あらしのまえのあらし
「なあ、シーフー。あれは一体誰なんだ」
「旦那様の大切なご息女かと」
「なあ、シーフー。あれはフェリルなのか?」
「しつこいですね。あの様に神秘的な髪と瞳を持つ人間を私は他に知りませんので、恐らくは」
「なあ……シーフー……、フェリルが微笑みながらカーテシーをして指を揃えて殿下の手を握ったぞ。そっとだ、そっとだぞ? 握りつぶすのではなく。私は夢を見ているのか」
「……はい、夢でしょうね。とてつもない悪夢です。今すぐあの似非王子面の餓鬼の記憶を根こそぎ消してしまうのが賢明でしょうね。旦那様、少々お待ちくださいませ」
「やっぱり夢かあ〜。あの我が娘ながらとんでもなく見掛け倒しの猿があんな令嬢みたいな振る舞いが出来るわけないもんなあ〜……ん? あれ? シーフー? ん、お前なんて言った? あれ? なんか私たち噛み合ってなくない?……まてまてまて、何故ナイフを持っているんだお前。どっから出したそれ」
「ご安心を。きちんとあの男だけをこの世から消して差し上げます。フェリル様を傷つけたりなどは決して」
「待て待て待て。そうじゃない。というか記憶だけじゃなかったの?! 全然安心できない! まだあのゴリラの皮を被ったゴリ……違った、美人の皮を被ったゴリラを殴るほうがマシだぞ」
あの、
めちゃくちゃ聞こえてる。
なぜならすぐそこにいるし、この2人にひそひそ話という概念はそもそもないらしい。
実の父にゴリラだとか猿だとか見掛け倒しだとか、あまつさえ私を殴った方がマシだとか……。なんてことだ。あの人は本当に私の父親なのだろうか。そしてシーフーの目はどうしたんだ。あんな今にも襲い掛かりそうな獰猛な目をして。笑ってるくせに瞳孔が開ききってるじゃないか、怖っ。
うちではよくある光景が先程からもうずっと繰り返されている訳だが、ユーリウス殿下は心做しか青白い顔でいつものように微笑を貼り付け、心做しか胃のあたりを抑えていた。この人本当に苦労してるよな。可哀想に。……いや私が言うなって感じだが。
「こ、殺される……。思えばままならないことばかりだった。こんな事ならもっと好きなことを好きなだけして生きればよかった。変なことに囚われすぎて人生無駄にした……。生まれ変わったら鳥になりたい……」
「どうかしましたか? ユーリウス殿下。お顔の色が優れないようですが……」
大変だ。青白い顔で口元に手を当てた殿下がブツブツと呟きながら、うぷっと言った。
なに? なんか鳥がなんだとか……。詰め込み教育の賜物のわたしの令嬢ぽい返答も無視して、尚も口元と胃のあたりを抑えている。
まさか、ここに来る前に鳥を食べてきたのか。……今から交流会という名の豪華料理食べ放だ…………晩餐会だと言うのに。まったく、何を考えているんだ。美味いものはより美味く食べるべきだ。
私はそのために今日は何も食べていないぞ。ここ数日でまたもや体重がめっきり減り、ついでに筋肉も減り、ドレスが緩くなったとブツブツ文句を言っていたメイドにまた怒られると覚悟をしたが、何故か「ウエストが、細くなりましたね!!」と嬉しそうだった。
文句を言ったり喜んだりよく分からないやつだ。「今日は怒らないのか」と聞くと「ウエストは細ければ細い方がいいですし、コルセットとドレスの後ろのリボンを締めれば問題ないので」と言って物凄い力でコルセットを締め上げてきた。危うく内臓を出すところだった。
「体調が悪いのか? 大丈夫か?」
「ぅ、だ、大丈夫です。……それより、口調、気をつけてくださいね。戻ってます」
「申し訳ありません。気をつけます」
あまりにも顔色が悪いから、ついついそう声をかけてしまったがユーリウス殿下は笑みを張りつけたまま例の笑っていない目でこちらを睨んで(るように見える)きたので、素直に謝って気を引き締め直す。
とりあえず、今日が無事に済めば当分は城にたまに顔を出し、殿下の元を訪れたり、妃殿下とお茶会をしたり(会った事ないが)そんなものでいいらしい。
目立たず、普通に平凡に、適当に相槌を打ち隣で微笑みながらたまに飯を食う。
これが今日の私の仕事だ。マダムに10回くらい言われ、双子に屋敷で顔を合わせる度に言われ、殿下には100回くらい言われた。
