を僕自身の中にため込んで、アンジュ様の命を守ってるってわけ。あ、これが僕の能力だよ。魔力を吸って、溜め込むってやつがね」
「魔力が、高すぎる?」
「そう。『魔力過多』って言葉なら聞いたことあるでしょ。高すぎる魔力を持つ魔女は病弱だっていうことね。アンジュ様はそれのもっとひどいやつ。生きていられないレベルだよ」
『魔力過多』。それは彼の言う通り、長らく幽閉されていたわたしでも聞いたことのある言葉だった。たまたま近所に一人、そういう魔女がいたからだ。
高い魔力を肉体に留めておくために心身が消耗され、そういう魔女はもれなく病弱だという。自身の工房に引きこもって細々とポーションを作るとか、洞窟の奥で仙人のような暮らしをしているらしい。
そのさらに上。それがわたし。生きていることすらままならないほどに。
――全身を稲妻に打たれたかのような衝撃を覚えた。
なにせこの十二年間、自分には魔力が無いと思って生きてきた。魔力がないから家族から愛されなくなり、虐げられてきた。それをいまさら「実は豊富に魔力がありました」と分かっても、正直困惑しかない。
いや、ここは命を守ってくれた彼にお礼を言うべきなんだけど。そう分かっていても、頭の中が整理しきれない。
「ごめんね、混乱してる?」
真珠が、そっとわたしの背中をなでる。
「……うん。とっても」
思ったより低い声が出た自分に驚く。
「ごめんね。お礼を言うべきだとは分かっているの。でも、ちょっとまだ理解が追い付かなくて」
「いいよ。アンジュ様。ちなみに、僕と離れた二週間くらいの間すごく具合悪かったでしょ? あれは魔力がアンジュ様の身体を蝕んでいたからだよ」
「た、確かにそうね……。ずっと寝込んでいたわ。それは、真珠が魔力を吸えなかったからということ?」
「そう。でも今は平気でしょ?」
「……ええ。あなたの言う通り、だわ」
健康だけが取り柄のわたしが、二週間も寝込んでいた。それはちょうどネックレスが無かった期間と重なる。こうして真珠と再会してからは、驚くほど体が軽い。体調は元通りと言って差し支えないぐらいだ。
彼の言葉には矛盾がなく、つじつまが合っていた。彼が嘘つきでないことは、これまでのやりとりでよく分かっている。だからきっと、そういうことなんだろう。
――そう思っているけれど、なかなか頭の中と感情を一致させることは難しい。眉間に力が入る。
「アンジュ様は今日一日でいろんなことが起こりすぎているからね、すぐに全てを理解する必要はないよ。だって、これから時間はたくさんあるんだから」
「ありがとう。本当に、わたし、まだ夢の中にいるんじゃないかと思うくらいよ」
「ああ、あんな辛い夢はもうこりごりだ。とにかく、難しい話はこれで一旦おしまいにしよう! 今日は記念すべき初飛行の日なんだから!」
そう言うと、彼はぐっと高度を上げた。びゅんびゅんと顔に当たる風に目を細める。
あれよという間に雲を抜け、海は見えなくなった。
「――わあ、星がこんなに近くに見えるなんて。すごく綺麗ね!」
視界いっぱいに広がる、光の粒たち。まるで闇夜にばらまかれた宝石のようで、自室の窓から見上げるそれとは比べ物にならないほどの迫力でまたたいている。手を伸ばせば掴めそうで、思わず右手を差し出してしまう。
「僕のご主人様のほうが美しいけどね」
後ろでふふんと鼻を鳴らす真珠。どうやら、わたしの祝福の石は冗談が好きらしい。
「……わたし、今すごく楽しいわ」
思わず口をついて出た言葉。それは嘘偽りなく、心から感じたことだった。初めて魔女らしいことができて、自分という存在が、世界に認められたような感覚だった。
わたしと真珠はそのまま飛行を続け、夜明けとともに魚心亭へと戻ったのだった。




