「可哀想だってよ。」
――あの娘、キミの事好きだぞ。
正直、俺はセラの"あの言葉"を蚊ほども気にしていなかった。
俺の心を掻き乱そうと、また下らない冗談を言ったに違いないと聞き流していた。
というのも、確かに兎白は、どういう訳か俺に対して好感を持っており、見かけると積極的に話しかけてくる。
けれどそれも飽くまで「近所に住んでいる気の合う話し相手」程度の素朴な位置づけに過ぎない、と俺は思っていた。
しかしそれは、どうやら愚かな思い違いだったらしい。
「セラさんと行くんですか?」
「冗談だろ。あんなの連れてったら息抜きどころか逆に事故が起きる。」
「そうですか、それじゃあ一人ですか。」
「……。」
蔑み吐き捨てるような兎白の冷たい一言は、俺の胸の奥にガリガリゴリゴリと憎たらしいほど深く痛々しい傷を刻んだ。
しかし兎白は決して俺を哀れんだり馬鹿にしたのでは無いことも解っていた。
そして兎白の言葉の真意も、これまでの会話の文脈から俺はなんとなく悟っていた。
「あ、えっと……。」
――セラさんと行くんですか。
「……。」
――あの娘、キミの事好きだぞ。
「そ、その、私……。」
手負い(それもかなりの深手)の俺が黙り込んだのを見て、兎白は慌てた様子で突然立ち上がり、柄にもなく挙動不審に言葉を詰まらせた。
声はか細く震え、俯きがちに瞬きのペースが不自然に早くなり、目が泳ぐ。
手持ち無沙汰に前髪をいじくるのは無意識に出る癖だろうか。
取り乱す兎白の様子を客観的に観察していた俺の脳裏に交互に過ったもの。
先程までの兎白との些細なやり取りと、いつかの誂うようなセラの囁き。
これまでの色々が噛み合い始め、やがて俺の中に揺らぎ難いひとつの答えを作り上げる。
とはいえ、実際、兎白の好意に関してはやはり俺の恥ずかしい思い違いという可能性も普通にある。
兎白自身に聞いてみなければ本当のところは解りようがないし、更にもしこれで誤解だと判ろうものなら「え、本当に信じたの? わっはっは! やーい! バーカ! 赤っ恥掻いたなぁ! 人間おもしろ!」とセラから「鼻高勘違い王子」のレッテルを貼られる事となる。
また、この期に及んでなお不思議と焦りや戸惑いはなく、俺は普段通り冷静だった。
が、この場で自分がどう対処したら良いのかまではさっぱり解らないのも事実。
幸いにも(或いは不幸なことだろうか)、少なくとも俺にとって、幾つも歳の離れた兎白は恋愛対象にはなり得ない。
そしてこれは兎白に限った話ではなく、異性全員に言えることだ。
また、こんな事を言うと、悔し紛れなのかなんなのか「ゲイなの?」と誂うヤツがこれまでに数人いたが、それについては断じて否だ。
俺はゲイじゃない、今までも、そしてこれからもだ。
「ご、ごめんなさい……。」
言葉に迷った挙げ句、兎白は申し訳なさそうに頭を下げた。
何に対しての謝罪なのかは解らないが、少なくとも俺の心に深い傷を負わせたことに対しての謝罪ではなさそうだ。
「いや、謝られてもな……。」
「そ、そうですね、すみません……。」
「……。」
軽いパニック状態なのか、兎白は再び申し訳なさそうに頭を下げた。
しかしこれではいつまで経っても埒が明かない(なんならエンドレスエイトに突入しかけている)。
けど正直、俺は埒なんか明かないままでも構わない。
俺はこのまま何もせず、何にも気づかないフリをしたまま、何も知らないフリをしたまま「じゃあな」といつものように素っ気なく帰ったって別に構わないのだ。
「……。」
それが出来ないのは、俺が人間的にあまりに脆く、自分に対してあまりに甘いから。
冷徹になれないのは、兎白を傷つけるかもしれないという罪悪感に耐えられないから。
今ここにある兎白の悲しげな表情に、すぐに情が移るような弱く浅ましい人間だから。
兎白に対して、ただ「可哀想」という最低な理由だけで放っておけなくなるような、安っぽく、移り気で、残酷で、下らない人間性を持ち合わせているから――。
「今日、暇なのか?」
「あ……え……?」
だから――。
「暇なら、お前も一緒に来るか?」
「あ、良いんですか……?」
「別に、どっちでも。」
「あ、えっと……。」
「行きたいんだろ、ドライブ。」
「あ、はい……。」
だから俺は――。
「あの、ありがとうございます。」
――いつまで経っても、お前のことが忘れられないんだろう。
「それじゃ、また夜に。」
「あ、ハヤトさん。」
「ん?」
「えっと、連絡先、教えてください。」
「あー……。おっけ。」




