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ぷれしす  作者: みずきなな
十月
59/173

059 安泰からの窮地

 俺は下駄箱でめずらしく真理子ちゃんに出会った。

 真理子ちゃんはもう靴を履き終え、右手に鞄を持って外へ出ようとしている所だった。

 これから家に帰るのか?

 そんな事を考えていると真理子ちゃんがこちらを振り向いていた。そして、俺に気が付いて笑顔で声をかけてきた。


「綾香じゃないの。今から帰るの?」

「あ、うん」

「そっか、私も今から帰る所なんだけど」


 真理子ちゃんがこんな時間に帰るなんて珍しかった。

 真理子ちゃんは生徒会の手伝いもあるから、いつもはもう少し遅い時間に帰っているはずだ。なのに今日はもう帰ろうとしている。


「珍しいね、こんな時間に真理子ちゃんが帰ってるとか」

「うん。今日は生徒会の手伝いが無かったの。ねぇ、久々に一緒に帰ろうよ」


 真理子ちゃんはそう言って俺に微笑みかけてくれた。

 いつも教室でクラス委員長をやっている真理子ちゃんは真面目な顔ばかりだ。

 こんなに満面の笑みを見たのは綾香になって始めかもしれない。


「うん、いいよ」


 俺は真理子ちゃんの誘いを喜んで受けた。

 実は真理子ちゃんと帰るのは初めてだったりする。

 仲良し三人組の佳奈ちゃん、真理子ちゃん、茜ちゃんで一番に家が近いのは真理子ちゃんなんだけど、一緒に帰った事はなかった。

 それほど真理子ちゃんは忙しい子なんだ。


「じゃあ帰ろうか!」

「うん!」


 俺は真理子ちゃんと一緒に田んぼ道を自転車を押しながら家へと向かった。

 初めて真理子ちゃんと二人でゆっくりと話をしながら帰る。

 真理子ちゃんと会話をしていて、俺は昔の真理子ちゃんを思いだした。

 そうだ、普段は真面目だけど、真理子ちゃんは本当は砕けた感じで話ができる子だったんだ。

 家ではパソコンをしているらしく、容姿に似合わずにアニメや漫画の話なんかも出来る。

 俺は少女コミックはあまり読まないので話ができないが、多少はアニメは見ていたので会話ができた。


 ちなみに、俺は真理子ちゃんの兄貴の貴裕と昔から仲が良かったせいもあって、かなり小さい頃から真理子ちゃんを知っている。

 真理子ちゃんは綾香とも仲良しで、俺にとっても妹のような存在だ。

 だからだろうか? この子は可愛くって綺麗な子なのに恋愛感情が沸かなかったのかもしれない。

 もし中学生くらいに初めてであっていたら、俺の中で真理子ちゃんに対する感情も変わっていたのかもしれない。

 もしかすると好きになった相手も茜ちゃんではなくって、真理子ちゃんになってたかもしれない。

 でも俺には勿体ないくらいに良い子だし、たぶん俺が彼氏とか貴裕が許さないだろう。


「綾香?」

「えっ?」

「私の顔をじっと見て」

「あ、ごめん、考え事してた」


 やばい! 無意識にじっと見過ぎてた。そして俺は何を考えているんだ! お前の本命は茜ちゃんだろが? ほかの女の子の事を考えるとか、この浮気もの!

