151.5 彼女たちの決断
少し遡る。これは姫宮悟の知らない魔法使いたちでの視点です。
【特別実験室】
野木絵理沙は目の前で意識を失っている姫宮綾香の姿をした姫宮悟をじっと見ていた。
先程まで出ていた月はすっぽりと雲に隠れ、月明かりが消えた漆黒の闇に包まれる学校の周囲。
しかし、特別実験室は光源が無いにも関わらずおぼろげに光を帯びていた。
「悟……ごめんね。でもこれしか方法がないの」
絵理沙は意識のない相手に向かって頭を下げる。
そしてゆっくりとじゃがむと、悟の頬をそっと撫でた。
「許してくれるよね?」
しばらくして教室に二人の人影が入ってきた。
二人とは羽生和実と野木一郎(輝星花)である。
「学校の周囲に結界を張ってきたよ」
「うん、ありがとう」
「でも絵理沙、本気でやる気なの?」
和実は眉間にシワを寄せて絵理沙を、そして倒れている悟を見た。
「うん、やるよ」
「だけど、別に方法ってないの? 今から絵理沙がやろうとしている事ってすごい危険なんだよ? 解ってるのかな?」
「わかってる。だけど大丈夫だよ。絶対に成功するから」
「その自信はどこからくるの?」
「どこ? わからないけど、失敗するなんて思えないから」
「……まぁいいけど」
「絵理沙」
和実が小さくため息をつく。少し離れた場所にいる輝星花は、倒れた悟をじっと見ながら絵理沙を呼んだ。
「なに?」
絵理沙は輝星花の方を振り返る事なく答える。
「自信があるのはいい。だが、もしもそれでも魔法を失敗したとしたらどうするんだ? 悟くんは男には戻れなくなるんだぞ?」
「……そうしたら仕方ないよね。うん、仕方ないよ」
「仕方ない? 絵理沙は仕方ないで済まされると思っているのか?」
「……思っていないけど」
「じゃあどうするんだ? 失敗した時の事を考えて行動した方がいいんじゃないのか?」
ここで絵理沙はやっと輝星花の方を振り向いた。
表情を重くして無言でにらみ合う二人。
そんな二人を横で和実がじっと見る。
二人は言葉を交わさない。ただじっと見合うだけ。
そして時間はどんどん過ぎてゆく。
十分が経過したところでやっと絵理沙が口を開いた。
「もし、もしも私が失敗したら……お姉ちゃん、悟をよろしくお願いします」
そして絵理沙は深く頭を下げた。
そんな絵理沙を輝星花はじっと見る。何を言い返すでもなく。
「お姉ちゃんは怒るかもしれない。だけどね? 悟には申し訳ないけれど今の私にはタイムリープの魔法でしか悟を元に戻す方法が考えられないの」
輝星花はやはり何も言わない。
「だから私はやるよ。もう決めたから」
輝星花はやっぱり何も言わないが、それを見ていた和実が割ってはいってきた。
「絵理沙、やっぱりやめとかない? 別にDNAレベルで元に戻らなくてもさ、容姿だけでも戻ればいいじゃないのかな? そこまで無理する必要ないでしょ?」
和実はここにきて絵理沙を説得し始めた。
心の中ではリスクの高い方法に賛成できていなかったのだ。
「ダメ。それじゃダメ。だって私は約束してる。悟を元の男の姿に戻すって」
「でもさ、タイムリープをしても世界のルートを変えるって本当に出来るの? タイムリープ自体の成功事例もないし、そんなの出切るかわからない事じゃん。わかんない事をやってみて輝星花の言うように失敗したら、結局は約束なんて果たせないんだよ?」
「確かにそうかもしれない。でも、何度も言うけど私にはDNAレベルでの再構築魔法はもう使えない。だからやるよ。やってみる。ううん、やらなきゃいけないんだよ」
ここでやっと輝星花が口を開いた。
「絵理沙は自分の事しか考えていないんだな。自分が悪い。だから失敗しても自分のせいだ。悟くんや僕たちに迷惑なんてかからない。だからいい。そんなおかしな事を考えてるだけだろ」
絵理沙の表情がかわった。額に玉のような汗が滲む。
「だけど、僕は引き止めない。絵理沙が魔法に失敗しても成功しても。絵理沙がやりたいようにすればいい。やりたいならやればいい」
「輝星花……」
絵理沙は辛そうな表情で輝星花を見た。
「でも覚えておいてくれ。絵理沙が失敗してこの世からその存在が消えた時、周囲の全員が悲しむという事をね」
「わ、わかってる。わかってるよ」
「本当に? 僕にはまったくわかってるように見えない。自己満足しただけにしか見えない。自己犠牲で自分を正当化したいだけにしか見えない」
「輝星花! そんな言い方ってっ「いいからっ!」」
「でも……あまりに酷いよ……」
