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ぐちゃぐちゃ




「い……」



どういう事だ? なにを、なんで。


なんで、イレネー様がそんなことを……。だってイレネー様は今まで結婚にご興味がなくて武芸と騎士団ばかりに関心を向けていらっしゃったじゃないか。



どうして。なんで、なんで、とぐちゃぐちゃな感情の中で子供のような疑問ばかりが浮かんでは消えていく。

答えなど簡単なはずなのに、認めたくない。……だから何故だ。僕とフェリル・マーデリックの関係は最悪で、偽物の婚約者で、僕は彼女が苦手だ。


あの日、イレネー様とフェリル・マーデリックの事を僕はお似合いだと思ったじゃないか……。


それなのに、なんで、



「ユーリ? まだ体調が良くないんじゃないか。酷い顔色だぞ」


「そ、うかもしれません」



口元に手を当てて目を伏せる僕を気遣うようにイレネー様が僕に目線を合わせた。少し屈まないと目線の高さが合わないことも、背に添えられた優しげな暖かい掌も昔は大好きだったはずなのに、その何もかもが気に食わなくて、僕は俯いた。



「大丈夫か? 今ロバルト医伯を……」


「いいえ、大丈夫です。すみません」



この優しく強く朗らかな兄が大好きだった。尊敬してやまず、兄達の邪魔をせず後ろを歩くことだけが僕の望みで宿命だと思っていた。


だから今も笑って「もちろんです。頑張ってください」だとか「きっとお似合いのご夫婦になられますね」とか「彼女に振り回されないようお気をつけくださいね」とか、そんなたわいもないことを言えば良いだけ。


背に添えられた気遣わしげな手をやんわりと解いて後ろに下がる。



「イレネー様は彼女を愛しておられるのですか?」



どくどくとうるさい心臓に舌打ちが出そうになる。目を丸くして一瞬固まったイレネー様を真っ直ぐ見すえたまま、生唾を飲み込んだ。



「うーん……、そうだな、愛している……か。正直まだそういう気持ちではない、かな」



かつて、僕もジェンシー殿下に言った。「彼女を愛している」と。


笑顔で断言した僕のあの上澄みの言葉より、困ったようなイレネー様の不確かなセリフの方がよっぽど重くてよっぽど美しい。

その事に殴られたような衝撃を受けた。



「俺、まともな恋愛ってしてこなかったからさ、正直よく分からない。いつか政略結婚するんだろうなーって思ってたし、別に不満も無かった。でもフェリルに出会って、彼女がいいと思った。彼女を守ってやりたいし、そばで笑っていて欲しいって思う。なあ、これが恋だよな、きっと」



…………ああ、イレネー様の言葉は本物なんだ。


僕みたいに繕った紛い物ではなくて。

眩しくて、見ていられない。


このイレネー様を見ていると、僕がティアナ嬢に感じていた気持ちは、あれは一体何だったのか、自信が持てなくなる。


彼女を守りたいと思っただろうか? そばにいて笑って欲しいだなんて思ったか? …………ただ、安心しただけだ。僕が心をかき乱されないから……。



「いい歳して恥ずかしいよな、はは。部下たちにも散々笑われたんだ」



僅かに頬を赤に染めて、照れくさそうに笑うイレネー様はまるで太陽みたいに眩しくて、宝物を見つけた子供みたいに綺麗だった。


いつか、フェリル・マーデリックが興奮気味に語っていた、恋の美しさ、だとか、恋の素晴らしさ、だとか、そういうのは多分イレネー様みたいな人が語れるものだったんだ。



僕じゃダメだった。



…………僕のそれは恋ではないから。



「ユーリは短い間だったけど、婚約者という事になっていたし、きちんと話しておきたくてな」



「……はい」



感じたのはただただ、絶望だった。何に対してか分からない。イレネー様に、フェリル・マーデリックに、ティアナ嬢に、その全部に?



…………いや、僕自身に対して。


散々周りに迷惑をかけて、浮かれてはしゃいでいた馬鹿な男に。

偉そうにフェリル・マーデリックに何を説いたところで、何一つ、自分のことすら分かっていなかったのは僕の方だった。



「イレネー様」



「ん? なんだ?」



「以前、ジェラルド様にお聞きしたのですが、マーデリック公爵は騎士団長であり、有事の際に命の保証の無いイレネー様をフェリル嬢の婚約者とすることに難色を示されたとか」


最悪だ。自分がこれほどまで愚かで矮小な男だとは思わなかった。僕等よりよほど立派で価値があり、敬愛する兄に対してこんなことを言うなんて……。ぐちゃぐちゃで制御出来ない感情も

、自分の中にあった汚い心も、なにもかも、最悪……。



絶望に虚ろになりそうな視界で、困ったように笑ったイレネー様を捉え、「すみません忘れてください」と慌てて口を開こうとしたが、それよりも早くイレネー様が言葉を紡いだ。