 だけど、別に茜ちゃんと付き合ってる訳でもないから、そこまで自分を責める義務もないんだけどな。

 だがまぁ、所詮は男なんてそんなもんだよな。


「本当にどうしたのよ綾香? 最近教室でもぼーとしてるよね」

「そ、そうかな?」

「うん。悩みがあるなら私に相談してよね」

「ありがとう。でも本当になんでもないから」

「そうなの? それならいいんだけど」


 本当に心配してくれてありがとう。君は良い子だよ。


 ☆★☆


「じゃあ、またね!」

「うん!」


 家の近くまで来て、俺は真理子ちゃんに挨拶をすると別れた。

 俺は家に入り自分の部屋に戻ると、先ほど真理子ちゃんに聞いたある事が気になった。

 それは、明後日の日曜日に空手の大会があって大二郎が出場するらしいという事だ。

 俺は大二郎と約束がある。

 正確には俺が約束をした訳じゃない。しかし、それでも茜ちゃんが俺の為を想ってこそ交わした約束だ。

 約束の内容は、大二郎がこの地区大会に優勝したら俺とデートをするという事だ。

 大二郎は今まではまともに練習なんてしていなかった。そして、地区大会での優勝経験などもまったくない。よくてもベスト4だ。

 そんな大二郎が三年の最後の大会で優勝できるなんて奇跡に近い。


 俺はブレザーをクローゼットに仕舞うと、ベットの上で横になった。そして、真っ白な壁紙の張ってある天井を見つめた。


 何だろうか、胸の中がもやもやする。

 俺は大二郎の事なんてどうでもいいはずだ。

 でも、あんなに毎日練習をがんばっている大二郎の姿を見ると、大会でもがんばってほしいという気もちが沸いてくる。

 優勝はして欲しくないのに、優勝できればいいななんて矛盾を感じている。


 そうだ、今、一部の三年生の間では俺が正雄と付き合っている事になっているらしい。これは真理子ちゃんから聞いた訳じゃない。正雄が教えてくれたんだ。

 正雄は否定をしてくれているらしいが、本人の言う事なんて聞いてくれるはずもなく、例の馬鹿三人組が言いふらしているのだろう。

 そんな噂の中でも大二郎は練習をがんばっているんだ。


 きっと大二郎は正雄にあれは噂だ、本当じゃないと聞いたはずだが、それでも不安はないはずがない。

 だけど、大二郎は俺に正雄との関係を聞いてくる訳でもなく、ただ俺には普通に接してくれている。

 でも、相変わらずフルネームで呼ぶのは簡便してほしい。


 ベットの上に転がったピンクのウサギのぬいぐるみを、俺はぎゅっと抱きしめた。

 ああ、何だろうこの胸の痛みは……。俺は悪い事はしてないのに。

 早く大二郎の大会が終わって、正雄との噂も消えてしまえばいいのに……。

 綾香も戻ってきて、俺も元に戻れればいいのに……。


「綾ちゃん、いるの? お母さんちょっと外に出てくるわね」

「ひゃ!」


 突然入ってきた母さんに驚き、思わず声を上げてしまった。


「お、お母さん!?」

「あら、何で驚いてるの? ちゃんとノックして綾ちゃんもちゃんと返事してくれたでしょ?」

「えっ?」


 俺って無意識に返事をしていたのかよ……。


「あ、えっと……ごめんなさい。ちょっと考えごとをしてて」

「ぬいぐるみなんて抱いちゃって、何を考えていたのかしらね♪」


 母さんは笑みを浮かべて俺を見た。妙に顔が熱くなってしまう。


「な、何でもないよ!」

「あなたも女の子ですもんね♪」


 し、心外だ! 俺は男だ!