「いいの。だって間違ってないから。お姉ちゃんの言うとおりだから」
「絵理沙……」
「お姉ちゃん……ごめんね。それでも私は決めた」
輝星花は悟を見ながら腕を組んでいた。
絵理沙の方を向かずに、しかし耳はしっかりと傾けていた。
輝星花は絵理沙のやろうとしている事、タイムリープには反対だった。
リスクの高い、失敗する可能性のある魔法なんて推奨しない。
しかし、それであっても。
「お姉ちゃん、私ね? 悟が好きなの。だから私は悟のために何かしたい。どうせ魔法世界に戻っても私の未来はない。ここまで脱走してきて、つかまればもう何もできない。だからさ、無茶でもやらせて欲しい」
輝星花も絵理沙と同じく悟に好意を持っていた。
だからこそ絵理沙が悟に尽くしたいという気持ちは理解できた。
そして、魔法世界でのこれからの絵理沙の未来も想像がついた。
「でも、それでもやっぱり無茶だって! やめとこうよ? あれだよ、何かのきっかけで魔法がもういっかい使えるようになるかもだし、脱走なら私がもう一度手伝うし!」
和実はそれでも再び絵理沙を説得する。
「和実、それはない。絵理沙が再びあの魔法を使える事はない。だいたいあの魔法は偶然の産物なんだ。絵理沙自身が魔法の術式を書いた訳ではない。そして、僕の魔法力を吸収した絵理沙が再生魔法の術式の試唱をしてみようとしたらまったくできなかった。何が原因かは特定できないが完全にあの魔法が絵理沙の内部から消えてしまった」
「で、でもさ! 絶対ってこの世にはないでしょ! 輝星花はいいの? 本当にいいの? 絵理沙がどうなってもいいの?」
「よくない! だけど、うん、絵理沙がやりたいようにやればいい。奇跡はおこらないんだから」
「違う! 奇跡がおこる可能性だってあるでしょ! この世界はすべてが奇跡の連続なんだから!」
和実は必死に輝星花に食い下がるが、輝星花は冷静に答えた。
「僕の持論ではね、奇跡はおこるものじゃない。起こすものなんだよ。でも、今の絵理沙にその望みはない。あのDNAレベルの再生魔法の術式をまったく記憶していないんだ。よって奇跡は起こらない」
きっぱりと言い切られて和実は言葉を無くした。
「和実、ありがとう、心配してくれて。でも大丈夫だよ? きっと私なら大丈夫。あと、もしもの時はもしもの時だよ。それによって今のこの世界が変わる事はないんだから」
「絵理沙……」
「私、悟に振られてるしね!」
笑顔の絵理沙に和実の心が痛む。
「絵理沙……」
「お姉ちゃん、後は宜しくね? でさ、もしも魔法が成功したら、時限魔法で二人のこの世界での記憶を思い出せるようにしておくからさ」
「……」
「だから、このペンダントとこの指輪に記憶させてもらっていいかな? この一年の想いでを」
☆★☆
特別実験室に張り巡らされた魔法の護符が光を帯びる。
魔法の成功率を上げるために教室中に張られた護符。
「じゃあ、いくね」
絵理沙が両手を胸の前で組んだ。
髪が風もないのに天井に向かって靡き、絵理沙自身の周囲が光に覆われた。
輝星花と和実は無言で絵理沙を見ていた。
「お姉ちゃん、和実! またね!」
そして、絵理沙は彩北高校の教師になる前の自分に魔法でタイムリープを試みた。
★☆★
【タイムリープ】
それは自分の記憶を過去の自分へと移す超高等魔法。
タイムリープが成功すれば、過去の自分に今の自分の記憶が移る。
それにより、実際の肉体が時間を遡った訳ではないが、自分が過去に遡ったように感じるようになる。
簡単に言えば、未来の記憶がある過去の自分が誕生するのだ。
しかし、小説や映画にあるように移動した先の時代にいる自分の記憶を今の自分と置き換えるなんて簡単には出来ない。
魔法力だって抵抗力だってある過去の絵理沙。その絵理沙に未来の自分が記憶を植えつけるわけだ。
タイムリープは魔法。魔法は抵抗できる。もし抵抗されれば……。
過去の自分にタイムリープする行為がどんなに至難の業か絵理沙は理解していた。
魔法世界ではタイムリープの魔法の存在は確認されていた。
しかし、和実が話したようにタイムリープという魔法が現実に成功した事例はなく、試みたほぼすべての実験は失敗に終わっていた。
記録上、成功した事例はたった一回。
それも一日前の自分へのタイムリープだ。
しかし、その魔法使いも二度目のタイムリープを失敗した。
タイムリープに失敗すれば思考ができない人間になってしまう。
人間世界での表現では植物人間という表現が近いだろ。
何も考えられなくなったとき、人は生きた屍と化す。
