かていきょうし
「レディ・フェリル・マーデリック!! 顎を引きなさい!」
「は、はい!」
「背筋を伸ばして肩は上げない!腰を引いて足音は立てずに!」
「え、えっと、なんて? か、肩は、」
「みっともない声で話すのはお止めなさい!」
「はいぃっ!!」
「どこにそんな険しい顔をして顔中を汗まみれにするレディがいますか!」
「すみませ」
「申し訳ございません、です! レディ・フェリル・マーデリック!! もう一度、一からレディの話し方について指南してさしあげましょうか?」
「申し訳ございません! マダム・ミネルバ。その必要はございません!」
「もっと淑やかに! 大口は開かない! わたくしは騎士団の訓練をしている訳では無いのですよ」
ぴしゃり、と閉められた扇がわたしの肩を叩く。地味に痛い。大汗をかいているわたしとは反対にすました顔の貴婦人はわたしの顔を見てまた眉を釣りあげた。
淑女たるものそのように情けのない顔をしてはいけません!だとか、汗は心の中でかきなさい! だとか、例え親兄弟が亡くなろうとも微笑みは忘れてはいけません! だのまた無茶な叱責がとんでくる。
……し、しんどい……。
胡桃色の髪をほつれひとつ許さずに巻き上げ編み込まれた見事なまとめ髪、痩せ型の長身、目鼻立ちのくっきりとした顔は歳を重ねていてもなお、若かりし日の美しさと品の良さを留めている。
マダム・ミネルバはユーリウス殿下と別れた次の日の朝、きっかり朝の7時にやって来た。
あ、この人がユーリウス殿下の言っていた家庭教師かあ〜と、挨拶をしようとしたところで彼女は爆発した。
どうやら、わたしの服装髪型、立ち方、表情、全てが気に障ったらしい。
確かに1番質素なブラウスにメディから(勝手に)
拝借した部屋着のズボンとボサボサの髪と起き抜けの顔は宜しくなかったとわたしも思うよ?
だからって「な、なんですか!この方は本当に女性なのですか!」は酷いんじゃないだろうか……。
どこからどう見ても女性じゃないですか?
さすがにちょっとへこむぞ。
それから怒涛のレッスン地獄。話し方、立ち方に始まり貴族名鑑の暗記、今の政治情勢、果ては流行りのデザイナーや流行りの焼き菓子まで……。
休みなくありとあらゆることを叩き込まれる日々にわたしはもう消し炭になりそうだった。
この世でいちばん怖いのはシーフーだと思っていたけど、それは間違いだったらしい。
シーフーだなんて、全然、マダム・ミネルバに比べたら甘々のあっまあまだ。わたしって甘やかされてたんだな〜。何となく分かってはいたけど……。
そして、わたしって本っ当に貴族としてお話にならなかったんだなぁ……知ってましたけどね……。
「……シーフー、今日って何日目?」
「4日目です。フェリル様」
4日目かあ〜。朝から晩までレッスンに次ぐレッスンなものだからもう時間の感覚がないや。本当に世の貴族令嬢の皆様はものすごい努力されてるなー、心の底から尊敬。
「ていうか、見事にシーフーが言ってた貴族令嬢と違うんですけど」
「おや、そうでしたか?」
「ユーリウス殿下もすごい嫌そうだったし、あれさえ成功していたらもっとましな状況だったんじゃないか?」
「ましな状況とは? ユーリウス殿下がフェリル様に対し好意的であればなにかが変わりましたか? 淑女を演じてしまえば夜会で下手に貴方の見た目に騙されて被害者が増えるだけでは? そもそも貴方の自業自得だと私は思っていますが、その辺りについてはどうお考えで?」
「申し訳ございませんでした」
ぐぅの音も出ないとはこの事。なるほど、あのブリブリ原色ピンクちゃんの真似をさせたのは被害を拡大させない為だったのか。まともなやつは近づこうとも思わないといつかメディも言っていたな。
「早速レッスンの成果が出ているようでなによりです」
「確かにわたしは見た目だけは良いらしいからな。面倒事が増えるのを阻止してくれたわけだ。さすがはシーフーだ」
「……まあ、それはついでですが」
「ついで?」
「いいえ、なんでもありません。それよりマダム・ミネルバが向かってきています」
「げ、」
シーフーがにこりと微笑んだ先を見ると、眦を吊り上げたマダムがカツカツと早足でこちらに向かってきていた。
人には常に微笑んでとか、足音を立てずに、とか言うくせにものすごい顔だ。怖っ。
自然と背筋が伸び、この数日で少し緩くなった腰周りに背から垂れた汗が流れ落ちる。
「い、いえ、マダム・ミネルバ、その少し休憩を……す、直ぐに戻ろうと思っていまして」
「全く、少し目を離したらこれです。本当に逃げ足だけは獣並に早いのですから」
お褒めに預かり光栄です。と言いかけてやっぱりやめた。単に褒められているのではない気がするし……。
「ミスター・フォスター。だいたい貴方がついていながら、どうしてこうなのです。聞けば教育係だったとか。それなのに何故このような……。せめて常識くらいは教えて差し上げるべきでしょう! こんな公爵令嬢がいるなんてわたくし考えも」
「フォスター?」
「マダム・ミネルバ。私のことはシーフーとお呼びください」
「何故です?ミスター・フォスター。確か貴方のファーストネームはリ」
「マダム」
シーフーが低い声を出し、マダムはびくりと肩を震わせた。
地を這うような声にわたしも驚いたがマダムの驚きようはそれは凄かった。小さく悲鳴をあげ固まったマダムにシーフーは何事も無かったかのようににっこりと微笑む。
シーフーのファミリーネームはフォスターだったのか。そういえばシーフーのことなんにも知らないな。まあ、さして興味もなかったけど。
「そんなことよりマダム、こんなに休憩してもよろしいので? フェリル様を舐めてもらっては困ります。なにしろ人生のほとんどを森ですごした生粋の野生児でして、狩りや農業なら王都の誰にも負けないでしょうが貴族としては0歳児以下です」
……シーフーさん? そんな言い方あります??
