「飽くまで悪魔だってよ。」
「お、ハヤト君おかえりー。」
「おう、ただいま。」
「じー……。」
「なんだよ、人の顔ジロジロ見やがって、気分わりぃな……。」
「いや、別に。今朝のキミはまた一段と可愛いなと思って。」
「うざ。お前、朝メシ抜きな。」
「あ、何その言い方! やっぱ可愛くなーい!」
「あーもーうるせぇなぁ……。」
――時刻は朝の八時、より少し前。
胸の高鳴りと興奮も冷めないうちに私が散歩から戻ると、リビングでは既にお母さんとブゥちゃんが朝食をとっていました。
「ただいま〜。あ、ブゥちゃんステーキ食べてる〜。」
「あ、サナお帰りー!」
「お帰り。サナちゃんもご飯食べるでしょ?」
「うん、お腹ペコペコ〜。」
私がお腹をさすりながらリビングの食卓に座ると、いつものようにお母さんが朝食の用意をしてくれました。
今日はいつものバタートーストにいつものハムエッグ、いつものゆで卵入りサラダです。
因みにブゥちゃんだけは、何故か朝から小ぶりなステーキをすごい勢いで食べています。
「うーん……。このランプステーキはちょっと硬いなぁ。肉の旨味がぜんぜん無い。」
「あらやだ、試しにオーストラリア産のランプステーキを買ってみたんだけど、もしかしたらお肉が悪くなってたのかしら……。」
などと、ブゥちゃんが苦い顔で小賢しい食レポをする傍から、お母さんは小さなメモ帳へとブゥちゃんのワガママを熱心に書き留めています。
朝から眼前で繰り広げられるカルトな光景に私のお母さんはもう完全に洗脳されてると解りましたが、一周回って小説のネタに使えそうなので暫くはこのままにしておこうと思います。
「んー、なんか牛が死んでる気がする。腐ったゾンビ食べてるみたい。」
「ブゥちゃん、ステーキはそもそも牛さんの死骸なんだよ〜。」
「こらサナちゃん、食べ物に失礼でしょ? それに食事中にそんな事言っちゃダメよ。」
「え〜? 私だけ〜? なんで〜?」
何故か私にだけは厳しいお母さんに少しの理不尽さを覚えつつも、私は二人と一緒に食卓を囲み、芳しいステーキの香りをおかずに普段と変わらぬ朝食を美味しく頂きました。
***
――時刻は十時を回った頃。
朝食を終え自室に戻った私は、あれからずっとベッドの上で枕を抱いて寝転がり、ただひたすらに今夜の事だけを考えていました。
気を紛らわそうと試しに読みかけの小説を手に取ったり、テレビをつけたり、好きな音楽を掛けてみたりしましたが、頭の中はハヤトさんの事ばかりがぐるぐるとフル稼働。
胸の奥がドキドキとざわついて何も手に着きませんでした。
その結果として、こうしてベッドで悶々と枕を抱いて寝転がり続けているというわけです。
「ねぇサナ、なんか良いことあったの?」
私が枕を抱いて何度も寝返りをうっていると、いよいよブゥちゃんがベッドに登ってきて不思議そうに私の顔を覗き込みました。
今の今まで、お母さんが新しく買ってきた「ビーフステーキの隠された歴史」という本をキラキラと目を輝かせながら読んでいましたが、いい加減飽きちゃったみたいです。
可愛いです。
「んー。ちょっとねー。えへへ〜……。」
例え柄にもないと解っていても、恥ずかしながらハヤトさんの事を考えると、ニヤけた表情を自分の意志で正すことが今の私には出来ませんでした。
ただやっぱり恥ずかしいので、私はダラしなく解れた自分の顔を枕に埋めました。
「もしかして、男?」
「え……? え……?」
――今この子「男」って言った?
「サナ、さっきからずっとエッチなこと考えてるよね。」
「んー……? あっれ〜……。どゆこと〜……?」
思考停止――瞬間、私はブゥちゃんの一言に「頭が真っ白になる」という言葉の意味を、この身を以て正しく理解しました。
先程のはただの空耳か、或いは私の緩みきった心が産んだ幻聴かと思いましたが、断じて否です。
だってブゥちゃんは、飽くまで悪魔なんですから……。
それってつまり、心の中を隅から隅まで覗かれていたりするわけで……。
「サナ、そんなにその男と子づくりがしたいの?」
――はわわわわッ!!
「み、みなまで言わないで……!! お願いだから……!!」
「へぶぅ!!」
私は取り乱し、持っていた枕をいつの間にかブゥちゃんの顔に押し当ててました。
耳が、頬が、顔がグツグツと火照って、いよいよ茹でダコみたいに全身まで真っ赤になっていくのを細胞単位で感じます。
熱すぎて発火――否、炎上してしまいそうです。
否、むしろ今すぐ灰になるまで燃やして欲しいです……。
「ブゥちゃん……お願いだから誰にも言わないでね……。」
「?」
ブゥちゃんは首を傾げました。
「ほんとにほんと、お願いだから、絶対に言わないでね!」
「?」
ブゥちゃんは首を傾げました。
「も〜だめだぁ……。」
――今夜、ハヤトさんとのドライブの前に、私はこの世を去るかもしれません……。




