しつじのかこ
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私は死を待つだけの子どもだった。
家族はおらず、そもそもそんなものの概念すらない。
なぜその年まで生きていたのかは謎だが、気がついたら汚い路地裏に転がり、同じく死を待つだけの子どもや老人、病を患った女や酒で廃人になった煩い男達といた。
ゴミを漁り、気まぐれに殴られ蹴られ、まれにいる何かいい事をした気になりたい奇特な人間に餌を与えられたりしてなんとか生きていた。
この国は良い意味でも悪い意味でも力が全てで実力社会だったから、元より力ものし上がる術もなく、またはい上がろうという気概も持たない者は淘汰される運命だった。
私は何も持っていなかった。家族も、金も、食べ物も、言葉も、名前すら、何一つ持っていなかった私に唯一あったのは、諦観、ただそれだけだ。
干からびそうに日差しが堪えたある日、男がふらりとやってきて、私の顎をつかみ、布で乱暴に顔を拭き、霞む瞳を無理矢理こじ開けられ、次に目を覚ますと、そこは路地裏ではなかった。
薄暗いそこは、窓もなく、狭くて質素だったが雨風を凌ぐ屋根があり、何より朝と夕に食べ物が貰えた。まるで天国だった。
男は私にまず読み書きを覚えさせると、教養、所作、武術、剣技、弓技、とにかく沢山のことを求めたが、その目的は語らなかった。
外に出られるのは夜だけで、たまに、外套で顔まですっぽり覆い、山に連れていかれた。そこでは狩りを覚え、毒になる植物と薬になる植物の知識を叩き込まれ、馬術を学んだ。
日々はとても忙しく、習得しなければならないことは膨大だった。
けれど、雨風に晒され、日光で干からびそうになり、常に腹を空かせて呻く毎日から逃れられるのならばなんだって良かった。
男の期待に答えられるよう必死で励んだ。
とにかく、見捨てられる訳にはいかなかったし、一度知ってしまった快適な生活を手放す気にもならなかったからだ。
男は私に自分のことを師と呼ばせた。それだけ、名前は知らない。別に知る必要もなかったし、私に名前をつけることもしなかった。
男は言わば神様のような存在で、私の世界の全て。目的は分からない。だが構わない。あの生活にもう二度と戻りたくない、それだけだった。
数年たった頃、顔を隠し連れていかれた先で一人の少年を見せられた。
サラサラの黒髪に焦げ茶色の瞳。優しげな性格が顔立ちにまで染み出ているような、柔和で邪気のない笑顔を浮かべた少年。
腐りきったゴミの味もこの世の汚さも知らないような顔で、弟らしい黒髪に栗梅色の瞳をした小さな子どもとじゃれて遊んでいる少年。
そこでようやく理解した。
ああ、私はアレの代用品か。
毎朝見せられる鏡で見る顔と、アレは他人の空似にしてはよく似ている。
だから私は運良くあの掃き溜めからすくい上げられ生かされたのだ。
ストンと、納得して、笑みが漏れた。
今まで、神様のような師に生かされた。寝所を用意し、飯と学びを与えてくれ、手ずから剣や弓を鍛え、薬草や毒の知識を授けてくれた。
上手くいくとぶっきらぼうに頭を撫で、上手くいかないと面倒くさそうにしながらも助言をくれた。
「いいか、お前はあの方の影だ。あの方の命が危険に晒される様なことがあればお前があの方の代わりをするんだ」
師は私の全てだった。家族を知らない私は、いつの間にか師を父のように兄のように感じていたのかもしれない。
諦観しか持たなかった子どもがいつの間にか随分欲張りになっていたらしい。よくもまあ、思い上がったものだ。
乾いた笑みを浮かべる私に師は「ユウロン様はそんな顔をしない。これからは一挙手一投足、ユウロン様と違えるな」と目元を鋭くした。
「あの方の代わりをする」
ああ、つまりそういうことだ。
アレが死にそうな時、代わりに死ぬ為だけに用意されたただの代用品。
その日、私は贅沢な感情を捨て、諦観を取り戻した。
それから、私の日々の業務に“ユウロン様”の観察が加わった。決して気づかれないように、彼の人となりを自分の目で確め完璧に模すよう求められた。
“ユウロン様”はこの国の第四王子で、12歳ながら最も次期王の座に近い優秀な男らしい。
文武のどちらにも長け、義に厚く、穏やかで民を思い、しかし決断力もある正に王になるべくして産まれた人だという。
しかし、人が良すぎるあまりに王道への関心が薄く、力で伸し上がるしかないこの国の中枢にあって出世欲は無く、血を見るくらいなら継承権の放棄すら口にするほど。継承権争いの脱落が危ぶまれる状況でありながら、敵は多いと師は嘆いた。
全くもって自分とは正反対の人物で笑いが出そうだ。
私は“ユウロン様”を観察し続け、やがて時には臣下の元に行き、時にはこっそりと家族の前に姿を晒した。自分の影武者としての精度を試す為であり、より細部まで例えば雰囲気や会話の速度、息の仕方、表情を作るタイミング、
そういうことを模倣するためだ。
気がつく気配もなく軽口を叩く竜騎士長を腹の中で嗤い、何事も無かったように地方視察の日程について訊ねてくる宰相を小馬鹿にし、自分の兄と勘違いしたまま擦り寄ってくる弟を軽蔑した。
「第八王子シュウ・ジェンシーの派閥がきな臭い。俺はユウロン様と共に身を隠すからお前は自分の役目を果たせ」