「じゃあ、お母さん行ってくるわね」

「ど、どこへ?」

「ちょっと警察まで……ね」

「け、警察?」


 心臓がドキリと大きく鼓動した。妙な汗が手のひらに浮かんだ。


「そうよ。悟の件でちょっと行ってくるだけよ」

「俺の……お兄ちゃんの事?」

「そうよ?」


 そうだ、俺は大切な事を失念していた。俺は今この時点でも、まだ行方不明のままだったんだよ。

 世間では俺の行方不明事件は何の解決もしていないんだ。だから母さんは警察に行くんだ。


「な、何をしに行くの?」

「何をって……捜索の経過を聞きに行くんだけど?」

「そ、そっか……」

「どうしたの? 綾ちゃんちょっと変よ?」


 ど、動揺してるのがわかるのか? やばい。


「う、ううん、何でもないよ。早くお兄ちゃんが見つかればいいね」

「そうね、じゃあ……行ってくるわね」

「いってらっしゃい」


 母さんは部屋を後にした。


 俺に心臓は緊張に襲われ、凄まじいテンポで鼓動している。

 手のひらだけじゃない。背中に頭に胸に全身に汗が噴出している。

 やばい、これはやばい。俺の事もどうにかしないと駄目なんだよ。どうすれば……。

 自分の震える手を見ていた時、脳裏に一人の魔法使いの姿が浮かんだ。

 それは野木だった。って、何で野木なんだよ!

 でも……。変態でいやらしいけど、実際に頼れるやつはあいつしかいない。

 あいつは魔法使いであり、この事件を理解してくれていて、かつ俺の事も絵理沙の事も知っている。

 悔しいけど……。野木はこういう件では頼りに出来る。

 くそー! よ、よし、油断しないで行けば大丈夫だ。


 俺は早速制服から私服へ着替えると家を出て学校へ向かった。

 夕闇の迫る田園の道は少しだけ冷たい風が吹いていた。

 そして、懸命に自転車を漕ぐ俺の体を冷ましてくれてた。


「早くなんとかしないと」


 いまさらすぎる焦りが出る。

 もっと早く気がつくべきだった。余裕はいっぱいあったはずなのに、俺は普通に綾香として学園生活を送り、そして悟の存在を失念していた。


「野木はいるかな」


 そんな不安が頭をよぎる。

 もしも居なければ、学校へ行っても無駄になる。

 でも、信じるしかない。行ってみるしかない。


「あれ? 綾香じゃん!」


 急に声を掛けられた。って、目の前には誰もいなんだけど?


「どこ見てるのよ~! 綾香は声の出所も察知できないの?」


 自転車を駐めて後ろを振り返ると、そこには制服姿の佳奈ちゃんの姿があった。


「綾香ぁ、どこいくの~?」

「が、学校に行くの」

「学校? 何しにいくの? 遊びに?」

「いや、ちょっと用事があって……」


 って、何でここに佳奈ちゃんがいるんだ? 佳奈ちゃんの家は学校の向こうじゃないか。


「用事? 遊びじゃないとしたら……。ま、、まさかデート!?」

「ど、どうしてそうなるのよ!?」

「あ~動揺したな? やっぱりデートなんだね!」

「ま、待ってよ! 学校でデートする人がどこにいるのよ!」

「そこ」


 佳奈ちゃんは俺を指差して大きな声を出して笑った。そして、笑いすぎたのか、お腹をかかえて涙を流している。


「か、佳奈ちゃん……笑いすぎだよ!」

「ひぃひぃ……だってぇ……最近の……綾香って……楽しんだもん!」


 俺は楽しくない!


「じゃ、私はいくからね!」

「えっ? ちょ、ちょっと待ってよ! 綾香、おこんないでよ~」

「別に怒ってない!」

「そうなの? 本当に? じゃあ、学校の近くまで一緒にいこうよ」


 どうしてこうなる? でも断るのもおかしいか。


「まぁ……わかったよ」

「じゃあ、行こう! あの地平線の蒲田へ!」

「佳奈ちゃん、それを言うなら地平線の彼方へでしょ? 蒲田は神奈川県だし……」

「ぶぶー! 東京都です!」

「うぐっ……そうだった……」

「うっしゃー! 綾香に勝ったわ!」

「ま、負けたの? これ?」


 俺は佳奈ちゃんに翻弄されつつも一緒に学校の正門まで行った。

 途中で聞いてもいないのに、蒲田行進曲が好きだとか、好きな歌手の情報とか、いろいろな事を聞かされた。

 しかし、まぁ、佳奈ちゃんだから仕方ない。これが佳奈ちゃんだ。

 そして、俺の激しい緊張は気がつかないうちに解されていた。

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