「そりゃそうだろうなあ」


「え?」


「俺はきっとずっとフェリルのそばにいることは出来ないし、騎士団長の責務も忘れることは出来ない。いつ死んでもおかしくない職業だし、それに…………」


「何かあるんですか?」


急に顔を曇らせて言い淀むイレネー様を見上げる。彼は口を開きかけ、閉じ、少ししてから真剣な目で告げた。



「実は第二騎士団はイレオラ地方へ遠征が決まった」


「え……」


「国境付近に怪しい動きがある。イレオラの砦に定時連絡に向かった兵から連絡がとだえている。軍事大国ザイオンと同盟を締結したが、それはこの閉鎖的なトルヴァンが積極的にザイオン兵を内に入れるということ。精霊との関係も綻びが見えている疑念もあり、我が国は、国防に力を入れることとなるだろう」


「イレオラに常駐されるということですか?」


「まだ分からない。とにかく状況を把握しないことには……。が、しかし、何かがこの国に起こっているのは確かだ」



無意識だろうか? イレネー様は腰の剣に指でトンと軽く触れ、それから撫でるように鞘に手を滑らせた。




何かが起きている。


ジェンシー殿下が迷い込んだことを契機に色々なことが起きた気がする。


国境付近で迷い込む他国のものも近頃は例年よりずっと多く報告されているし、その多くはイレオラ地方に偏っている。



長く不可侵を貫いてきたこの平和な国に、いったい何が……。


真っ直ぐ、こちらを射抜くようなエメラルドの瞳を見返す。瞬きすら許されないような真剣な表情に飲み込まれてしまいそうになったとき、イレネー様は破顔した。



「ま、そういう訳だから、行く前に会っときたくてな。マーデリック公爵の反対は最もだが、まずは彼女の心を掴まなくちゃな。色んな意味でフェリルは規格外だから手強いだろうな。恐ろしく鈍いかと思えば、変に鋭い所もあるし」



ははは、と爽やかに笑うイレネー様が、懐かしそうに目を細める。先程の真剣な表情との落差に僕は情けなく目を丸くして多分みっともない顔をしていただろう。





「忠告ありがとうユーリ。別に応援してくれとは言わないけど、そういう事だから」




煌めく金髪を靡かせカラカラと快活に笑って去っていく兄の後ろ姿を黙って見送った。


いつもいつも、いつだって兄には敵わない。年の離れた2人の兄はいつも何歩も先を歩き、優しげに振り返っては僕がもがくのを、余裕たっぷりの美しい笑顔で見守っている。彼らは完璧で余裕があって、優しく暖かい。手を伸ばせばきっと手を掴んでくれるし、叫べば立ち止まってくれる。


でも僕は彼らを追いかけているのが好きだった。差の縮まらないその距離を彼らの邪魔にならないよう、等間隔でずっと走っていくのが好きだった。だから無理に近付きたくなかった。近づかなくて良かった。彼らに手が届く範囲は聖域で、僕なんかが踏み入っては行けない場所だったから……。


……それなのに、なぜか今は余裕をチラつかせて笑う兄が、埋まらない差を見せつけられたようで無性に悔しくて悔しくて、拳を握った。




騎士として何かを守る剣を持たず、国を動かし民を守る言葉(ちから)を持たず、重要な会議に出席する権利も持たない。

何かを知るのはいつも最後で、何かを成す術もなければ、その必要も無い。


無能であることだけが有義。お飾りの第三王子。



……なにもかも、自分で望んだくせに。自分でそうしたくせに。誰に言われた訳でもない。なにもかもを中途半端に修め、何にも必死にならなかった。


そうすることが最善だと自分に言い聞かせて、結局逃げてただけなんじゃないか? 大切な肉親とすら常に距離をとって、作り笑いで自分の心に蓋をして。



だから、偽物の感情に踊らされ、自分の心すら分からない。




汚くて小さくてどこまでも愚かだ。




「今更……」



そう、今更。本当に今更だ。




今更、気づいた。


僕はフェリル・マーデリックに憧れていたんだ。


真っ直ぐ素直で、感情のまま動ける彼女が羨ましくて、眩しくて。


蓋をしたはずの心を覗かれるのが怖くて、本当の僕を暴かれるのが恐ろしくて、かき乱されたくなくて……。だから苦手だと線引きをして自分を守ろうとした。



彼女はいつも一生懸命でいつも全力で、僕には無いものばかりを持っていたから、それを僕は身勝手に羨んでいたのか……。自分で得ようともしなかったくせに。



「ああ……僕はなんて」



なんて愚かなんだろう。



今更、彼女の事を知りたいと思うなんて……。











いつもありがとうございます!

悩めるユーリ君、悩みすぎて頭破裂しそうですね!

宜しければブクマ、評価、ご感想等よろしくお願いいたします。

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