マダムはシーフーの言葉にハッとして、こちらをぐるりと向き直った。その時の眉間のシワの多さと言ったら……。あ、やばいちょっと笑ってしまった。
「そうでしたわ!! 貴方には一秒たりとも無駄にしている時間はありません! 王族の王子殿下の家庭教師を務めあげ、数多の令嬢に淑女教育を叩き込んできたこのカトリーヌ・ミネルバの名において、貴方をお粗末なまま王室の公式行事に参加させるなど言語道断!」
復活したマダムに腕を捕まれ引きずられるように後を追う。もう大分いろいろ叩き込まれたと思うんですけど…あの、まだまだなんですか……?
「3人の娘を立派に嫁に出し10人の孫の教育も務めたわたくしが、公爵令嬢の1人や2人……」
「シーフー、」
「行ってらっしゃいませ。フェリル様」
「シーーフーーーー」
ニコニコといつもの美しい笑みでこちらに手を振るシーフーを恨めしげに睨みつけてわたしは引きずられたまま階段を降り盛大に転んだ。
というか、どこにでもついて行くし、どこにでもついて行かせろって言ったくせにシーフーったらあの日から全然そばに居ないじゃないか。どういうことなんだ。どういう意味だったんだあれは! 怖かったのに〜!!
「淑女たるもの情けない顔をするんじゃありません!!」
「はい、すみません! マダム!」
「申し訳ございませんです!」
「はい!マダム!」
ーーーーーーーー
二人が去った後、シーフーは笑みを引っ込め目を細めた。
ユーリウス・トルヴァン。
甘ったれのクソガキだ。馬鹿馬鹿しいコンプレックスに酔って、恋に恋する馬鹿な子供。
あんな男に誰がフェリル様を渡してやろうというのか。旦那様も何を考えていらっしゃるのだろう。
ユーリウスとかいう馬鹿なガキどころか、普通にしているだけでもあの見た目に釣られて有象無象がホイホイよってくる。
だからせっかく嫌厭されるように仕向けてやったのに、結局遠回りしてこの状況だ。
フェリル様はああ見えて馬鹿ではない。ただ世間知らずで人を恐れていて、人との関わり方を知らなくて、単純で良い意味でも悪い意味でも裏表が無いだけだ。
……ま、そういう風にしたのは自分なのだけど。
人間の社会で生きていけないようにせっかく育てたのに……。
もともと能力は低くはないから、ザイオンの事も直ぐに覚えられたし、今の淑女教育だってどうにか物にするだろう。
人並みのコミュニケーション能力を身につけ淑女然と人前に立てば、彼女の見た目に釣られたクズどもがうようよ湧いてくるのは目に見えている。なにしろ精霊の娘であり公爵の娘だ。頭がおかしいと思われているくらいがちょうど良かったのに……。
それらを排除することを考えると今から気が重くなる。
「面倒な事を」
忌々しい、ユーリウス・トルヴァン……。フェリル様を避けてティアナ・レイクとやらとイチャついていればいいものを、余計なことをしやがって。本当にフェリル様は面倒なものばかりを引き寄せる。
イレネーだってそうだ。あいつにだけは絶対に引き合わせたくなかった。あれと会えば気が合うことは分かっていたのに、城の中のことまではただの執事である自分が関与できることではない。だから王族に媚びを売る令嬢になるよう教えてやったのに、まったくあのお馬鹿さんはどうせすぐに素を出してしまったのだろう。
案の定、妙に懐いているし、懐かれているし…。
「……ま、分かってましたけど。フェリル様は馬鹿正直な方ですからね」
漏れそうになったため息を咳払いでごまかし踵を返した。
……まあいい。
おかしな展開で大幅に予定は狂ったが、どうにでもやりようはある。
「せいぜい立派な淑女にお成りなさい。フェリル様」
結果は変わらない。過程が少し変わるだけだ。
少しばかり人間らしさを手に入れようとも、人間と親しくなろうとも、フェリル様は精霊の娘なのだから。
結果的に彼女が森で暮らす選択をすればそれでいい。
「はぁ、早く帰りたいですね、フェリル様。私たちの家に……」
階段を降り、使用人の一人の背中が見える。
シーフーは冷たい無表情にいつもの美しい笑みを張り付け見本のような美しい姿勢で廊下を歩いていった。




