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おなががすいた



「申し訳ございません、ネリー・マーデリック様。招待客リストにお名前がない以上、私の権限ではどうにも……」


城の門前には馬車の行列ができていた。

私達が乗っていた馬車は城の馬車だったからか、騎士が出口に並んで頭を下げて待っていたが、出てきた私とネリーを見て「え?」とあからさまな顔をした。

どうやら出した使いはまだ到着していないらしい。そりゃそうか、これだけ馬車が行列を為していれば到着していたとして城門に入るのはずっと後だろう。

「ユーリウス第三王子殿下はどこに?」という疑問に「体調が思わしくないようでしたので我がマーデリック家でお休みいただいております」と答えたネリーに騎士達は更にあからさまに動揺していた。

「どうしてネリー・マーデリック嬢が」とか「そういえば数日前もお倒れになったばかりだ」とか「あの殺しても死ななそうな殿下に一体何が」とか。最後のやつはユーリウス殿下にどんな恨みがあるんだ。


兎にも角にも、人が集まりつつあったのでさっさと城門をくぐり、会場の傍の東屋で待機していた訳だが、第一騎士団のレックスと名乗った騎士はぺらぺらと書類をめくっては額の汗を手の甲で拭うの繰り返しだ。



「わたくしはマーデリック公爵家の者ですが、それでもいけませんか?」


「ええ……、それは、存じておりますが……何分、一介の騎士である私が判断するには少し……。ユーリウス殿下の事も我々では」


「では、お話が通じる方を呼んではいただけないのですか?」


「は、はい、今どなたか、お呼びしているところでして……。しかし陛下や妃殿下はもちろんジェラルド王太子殿下、宰相閣下、内務官様方も会の準備にかかりきりで……あとどれ程お待たせしてしまうかは私共では分かりかねます」


レックスの冷や汗はもう片手では拭いきれなくなったようで、下がった眉が痛々しい。

14歳にしてこの圧力は末恐ろしいよな。本当に。



私はと言うとたいそう待たされてイライラしてきているネリーをまあまあと宥めつつ、盛大に鳴く腹の度に咳払いをして、気まずそうに顔を青くする騎士から目を逸らしていた。


…………めちゃくちゃいい匂いがする……。

正直私の腹は限界だったが、私は非常に冷静だった。マダムのいいつけを守り緩く微笑みながら背筋を伸ばして椅子に浅く座り続ける。

たまに目が合う騎士に微笑みかけると、物凄い勢いで目をそらされるのに不安になりつつ、どうにか垂れそうなよだれを飲み込んでいた。


……なんでさっきからあいつらは目をそらすんだ。まさか獲物を前にした肉食獣のような顔をしているのだろうか。仕方がないだろうこちとら空腹にも程があるんだ! 何を疑われているのか知らないが早く入れてくれ。お願いします。お腹が空いたんです。



「全く、こんなことなら、殿下を無理にでもお連れするのだったわ。ねぇ、お姉様」


「む、それはダメだ……ですわ。あのままユーリウス殿下を馬車で揺らしていたら馬車の中がゲロまみれになります」


「……中途半端に言葉を学んだのねお姉様。でもよく猿から人間にまで成長しましたわね。さすがはお姉様、ポテンシャルは悪くないのですものね」


「ネリー……私は褒められているのですか?」


「もちろんですわ。スカスカのスポンジはよく水を吸うでしょう? つまりはそういうことよ」


「……何だか褒められてる気がしないのだけど……」


待たされすぎて気がたっているらしいネリーの顔はどう見ても天使で世界で1番の愛らしさで、笑顔も飛びっきり可愛かったが、騎士達はやはり気まずげに顔を背けた。




「フェリル!」



暇すぎて東屋の天井に絡む蔦をネリーと数えて18本目、聞きなれた爽やかな声にハッと顔を向ける。



途端に騎士達は分かりやすく晴れやかな顔をして背筋を伸ばし、揚々と下がっていった。顔に、やっと面倒から解放される、とでも書いてあるようだ。職務の邪魔をしてしまって申し訳ないな……。こんな忙しそうな時に……。