とても見合わないリスクにいつしかタイムリープの魔法を試みる魔法使いはいなくなった。
確かにタイムリープが使えれば未来がわかる自分が過去に存在できる。
そうなればお金もちになったりもできるかもしれない。
だけど、練習もできない、一発勝負の成功率が一桁もない魔法を使う魔法使いはいなかった。
しかし絵理沙は試みた。
絵理沙は一応は時空系魔法で一番リスクの少ない物質時間逆行魔法で練習をした。
それを試す事によって時間系魔法の適正があるかを知る事ができる。
しかし過去へ物を送る魔法自体も超高等魔法で少ないと言ってもリスクもある。
そして、物質時間逆行魔法ですら成功した事例も数件しかないレベルだ。
そんな高等魔法を絵理沙は試みた。
絵理沙はなぜか絶対に成功する確信があった。
魔法を使うと決めた時に、とある過去の出来事を思い出したからだ。
絵理沙は魔法で自分の秘めた想いを一枚の魔法カードに託して過去へと送った。
そして、成功した。
実はこの魔法の成功はすでに約束されていたものだった。
過去に絵理沙は七月に大きな魔法事故を起こした。
一人の人間を殺してしまい、そして間違って他人として生き返らせたという大事件だ。
そう、その被害者は姫宮悟。
その時点では絵理沙は姫宮悟を恨みはしていたが、好きという感情はまったくなかった。
魔法の研修のためにやってきた世界で、とんでもない事をしてしまったと後悔には襲われていた。
事故を隠すにはどうすればいいの?
ばれないようにするにはどうすればいいの?
結局はバレてしまうのだが、そんな事ばかりを考えていた。
八月になり、結局は事故がバレてしまう。
つくづく後悔しながらシャワーを浴びていたときだった。
突然目の前に現れたのは黄色いカードだった。
どこからか転移してきたのは間違いない。
空中でくるくると回転する黄色いカード。
そして、絵理沙はそのカードに見覚えがあった。
実はそのカードは絵理沙が生成できる魔法カードだった。
魔法を貯める。メッセージを込める。絵理沙の使える多種多様に使える高等魔術のひとつだ。
なんでここに?
形成した記憶がまったくない絵理沙。そして、カードを手に取ると、それはいきなり自分の体へと入っていった。
同時に脳内で再生される未来の出来事とある人への想い。
身に覚えのない記憶が脳裏に植え付けられ、今までまったく感じた事がなかった妙な感覚が絵理沙に芽生えた。
最初は疑っていた。こんなのありえないと。
私がなんでこんな人間を?
ついこの前まで意識した事もなかった一人の人間を意識し初めていた。
中途半端な時空転移魔法による弊害。
好意という気持ちはきちんと絵理沙に植え付けられたが、その理由はまったくわからない。
そして、まさかそのカードが未来からやってきたなんて思いもよらなかった。
姫宮悟という人間をどうしてこうも意識してしまうのか。
まるで恋をしたような感覚に襲われ、胸がキュンキュン苦しくなる。
おかしい、ありえない。そんなの絶対に。
絵理沙は自分の気持ちを否定した。
そして、自らの姿を変えて夏休みに姫宮悟と接触をする。
目的は自分のおかしな感情を打ち消すため。
しかし、結果、絵理沙は変わった。
とある出来事を切欠にして、姫宮悟という一人の人間を本当に好きになってしまったのだ。
本当に淡い恋心を抱いてしまったのだ。
しかし、結果的にはその切欠になったのは一枚のカードだった。
未来の自分が送ってきたカード。
そのカードが絵理沙の元へ届かなければ、決して絵理沙は悟を好きにはならなかっただろう。
過去へとカードを転送してから急にあの夏の出来事を思い出した絵理沙。
「なるほどね」
特別実験室の中で満面の笑みを浮かべて絵理沙は笑った。
「なーんだ、私は最初から悟に恋する運命だったんだ」
絵理沙は過去へと自分の想いを送った。
過去の自分はそれを受け取り、またこの時間に過去へ想いを送るだろう。
そう、世界のルートが変化しない限りは絵理沙の行動は無限ループになるのだ。
絵理沙は姫宮悟に恋する運命だった。
「まったく、何やってんだろ……私って」
だからこそ確信した。
この無限ループから脱出すれば悟は男のままでいれるのだと。
そしてどうあっても無限に自分は悟とは一緒になれないという事を。
「私はやる。悟のためなら頑張れる」
彼女はこの時に決断をした。
「私が悟を好きになるのが運命だったのなら、きっと私が悟を救うのも運命なんだよ」
必ず悟を男に戻すと。