それは“ユウロン様”が14歳になってすぐの事だった。
「はい」
いくつかの夜を見たことも無い程豪華な部屋ですごし、いくつかめの夜の晩餐で“ユウロン様”の“両親”が血を吐いて倒れた。
いつの何に何が混ざっていたのは分からない。 毒については、散々体を張って学んだが、そのどれにも該当しない症状だった。
白目を向き、泡を吹きながら、穴という穴から血を流しがくがくと痙攣して頽れるそれらを見て咄嗟に喉奥に指をつき入れ、口をつけ始めたばかりの食事を吐き出し“弟”を見るが、幸い“弟”は、今日の剣術の授業で誰それに負けたとかなんとかでへそを曲げていて、口をつけていなかった。私も症状がないところを見るに、まだ食べていないメインかスープ。……いやワインか。14歳になった祝いにと出されたものだが、“ユウロン様”は実は薄めたぶどう酒ですらあまり好きではないらしい。公でそんな素振りは見せないが、酒に弱いのではなく酒の味が好きではないから、例え祝いの酒だろうが、家族の間では進んで飲みはしないだろうと思って口を付けずにいた事が功を奏したか…………。
蒼白な面でガタガタと体を震えさせ、激しく暴れながら“両親”の名を叫ぶ“弟”を抱え、外に出ようとしたところで背に激痛が走る。
暗闇の中、射られた事を冷静に理解し、それでも喚く“弟”におそらく“ユウロン様”なら笑みを絶やさず、安心させようとするだろうと、律儀にも“ユウロン様”らしく振る舞い、宛もなく走った私を褒めて欲しい。
それ以上の追っ手がないことと、燃えるような熱さに引き攣るような激痛、毛穴からすら吹き出る血に、恐らく“両親”が飲んだ毒と同じものだと思い至った時、気がつくと体は宙を舞っていた。
“弟”の体が投げ出され暗闇に消えていく。感じたことの無い苦痛と皮膚が焼けただれるような痛みに、私はそっと目を閉じた。
全身を衝撃と冷たい水が襲い、大河を引いて作られた堀に落ちたのだと、ようやく霞がかった思考で思う頃にはもう意識は無くなっていた。
やっとだ。
やっと終わった。死を待つだけだった私が随分粘ったものだ。
…………師は褒めてくれるだろうか。
よくやったと、役目を果たしたと…………。
「ーーー信じられないわ。人間ったらあんなに綺麗な河を汚すんだもの」
どさり、と投げ捨てられて込み上げた吐き気のままに何かを吹き出した。
その先でぼんやりとランタンの光が揺らめいている。
「おかーさん、だあれ?」
「あらあら、フェリルったら。気にしなくていいのよ。河が汚されてお魚さん達が困っていたから助けただけよ」
「おさかなさん、かわいそう」
「うんうん、そうなのよ〜人間って本当にどうしようもないわね。人間の死体の一つや二つどうでもいいけれど、毒はだめね」
「どく?」
「そう、この人間毒をばらまくのよ」
「…………でもそのひともかわいそう」
「あらあら、優しい子ね。でもいいのよ、自分たちで好きで殺しあっているんだもの。人間っていうのはお馬鹿さんなの」
「……でも、かわいそう。フェリルたすけてあげたい!」
「フェリル。貴方も鹿や猪を狩って食べるでしょう? それと同じよ。これは死ぬ運命なの。もう助からないの」
「で、でも、おかーさんならできるよ」
「お母様は助けないわ。別にどうだっていいもの」
「ぇ、で、でも、フェリルたすけたいもん」
視界は既に無いに等しい、嗅覚も。でも聴覚だけはやけにハッキリとしていて朦朧とした頭とどこが痛いのかすら分からない体で動けないまま、苦痛の中でその会話を聞いていた。
堀に落ちて河にでも流れていくと思っていたが、水の中ではなさそうだ。ついさっき落ちたと思ったのにもしかしたら随分時間が経ったのだろうか? 流されていつの間にか陸地に流れ着いたのだろうか?
…………いや、そんなわけが無い。私の体はそう長くはもたない。
グズグズと鼻をすする音が近づいてくる。なにかが私に触れているが、目を開くことすらもう出来ない。
「がんばって、がんばって、なおって、なおって」
涙声でグズグズと言いながらそれはそう言い続けた。
「がんばって、だいじょうぶ、フェリルはおかーさんのこどもだから」
「……あらあら」
何故だろう。
感じたことのない不思議な気持ちに痛みも苦痛も少しだけ癒えた気がした。暖かい、こそばゆくなるような不思議な感覚だ。
それが何かは分からなかったが、あえて言うのならば、師が頭を撫でてくれた時に似ている気がした。
「……シー、フー」
「!! おかーさん! みて! いきかえった!!」
「あらあら、しぶとい人間」
「だいじょうぶ、フェリルがなおすから」
こんな暖かい気持ちで死ねるのなら私のクソみたいな人生も捨てたものではなかったのかもしれない。
これが、幸せというものなのだろうか。
想像もしなかった安らかすぎる死を受け入れた私に待っていたのは、残酷で美しい精霊と、純粋で優しい小さな女神との出逢いだった訳だが、次に私が目覚めたのはその1週間ほど後の事だった。
いつもありがとうございます。
ようやく、シーフーの過去にたどり着きました……やっと書けた_:(´ `」 ∠):_
今までお付き合いいただきありがとうございます! そしてこれからもお付き合いいただけますと嬉しいです!