余計なことをするな、も合わせれば倍だ。
「フェリル。マーデリック家がこのまま公爵として王都の屋敷で暮らし続けるか、家族全員で森に引っ越すことになるかはお前にかかっているんだぞ」
え、そうしたらいいんじゃ……
「そうしましょう。旦那様」
「黙れ! このアホ執事!」
「いいかい、フェリル。私はこんなだけど、ちょっとばかし変人で変わってて不思議な魅力のあるナイスガイだと周知されているがな、これでも、腐っても王弟。腐っても、私は王族なのだよ」
あ、自分で言ったな。色々と。
「…それ、自分で言うんですか」
「旦那様、腐り落ちて変な汁が出ても、の間違いでは」
「五月蝿い! 変な汁は出てない! ……げふん、いいか、フェリル。寛大な国王陛下のお心のお陰で今までの様々な事は奇跡的に許していただいているけど、今更だけど、本当に今更だけど国王陛下の足を引っ張る訳には行かないんだ。こと、外交に関しては」
「……お父さん……心の底から本当にすみません。色々と」
「本当に今更ですね」
「もう、今更すぎるのでどうでも良くないですか?」
「お父さんは、迷惑かけっぱなしだよ、もう、頭全然上がらない! べつにお前のこととかじゃなくてこれは昔っからなんだけど。とにかく、私は常々、精霊に頼りきりはいけないと言っていたんだ。この国は閉鎖的すぎるし、人間と精霊はもっとべつの関わり方があるはずなんだ」
「別の関わり方って?」
「今はまだ知らなくていい。ただ、ザイオンとの同盟は私はチャンスだと思っている。だから、目立たず、余計なことをせず、何事もなく晩飯を食べて帰ってきなさい」
「分かりました!」
私は膝をつき頭を垂れ、顔を引きしめて頷いた。お父さんもそんな私を見て大きく頷いた。
言っていることはイマイチ分からなかったが、とにかく、無事に余計なことをせず、晩飯をたらふく食べて帰ればいいんだな。わかった、任せろ。
ここ数日のあの地獄のような日々を乗り切った私は完璧に令嬢風でいられるはずであるし、今日何も食べていない胃は空っぽなのだ。
「……やっぱりこの二人アレですよね。……なんかちょっとズレてるって言うか」
「アレ? アレとは一体なんでしょう。まさか、フェリル様が阿呆で女神の皮を被った筋肉だとか、アホな子ほど可愛いを通り越して神々しいだとか、そんなこと思っているのではないでしょうね。……ええ、そんな首を振らなくても分かっていますとも。フェリル様の不完全な美しさは人間の言葉では語り尽くすことは出来ませんよねえ」
「え、は、?、あの……何言ってるんですか。いや、私はこの親子のことを言ったのであって、全然あなたが何を言っているのか分からな」
「分からなくて結構です。むしろ分かってもらっては困るのですよ。私も王族を手にかける訳には」
「あなた、なんなんですか、っ、怖すぎるんですけどその目。 ……というかそのナイフどこから、ヒッ!」
お父さんが私の肩を叩き、城のシェフが作る前菜は絶品だから必ず食べるべきだ、と熱く語るのを私は真剣な顔で聞き、何度も頷いた。
いつの間にか扉近くの壁際で、ユーリウス殿下とシーフーは何やら話しているようだったが内容は分からない。あんな距離感で話をするなんて意外と仲良くなったのだろうか。それはいい事だ。……殿下の顔色がさらに悪くなっている気がしないこともないが……。
「では、くれぐれも、お気をつけて行ってらっしゃいませ」
くれぐれも、のところをやけに強調したシーフーに殿下はまた、うぷ、と漏らし、私は令嬢らしく華麗なカーテシーをしてから、若干引きつった微笑みの殿下にエスコートされ馬車に乗り込んだ。
「……殿下、やはり顔色が……」
「お気になさらず。……あの執事なんなんですか? 暗殺とかしてます? それとも、元腕利きの傭兵とか……」
「あっはっ、………おほほほ、まさか。シーフーはシーフーですわ」
そういえばシーフーの過去は勿論、名前すらまともに知らなかった訳だが、シーフーはシーフー。物心付く頃からそばに居る優秀な執事。それだけだ。…………ん? なんでずっとそばに居るんだっけ……。