「イル!……イレネー殿下」


「騎士たちに話を聞いて驚いたよ。ユーリの件は俺が話を通しておこう。弟が迷惑をかけたね、マーデリック公爵にも礼をしないとな」


「いやいや、いつも私がかけている迷惑に比べればそのくらいなんともない、ですわ」



慌てて付け足した言葉にイルは目を丸くして、「なるほどマダムが言っていたのはこういうことか」と楽しそうに微笑んだ。



「フェリル遅くなって済まない、ネリー嬢も、こんな夜風の冷たい場所で申し訳なかった」


「いいえ、とんでもございません。イレネー殿下。わたくしこそ招待されてもいませんのに、突然の登城をお許しくださいませ。姉は社交の世界に慣れておりません。一人にするにはあまりに不安でございまして……」


「ああ、分かっているよ。陛下の許可はいただいている。さあ、二人とも中へ」



ネリーに合わせて頭を垂れると、イルはふふ、と笑った後にそう言って私の手を取った。



「…………君がそうするなら、俺も今日は王子らしく振舞おうか、フェリル嬢」



それから手袋越しの私の手を持ち上げチュッと軽くキスをした。





「まあ、お姉様ったら隅に置けませんわね」






「……え?」



私は固まり、恐らくマダムに絶叫されそうなだらしのない顔を晒したまま突っ立っていた。



……今のは、なんだ。



夢かと思うほど一瞬で離された手の温もりになにかぞわぞわするものが駆け巡るようなおかしな感覚に襲われ、はるか昔の記憶がぼんやりと蘇る。


ーーーーおかあさん、どおしておとうさんはフェリルにちゅってするの? きもちわるいんだけど


ーーーーあら、それはね、キスって言って人間の愛情表現なのよ。好きな人にそうするの



ーーーーふぅん〜、じゃあおかあさんもおとうさんにキスするの〜



ーーーーあら、しないわよ〜。気持ち悪いじゃない



ーーーーそうだよねー、おとうさんきもちわるいよね






「きす」


「お姉様? 何をあほ面を晒しているの? そんな顔で城にいていいと思っているの?」



昔昔、たまーに王都の屋敷に帰るとお父さんはべたべたべたべたとキスをしてきていた。その度に「気持ち悪い」「鬱陶しい」「面倒くさい」「お母さんに言い付ける」と私は言いお父さんはシーフーに締め上げられていたような記憶があるが、あの時以来だ。


なぜわざわざ口を相手の体に付ける必要があるのか謎でしかないが、問題はそれが「愛情表現」だということだ。


つまり、イルは私のことが好きということか? そりゃあ私もイルのことは好きだぞ。ネリーもメディもシーフーもカーチスも好きだが、じゃあ私は皆にキスをした方がいいのだろうか。キスってなんなんだ、いったい。





「フェリル嬢? 」


「はっ!!」


「……どうしたの? 城のシェフの料理は美味しいぞ? 俺も兵舎にばかりいるから久しぶりだ」


その声に私の腹が相変わらず鳴りっぱなしだったことに気づく。

イルはイタズラっぽく笑うと私に手を伸ばす。


なんでか、ザワザワと心が落ち着かない。


いつもの騎士服とは違い、白地に黒のタキシードと白いマントを羽織り、前髪だって軽く後ろに流している。

腰にさした剣だけがいつもと同じでそれ以外はまるで別人のようだった。



伸ばされた手は取らず、とぼとぼと後ろを付いていくと、いきなり視界に入る光量が上がりチカチカする目を瞬かせる。またもや腹が盛大に鳴ったが、もうそんなことはどうでもよかった。


「俺がエスコートするわけには行かないけど、2人とも楽しんでくれ」



にこやかに言われたセリフが文字通り右から左へと流れていく。

とんでもなくいい匂いがする空間に、なにか考え事をしていた気がするのだがそんなことは既に頭の片隅にもなかった。











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